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尾張句帖   1983〜1986年


四月

煙草吸ふて横にながむる菜種梅雨
花冷えのうき世に寄るや窓の縁(へり)
老いの木のしんかんと咲く花景色
菜種梅雨酒なくて人恋ふる哉
鯉のぼりたてゝ小暗き竿のすゑ
独座して苦き煙草を放ちけり
よみ解くや花のさかりの七部集


六月

茶をいるゝ迄の間(あはひ)のあやめぐさ
児と遊ぶ一―円―廓のかげぼうし
吹風の緑陰に眼を凝らしをり


九月十日

〇八月二十八日松坂屋本店で蕪村展を見る

さけのまむ世をむなしきと知る時に
をとこゐていぢくりまはす小庭(さには)哉
落日の在処(ありど)もしれぬ怒りなる
かなかなや身におぼえある日暮どき
あかねさすむらさき野辺に渇ゑつつ
きんいろの酒にこもらふうれひかな
むねに掌をのせて当夜のゆめに入(いる)


九月十一日

ひぐらしや神祇釈教恋無常
灰皿をうづたかくするものおもひ
見セ消チのこよみを破る九月哉
高き音(ね)の発一山にしづもりぬ
おそなつの蝉のこゑする翳り山
猛きせみ捕ればはかなき羽交かな
てんきやうをひとりかくまふ秋の家


九月十五日

遠方(をちかた)や金木犀の匂ふころ
秋風のいろなき径(みち)とおもひ染む

岡井隆に―@
なほ見たし鴨ひよどりの椿喰(くひ)
(かもひよどりの椿喰ひ見よ見よ見よといひし人はも)

よく熟るる梨のおもさの掌(たなごころ)
東京へかへらまほしき胡蝶かな
闇に投ぐる煙草の燠のごときもの

岡井隆に―A
母とゐて昏るれば火のやうな餓(うゑ)がある
(母とゐて秋咲き截るはまぼろしかまがふことなくまぼろしである)


九月十六日

あをぞらのかたへすずしき風や吹(ふく)


九月十七日

ひだまりにをればあやなき過去世(くわこせ)かな
〇「長き日を言ハテくるるや壬生念佛」蕪村
ただくるへあきのひかりにもの言はで
何せうぞゆめの外なる小唄かな

  〇何せうぞ/くすんで/一期は夢よ/ただ狂へ―閑吟集
〇閑吟集はこの有名な歌謡(うた)以外知らない。梁塵秘抄もよいが、いまとくにつよく閑吟集をみてみたい。
〇今様はほとけたたへてうたへども床さびしともうたひなげかふ―岡井隆

うた一ふしゆめの外より聴こえ来る
みほとけやほの三ヶ月のたち姿
あけぼのは美男のほとけおはす哉
(・あけぼのにおはす美男のほとけたち・九月十六日)

  〇「猶見たし花に明行(あけゆく)神の顔」芭蕉のこれは醜男の方だ。
〇ほとけはつねにいませども/うつつならぬぞあはれなる/人の音せぬ暁に/ほのかに夢に見えたまふ―梁塵秘抄

さむしろや我は恋せぬをとこなる


九月十八日

へうたんの我身はかろき宿世かな
〇ものひとつ瓢はかろきわが世哉―芭蕉(貞享三年) 
味噌料理尾張三河はこことかや
美濃尾張膳にのぼする川魚
たとふれば微塵のきんのいりひかな
まだ死なぬつくつく房のいくすぢか
〇今日、十八日、母と丸栄新館で「大観・春草・古径」展をみる。大観はさすがにアクがつよい。春草はよかった。古径は手柄ナシ。「孔雀」図も好きになれない。
〇同じく。星ヶ丘三越六階で岩波本『閑吟集』をのぞく。のぞくと同時に梁塵秘抄もみたくなる。
〇たとふれば禄米食まぬもののふのふくみわらひの手練みねうち―岡井隆。今日四番目の上五はこのうたの第一句から借りた。

しろがねの音(ね)にものいはす虫の闇
うたれたる形(なり)で画中(ぐわちゆう)の杜鵑哉―横山大観「杜鵑」図
まだ死なぬつくつく房のいかりかな


九月二十日

障りならば手も足も眼もすててしまへ
成仏につひにとどかぬ雨もよひ
ながつきのあめの叢(くさむら)深くして

〇ゆうべ6吟歌仙をやろうというので大変苦労するというふうな夢をみた。妙な夢をみるものだ。なかにやきものの中嶋さんがいて居酒屋の主人という役割で「出演」していた。
〇青くてもあるべきものを唐辛子―芭蕉

