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言葉の零と「空」


 通俗としての言葉、というふうなことで何が思い浮かぶかといえば、おおく人口に膾炙した言い回し、格言、諺、格言化や諺化した詞華などが挙げられる。言葉は色褪せたメタファーである、という説もあるくらいだが、定型的な言い回し(神ならぬ身の知るよしもない、等)、諺化した詞華(物言えばくちびる寒し、等)など、これは言葉が通俗化するある種の避けがたさを表しているといえるのかも知れない。ある意味で、通俗としての言葉は、本来通俗的でない言葉を持ち運びやすくしている、ともいえる。ただし、それが言われた当初の新鮮な精髄は、言葉を「持ち運びやすく」する過程で失われているのだが。言葉が古びやすい、とはこのことの謂いだ。
 現在は十数年前、数十年前、百年前、いや数年前に較べてさえ、きわめて言葉が持ち運びやすくなっている時代(の一つ)にいよいよ突入したのだとの感が深い。私が青少年だった三十数年前でさえ、言葉がその本質からそれた形で、容易に通用してしまう事態は存在したと思う。通用することに異を唱えているわけではない。言葉が聴き取られ、理解され、魂に届くなら、多少の聴覚映像や概念、文字上のぶれは問題とならない。問題は「スルーする」というはやりの言葉に反照されるように、言葉がどれほどの具体性を持って聴かれ、それに基づく判断が為されているか、否か、ということだ。
 最近出た本の中のこんな部分に目が行った。次に引いてみる。

(前略)言語もまたこれらの一環に置いてみるなら、「こと」あるいは「ことば」と言って、けっして「形式名詞」の「もの」を使ってほしくないと、前回に述べたところに行きつく。まさに言語ははげしい、動態的な在り方であり、事柄=「こと」に対応する、未来を記憶する、能力に淵源する。それを死屍のように「もの」化する、「形式名詞」こそは真犯人として告発されるべきであろう。(藤井貞和『詩的分析』、2007年、書肆山田、p408)

 この場合の形式名詞としての「もの」は、いうまでもなく、形式名詞「こと」としばしば混用される場合が多い言葉だ。藤井氏の例示をここに引けば、「昨日起こった(こと、もの)」「彼女とのあいだにある(こと、もの)」「きみの(こと、もの)が好きだ」「敵討ちという(こと、もの)」「竹取の翁といふ(こと、もの)ありけり」等々である。こと、もの、どちらでもありそうな場合と、両立しない場合が認められるであろう。
 ちょっとした手続きが必要そうな、やや難しい問題も含むけれど、やはり言葉はものでなく、事態なのだということを確認しておきたい。通用する言葉、通俗としての言葉とは、「もの」としての言葉なのだ。折口信夫によれば、日本語における用言と体言の別を見いだしたのは中世の連歌師たちであるそうだが、その言は「動く言葉、動かない言葉」といったふうな区別であったようだ。「動く言葉」は、たとえば「燃える火」の「燃える」のごときもので、「動かない言葉」とは、「燃える火」の「火」のごときもの。ただ、これを現実の叙述空間の中に投げ入れてみた場合、一文「燃える火」というのはそれ自身事態、動態にほかならず、文を解剖したところで得られる「動く、動かない」の区別が無意味なようにも観ぜられる。「動かない言葉」であるはずの「火」でさえも、「火。」と言うか書かれたそのときに、純粋な名詞にとどまっていられるであろうか。名詞というより名―辞といったほうが(日本語として)通行している現実の姿に近い。現実の言葉という叙述空間以外のところで言語を考えることは、実際には不可能なのではあるまいか。たとい名詞が端緒に「もの」的なものであったとしても、それが現実の言語であるためには、つまり叙述の空間の中では、名―辞として一つの事態にほかならない。ウィトゲンシュタインの後期に『哲学探究』というノートがあるが、そのなかで有名な一節がある。すなわち「語の意味とは、言語の中におけるその用法である」。適用のうちに言葉はその姿を現すのであって、目録や語彙採集帖のなかに言語の家があるわけではないのだ。言葉が「もの」ではないというのはこういうことなのだと思う。
 ではなぜ、ことばは「もの」化してしまうのか。たとえば「文化」ということがらを考えるとき、以下のような記述から始まる思考を私なら念頭に浮かべる。

 動植物の種や変種の名を詳細に書き出すために必要な単語はすべて揃っているにもかかわらず、「樹木」とか「動物」というような概念を表現する用語をもたない言語のことは、昔から好んで話の種にされてきた。ところが、「未開人」の抽象的思考への不適合性と称されるものの例としてこのようなケースを挙げるとき、まず第一に人びとは、抽象語の豊富さはただ文明語のみの特徴でないことを証明する他の例がいろいろあることを無視してきた。(レヴィ=ストロース『野生の思考』冒頭)

