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 手塚敦史詩集『詩日記』を読む


 手塚さんの詩集『詩日記』は、いくつもの謎をはらみながらも、読むものにしっとりとした手応えを感じさせてくれる好詩集だ。このしっとりとした手応えというのは、作品の単線的な読み解きをこばむような工夫がされているという、いわゆる技法的なことにも関わるのだが、そうしたモダニズム系の手法と、抒情詩的な表現にたくされた情感の伸びが微妙にとけあっているところに、その新鮮な手応えの特徴があるのだと思う。


雪をわらうこと

生きて帰すわけにはゆかないよ。
それだけの事をしたのだから。
室内を閉めきり黒ぐろ、
記憶は擦りきれた真冬の情炎だもの。
いそぎんちゃくがたまらなくエロチックな感官をふる。
予感はただ見えない骨格をもった牛で、
なんという反芻運動しているんだ...。
それはまるで二本足の抱き合った案山子(かかし)だ。

転調する愛は傷。灰の煙(におい)たちこめ
受け入れている影はあきらかに変だ。
電気がはしるさっき手に入れてきたこれが恋愛だよ。
なくなるあのひとの息がおもてで雪となり、
このふたりの天井にもふりつもる...。
息つぎに相手を意識した。
(こんな自分だと、よくわかる。)
窓硝子にうつる顔にとけた、雪とわらった。

--------、
            一月九日

            手塚敦史詩集『詩日記』より


 この作品で、何が語られているのかを、絵解きするように語るのは難しい。ある複合観念のような性愛や失意にまつわる記憶があって、自分がその記憶を暗い部屋のなかで想起している。この想起している自分に語りかけるもうひとりの自分の声があり、時間は後半部で過去の出来事を像的に形象化したり意味として象徴化したような世界から微妙に現在のほうにぶれている。その声がさしだすのは、たぶん(ここからは私の勝手読みにちかい想像だが)、宮沢賢治の「永訣の朝」というもうひとつ別の物語だ。その兄妹の死別を描いた詩に「恋愛」(感情)が含まれているのだと、「こんな自分だと、よくわかる」というように、自分の内省と発見がそっと告げられている。

 詩集『詩日記』は、記憶の形象化というふうに言ってみたいような、大きな流れにつらぬかれている。その記憶は、たぶん作者の少年期から近い過去にわたる個人的な出来事ということと、これも想像にすぎないのだが、作者がインスパイアされた、さまざまな詩歌からヒントを得たようなイメージがとけあっていて、ちょっとその由来を判別しがたいような味わいをつくっている、という感じなのだ。詩集巻頭におかれた謎めいた言葉は、この記憶の形象化ということについて、考えるよすがを与えてくれるように思える。


「明日の過ごし方を思い出し、明日には帰らない。
今日のあの時(ひと)、この時間を、大切に。もう過去が
到来する。」


 明日ということばを、昨日(過去)という言葉に置き換えれば、追憶、という主題にいきつくように思えるが、この言葉の反転が、単なる奇矯さを狙ったようなものいいでないことは、詩集を読むと納得できるように思える。作品の中でおきていることは、そんなふうに言うことができるとすれば、ちょうど、未来(未知)から過去が到来する、というようなことなのだ。もうすこしいいたいようにいえば、過去の出来事を、未来(未知)から訪れるような出来事(素材)に変換したり、現在にとけあわせることで、作品に仮構の水準をつくっている、というようなことになるだろうか。もちろん収録されている18編の作品はバラエティにとんでいて、すべてそういう言い方でその特徴をいいつくせるわけではない。ただ、そうしたもしかしたら作者も自覚していないかもしれないような、ある過去への傾斜の仕方や蘇らせ方の技法のようなものが、詩集のタイトルにもある「日記」という言葉を招きよせたのかもしれないとは思ったことだった。詩集の後書きにあたる「あとに」という、これもすこし謎めいた文章をみてみよう。


「西脇順三郎「失楽園」中の「内面的に深き日記」より、詩と日記は性質が似ていると思われた。森鴎外の『うた日記』も傍らにあった。死者は読み手であると、こちらから意識している。
 詩中の日付から天候や曜日などを省き、不特定の日としたことで、毎年、十一月一日にあらわれ、六月十五日になくなる詩集となった。しかしながら、この日付をめぐる詩篇からとかれるためにも、発刊し、まとめたという背後がある。〇四年九月五日(日)雨のち曇。」