酒好のからきめをみる唐辛子


九月二十一日

〇地上とは思い出ならずや―稲垣足穂
地上とはつねにもがもなおもひで歟(か)

〇世を旅にしろかく小田の行戻り―芭蕉
雨つぶを額(ぬか)にうたせて帰去来(かへりなん)(家へ…)
〇今夜は雨もよい。明日は外泊で帰る日だ。

三界に宿なきむしやきりぎりす
火をふくむきりぎりすゐる眼耳鼻意(げんにびい)
なま禅の命冥加の花に逢ふ
雪月花となりすずしき境町(さかひちよう)


九月二十三日

〇田中夫妻来訪。三人で瀬戸や多治見を歩いてまわる。多治見で意外なねだんのぐい呑みを買う。午后少雨。 碗買ひはこころのやみに似たる哉


九月二十四日

〇田中夫妻帰京。空は降りそうで降らない。

酒呑の独(ひとり)をもるや壺中天
入り方や乱世ゆかしき桔梗色
・雨つぶに額(ぬか)をうたれて帰去来(かへりなん)(病院へ…)
二つ三つこはれもの買ふ緩歩かな


九月二十五日

〇あの人たちの言ったことはただの風だよ―ルバイヤート

さかづきよ肝に銘ずるこはれもの
これしきの酔(ゑひ)に降らるる夜のそら

〇この道を歩んで行った人たちは、ねえ酒姫(サーキイ)、/もうあの誇らしい地のふところに臥したよ。/酒をのんで、おれの言うことをききたまえ/あの人たちの言ったことはただの風だよ。
〇酒を呑むということは結局時間の持ちよう、執りなしようということに尽きる。酒量の問題ではないが、下戸では駄目だ。呑み方、酔い方のきたないやつも論外。こう書いてゆくとわが身をふりかえっていささか愕然とするものがある。逆に、よい酒呑がいると百年の知己を得たような気持になる。そういう仁にはめったにお目にかかれるものではないが……。
〇鮎くれてよらで過行(すぎゆく)夜半の門―蕪村


九月二十六日

乱菊やわが子は十余になりぬらん
・遠出して買ふこはれもの二つ三つ
・遠出して二つ三つ買ふこはれもの

〇恋しくばたづねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉


九月二十八日

台風の通りぬけたる穴ひとつ
夕暮の河をこぼして大雨哉

〇午後沛然たる雨。散歩に出ず。夕方雨止む。


十月一日

長月や雨を聴くことひさしくて
滄(アヲ)海の酔をのこすや神無月

〇駄句、月並句! しかし、それも必要だ?

・これしきの酔(ゑひ)に降らるる夜空かな
もの狂(ぐるひ)ものの見えたる小世界
夕映のうたを黙して歩みけり


十月二日

あきかぜのあだやいつしか神無月
幾人もいくにんも抜く家族連(づれ)


十月七日

〇長谷宛返信の腹案が決まる。ようやくの事!

五、朝まだき杣人二人月に吠ゆ  長谷
六、一斗をあけて秋の詩を賦す  倉田

〇田中氏より手紙と写真、来る。わが駄句を添えて返信。


十月九日

〇長谷川来る。ジーパン、ゴム長にナップザックといういでたちで。瀬戸のまちをあるく。ゆっくりと。

――瀬戸
翌(あす)は来ぬひくきかはらのうどん見世
町なかに川流るるは良きことぞ
――送別
金くれてひがしへかへる僧の形(なり)
虫を聴(きく)はせ川房もねぶらむか


十月十日

土くれのやうな器の欲しきかな
――窯神神社
背戸やまに萩の花またをみなへし
セトものをつひに一箇も買はざりき
一合のさけに聊か淫す也


十月十二日

朔みそか昨(きそ)はいづこの秋の月


十月十五日

いざや寝んあさき流れに分入らん
〇朝、思出すままに。(いざや寝ん元旦はまた翌のこと―蕪村)

貪れるこころおのれにゆるしたり


十月十六日

秋の秀(ほ)のいろこきときはすぎにけり

〇栄の関美術で備前のやきものをみる。「ヒタスキ」(緋襷?)が備前通有のものであることを知る。ついでに英傑行列を覗く。こういうことは恥かしい。
〇「……のいろこき(家々のかげ濃きときは?)時は過ぎにけり最晩年の戦(いくさ)かなしも」岡井隆。

銭なくて米(よね)すこしある夕月夜
緋襷(ヒタスキ)や一会の友ぞなつかしき


十月二十二日

秋たけて大丸干を買覓(かひもと)む
日月や室(へや)に猫ゐるかんな月
秋天に破(わ)るる桔梗のあゐのいろ
てんぷらを揚げるにほひや月細し

〇「大丸干」は大失敗であった。悪い油がまわってしまっていて喰えたしろものではない。犬に遣る。明日は瀬戸へ行く予定。

よき酒や翌(あす)一日をのこしけり


十月二十三日

飲喰(のみくひ)のことをはじめて十五歳(十五より酒をはじめて今日の月―其角)