 ここから文明とされていることと未開に属するとされていることとの優劣の無さ、互いの互いに対する相対性――というよりむしろ「文明」の相対性とは「文化」の違いにほかならないことが、めくるめくばかりに展開されてゆく。初めてこれを読んだとき、私などは驚倒したものだ。しかし、最近では大学関係者やちょっとした知識的なことに関わる人々のあいだで、ある場所で常識とされていて、それとは異なった場所で同じことが常識でない、といった程度のことで、「ああ、それは文化の違いね」というふうな使われ方をする。最近の中学生が使っていたとしても私はおどろかないと思う。
 おなじようなケースでは、これも二十年くらい以前の話だが、ある文学学校の関係者に、網野善彦の仕事について、ひところに較べ、ここ最近はあまり派手やかに取り上げられていないようだがどうしたものか、というようなことを言った返事が、「網野ももう古いし飽きたなあ」というものだった。たぶん古いのではなく、はやらなくなっただけであって、網野学が古びているというよりは、はやり廃りのステージを、もうそれは脱していることの証左であったことだろう。確かに当時の新宿ゴールデン街あたりでは、酒のつまみにアミノはもう飽きられていたのだろう。
 これらは言葉が「もの」化している例である。ほかにも「地球に優しく」や「病気を見て病人を見ない」や「いのちの大切さ」や「有機」や「無添加」や、……こう列べてみると、さいごの砦の範囲がいよいよ狭まる観さえしてくる。逆にこれらの言葉と裏腹な、無視や差別や加虐や暴力からなる、恐るべきバーバリズムの進行が、却って窺われたりもする。事態、動態として伝えなければならない事柄が、動きを止められて抽象的かつ記号的な貨幣みたいにやりとりされ、交換されている。マルクス的に言うなら、この「もの」化を疎外ととらえ、これへの反措定としては言葉の使用価値の側面を考えるだろう。レヴィナスなら、この「もの」化を全体性のカテゴリーに位置づけるとして、事態、動態としての言葉を、恐らく永遠性のうちに措定すると思う。
 実に言葉の「もの」化の傾向は已みがたいと言わねばならない。じっさい、ある言葉を理解するというのは、その事態、動態に到達するということなのだが、そのために、言葉は「もの」の側面を一度はくぐる必要がある。
 ある事態、動態が存在するとして、そこから言葉は単なる思いに留まらず、分節された現存として、いったん「可視」とならなければ、叙述空間のうちで生きて動くことはできない。これが言葉が一度は「もの」化するということである。いちおう、聴覚映像であるか文字であるかは置いておくが、少なくとも言葉の現存は単なる自然光や自然音等の知覚・感覚の対象たるにとどまらない。知覚・感覚を「通じて」到達する何ものかといえる。否むしろ、この「何ものか」を通じて知覚・感覚そのものが統御し返され、却って幻想的に変容せしめられる、そういった機構を考えたほうがよいかも知れない。いちおう、この機構のことを叙述空間と考えておいてもいい。
 このなかで、幻想的に変容した一音一字は単なる音や線でなく、言葉の内なる一音一字であり、ときにそれだけで叙述性能を持っているが、なぜそれが可能かといえば、可視的な部分に動揺を与える不可視の部分が、可視的=「もの」的な面の裏側にぴったりと張りつくような属性として存在してあるからだ。不可視のもの一切は可視とならないが、その痕跡のようなものなら示すことができる。すなわち、文字「火」ではなく、陳述「火。」であるところの「。」の部分がそれだ。これを時枝誠記は零記号と呼んだ。事態、動態は「。」の譬えるものに押し上げられるようにして「火。」という叙述になる。このとき事態、動態を相手に(不特定多数であれ)伝えるための可視的な部分が、「。」を脱落させた形の「火」となるところで、言葉の「もの」化が始まるといえる。伝達することは避けられないとはいえ、この脱落は具体性の脱落とも言いかえられ、言葉にとっての外部の消失とも考えられるだろう。
 この「火。」はまた、火についてのあらゆる陳述を含むともいえる。これを有り体に言えば、言語には不可視の零が必ずついて回るということだ。別の例を考えてみる。「秋は美しい」という陳述は、「と、彼女が言うのを私は聞いた」というのに始まり、「のはAの想像で……」という具合に、接続詞や、外国語で言えば関係代名詞を用い、無限の階層からなる一文を考えることができる。これは「火。」や「秋は…」に無限数の階層が凝縮されて詰まっている、というふうに考えるよりは、それらが零を持つということなのではないか。いわば、そこからいつでも発動し、ほとんど無からでも(可能性としては)無限に展開させることのできるギアみたいな、言語の関数としての零。したがって、生成文法の概念図のような空間性としてよりは、ある時間的な出来事として、いわば音楽的に言語をイメージすることはできないだろうか。時間性とはいっても単純な一回性の過ぎ行きでなく、ワーグナーやモーツァルトのごとき時間の楽音が、過ぎ行くことそのもののうちの、或る構造的な天空の内部で舞っているような。
 「もの」化された言葉においては、この零が構文を支えるためだけの最低の喫水線で使われる。叙述というより符牒といったほうがよい。事が言葉の問題だけに、これを脱するための言葉は屋上屋の感をいずれも免れない。私は一つのヒントとして、この問題をほんの少し、仏説の中に覗いてみようかと考える。
 現在通常に流布している仏教は、諸宗あるけれど、だいたい「空(くう)」の思想を教義の中心に据えているかと、大まかには言うことができる。不増不減不生不滅、というとむつかしいが、ものやことはみな、「存在する」とつきつめて考えるとどうやら怪しいし、「存在しない」とつきつめて考えても、何だか違うようだ。有るか無いかの二分法でなく、そこに立体的な第三の支点として、ものやことは存在しつつ存在しない、存在しないことがすなわち存在することである、すなわち存在と非存在の別は空にほかならない、といった、有・無に渉らぬ「空」の観点が導入されてくる。いわば、陰影をつけずに三次元を感じさせるような、平面に描かれた立体そのものともいうべき、クラインの壺やエッシャー空間を思い浮かべると割合理解しやすいかも知れない。
 こういった思想を有する教えでさえ、言葉の問題、つまり言葉の「もの」化には旧来より悩まされてきた。いや、と言うより、言葉の問題と向き合うことに、端緒から仏教は大きな関心をさし向けてきたとさえ言える。
 基本的に事態、動態であるべき言語が「もの」化するとき、伝達の過程が必ず介在している。言葉は伝わってこその機能ないし存在なのだということを、再確認しておきたい。伝達の過程で起きるこの言葉の「もの」化について、仏教はどんなふうに考え、解決してきたか。言葉に関してきわめて潔癖と、一見見える考えと、言葉に関し非常にしどけないと、一見見える考えとがいちおう挙げられる。
 前者については、『正法眼蔵』にこんな話(公案)がある。かいつまんで紹介する。ある僧が師に問うた。祖師西来意とは何か、つまり達磨がインドからやって来たことの意味(仏道開闢の意味、か)とは何か。師は答えて言う「庭前の柏木」と。僧は言う、「喩えで示さないでください、祖師西来意とは何でしょうか」。師「私は喩えで示したわけではない」。僧「(ではもういちど聞きます)祖師西来意とは何でしょうか」。師「庭前の柏木」。
 この人を喰ったような話は、ものやことを有・無に渉るところでなく、「空」という第三の立体点から眺め下ろしているわけで、言葉の「もの」化に対して幾重にもバリケードを立てて抗しているといえる。意味は言葉の内部からでなく、つねに外部からやって来て、道を問う者に痛棒を食らわせる。これが進むと、「釈尊はさとりを開いてから涅槃にいたるまで種々に説法したが、そこで説かれたものは何もない」(中村元)という、「一字を説かず、また已説(いせつ)せず、また当説せず」(楞伽経(りようがきよう))の不立文字の世界に行き着く。壊れやすい、汚れやすい言葉をもって説かれたことは何もないけれど、伝達は「空」を通じ、おそらくは言葉以上に堅固に果たされているのである。 これと相反するような、言葉に対するしどけなさは、いわゆる「方便」の考えの中にみとめられる。おなじ『楞伽経』に、こんなところがある。