 ちょっと注解のようにいうと、西脇順三郎の詩集「Ambarualia」に収録されている連作「失楽園」中の「内面的に深き日記」は、同じ連作作品と同様にとても日記のようには読めない作品だ。西脇はむしろ日記的(記録や備忘としての、また平板な、常識的なという意味で)記述を自らの詩の領土から放逐したがった詩人であった。けれどたぶん作者はここで逆説を弄しているわけではない。ある仮構の水準をつくりあげた詩の世界を持続して生みだしていくということ、その持続ということにおいては、西脇の詩世界を日記的な詩意識の所産というふうに呼ぶことも可能なように思えるからだ。また、森鴎外の『うた日記』は、日露戦争従軍時に綴られた詩歌(短歌や近代詩・俳句といった多彩なジャンルにわたる)を内容とする日記形式の詩歌集で、さまざまな詩歌の様式を自在に書きこなしているところに特徴があるように思う。

 ところで、「死者は読み手である」とはどういう意味なのだろうか。
 この言葉は集中の「窓明かりの奥にひびく声」という作品の中にも「(死者は読み手)」というふうに括弧つきであらわれるので、作者にとって大切な鍵概念をしめすような言葉だということはふにおちるのだが、この「窓明かりの奥にひびく声」という作品自体、私にはちょっと歯が立たないところがあって、ひとりの少女(の写っている情景写真、あるいは映画のシーンだろうか)と聖者の物語がテーマになっているようなこの作品の中で、死者と呼ばれているのは、その少女のことではないだろうかというようにも想像される、と歯切れの悪いことがいえるだけだ。
 「死者は読み手である」という言葉を、自分は意識して作品の読み手が死者であるような場を想定して、詩を書いている、というふうに理解したところで、この死者が作者にとって固有な死者(作品を読んでほしかったような特定の人)というふうに受け取るか、あるいは作品を了解してくれるような理想的な読者としての死者(この場合、結局は理念化された自己像ということに他ならないと思えるが)というふうに受け取るかで、ニュアンスはわかれるように思える。実のところ、詩集の中で、こうしたニュアンスの多義性を故意に生じさせるような語法がひとつの魅力となっているのは確かなところで、そういう意味でいえば、「あとに」と題されたこの短い文章も見ようによっては日付入りの「日記」という体裁で作品として書かれているように見えるのは、理由のないことではないのだろうと思う。


吸い紙、水紙

駅前通り わずかなさらひ雨ひいて
消えた一日のみち
りりしい無言の落ちる 朝に
そろえた動作は
盆地に鳴り止まない 居住住宅の屋根で
犬ににた少年の休息にさそわれる
はこび雨 耳のなかで
一個の執拗(しつよう)なネジにくるわれながら
誰かの呼び声となって あらわれるほむら影
塗り込められた駅舎にも
ゆうべの地図は ひくく
しずかに少年を待ち
折りかえして 北路ゆく葉陰(はかげ)には
ふくらみゆく水がある
今朝もときおり空を欲しそうに 肌をあじわう
結露は さきほどあるじを失し
つたない双方を引き分けながらすすみ
少年の日 地理のなかにすべる訣(わか)れをみていた
                           六月十五日

                手塚敦史詩集『詩日記』より


 何編も印象にのこる作品はあるのだが、ここでは詩集最後におかれた「吸い紙、水紙」という作品を紹介しておこうと思う。ここで示してきたひとつの読み方からいえば、この作品冒頭からあざやかに示される情景は、作者の少年時代の記憶からやってきているように思える。雨上がりの街なみを俯瞰している少年の内面描写が語句からだけでは伺いしれない物語(記憶とともに蘇るような圧縮された個人的な当時のエピソード)をひそめているようなところがあるが、やがて視点は街道のわきに茂る葉陰に、その一枚の葉のうえに揺れる雨ののこした水滴に収斂していき、水滴が二筋にわかれて葉を伝うという微妙な動きのなかに、少年期の喪失感や、自らの少年期への惜別の情感がこめられている。美しい作品だと思う。



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手塚敦史詩集『詩日記』(2004年12月1日発行 ふらんす堂・1800円)





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