如来蔵は本性清浄なり。(略)如来応、正等覚の、性空と実際と、涅槃と不生と、無相と無願等とのもろもろの句義をもって如来蔵を説けるは、愚夫をして無我の怖れを離れしめ、無分別無影像(むようぞう)のところ、如来蔵の門なりと説かんがためなり。(略)たとえば陶師の泥聚(でいしゆ)の中において、人功、水、杖、輪、縄の方便をもって、種種の器を作るがごとし。如来もまた爾(しか)り。

 要するに相手に合わせ、教えに合わせ、使えるものなら何でも使って、とりあえずの橋渡しをする。とりあえずの時が過ぎたら過ぎたなりに、また違う材料を使って、ブリコラージュ(日曜大工仕事)みたいに教えを説く。なんだったら、言葉の「もの」化さえ、利用するかも知れない。本性清浄である無分別無影像というのが始めにあって、壊れやすい、汚れやすい、かりそめの言語の姿は、かりそめゆえにあらゆる細部に涌出して、時として金剛のパワーを発揮する。本性清浄ということが、同時に無分別無影像である点に与って、方便は巨大な力であり得るのであろう。注意してみると、言葉はここでも不立文字の場合と同質の「空」の性格を持つといえる。言葉は言葉に内向きではないのだ。
 田村隆一の詩に「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」という一節があるけれど、今まであらあら述べてきた「空」の思想を思うと、田村ほどこの思想を体現した日本の戦後詩人もいなかったのではないかという気がしてくる。先の祖師西来意の公案も当然そうだが、言葉ではなく、かといって虚無でもない、まさに清浄な「空」に満たされている感じがあって、「荒地」の頃でない田村の長い戦後(それは同時に彼の長い長い晩年のようなものだが)、その詩は無類の色彩とマチエールを有して、言葉ではあらわせない事態、動態を、言葉でもってまさにあらわしつづけた。
 この「空」は、言語の零に似てはいまいか。言語の外部が、ほんとうは言語自体を生きさせているという点において。

 


(「tab」8号より)

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