〇瀬戸三訪。バスと電車を使う。いたって不便。此処からは。

しもた屋に棲まんとすれば鵙のこゑ
秋天やわれひとりゐる路地つづき
漸寒へこころも寄るか愚禿釈
秋深し家ごとに割るる柘榴見ゆ
ふるまひはゆるされにくきたらう冠者


十月二十九日

職安を出でて撓めるこころあり
何事もなき様子なる白日ぞ
夕焼の際限もなきゆざめ哉
正月は盗酒しにゆく吾妻かな
しんしんと肝を冷やして遊ぶらん
なにとなくツルウメモドキと諳んずる


十一月五日

〇栄松坂屋本店で伊賀焼のぐい呑を買う。作は中村昇仙というひとだそうな。箱に収めるつもりはないが、かといって箱を捨ててしまう訣にもゆかぬ。苦慮。しかし買ってしまえばこちらのものだ。

やきものを買ってやすらふしぐれどき


十一月六日

〇焼物買など空しい、と言ってしまえばそれまでだが、どうにも説明のつきかねる衝動がある。


十一月十三日

ゆふばえも淋漓と暮るゝさむさ哉

〇松坂屋で金重素山展をみる。備前陶。故立原正秋の「解説」付。


十一月二十九日

霜月やこもごものこと思ひ止む
風つよき日にまつろはぬ神々ぞ


十二月三日

〇歳旦別案
乞食のまねをしにゆく吾妻哉
乞食のまねをして来るとしはじめ
〇明日長谷に「ねのひ」を送る予定。万歳にはちと早いが―。
たはぶれに三河のさけを酌ムでみよ
〇「明眸」なら尾張のさけを、となる。しかし句にはならない。

酔中に流るるうたを追はざりき
〇これはフィクションである。「酔」とは如何なることか。

凩やまちはしはすのにほひかな


十二月十一日

〇東京の友人達に電話する。正月のわが東武行に就て。

しのぶ身を旅ねしてみん三ヶ日


十二月三十一日

〇於東京

柚子の香や大つごもりの闇の色


昭和五十九年一月五日

〇無聊憮然。(関東への)里心がついたらしい。一月三日西帰する。

さびしさや旅ねのあとの祭哉


二月二十四日

〇「労働者」になって一月、殊なる感はない。

白壁も一雨ごとの微温哉


六月九日

百幾つたはぶれごとを鳴くかはづ
 月なき夜の雨のもろごゑ

〇先週、退院する。今日、そののちのはじめての診察。


八月四日

痩せ犬を連れて日暮の堤哉
〇長谷宛書簡第五信中。初折裏第五句。無季。


昭和乙丑三月二十四日

冷酒(ひやざけ)に出でてあゆめり春の宵
かげろふのゆらめき出でる如く歩む


十二月十四日

かん酒を飲むこの頃や最明寺


昭和丙寅臘月廿三日

淫すべき酒を剰(あま)せる寒の内
しかすがに焼肉(しし)喰らひたき寒夜哉

外に出る女子供や春の月(付句)


三月十二日

似合はしや破(や)レ壺にさす桃の枝
投入(なげいれ)てうめにほはする部屋の隅


三月十七日

直會(なうらひ)や此処につどへる神の面ン
〇印場渋川神社の近傍に「のうらいさん」と呼ばれる社がある。「のうらい」が「なをらひ」であることはいうまでもない。渋川の神事に関連したものであろう。しかしそのかみの神事に面が使われたかどうかは、これは私の全くの虚構である。虚構ついでにいえば、この社に春のまつりがあれば一入なのである。

三界も花の中なる地蔵尊
〇この「花」も虚構である。さきの「のうらいさん」のすぐちかくに地蔵堂があって本尊は円空作とのこと。はしりの春の中をあちこちと出歩く私の眼交に空華が満ちている。

石佛や匂ひのうすき梅花(うめのはな)

〇東名ガード寄、森孝のはずれに三十三体の小さな観世音菩薩が祀られている。中の一体に「寛政××」と年号がみとめられる。そのちかくの道端に憤怒(フンヌ)だか思惟(シユイ)だか、はっきりしない形姿の一体が祀られているが、この方は「右××」「左××」と道標のかわりにもなっている。頭に数珠、首に涎掛の姿は観音像と変わりない。村界を守る道祖神か。年号認められず。


三月二十六日

〇わが駄犬モコ。
犬も毛を吹れてゐるやはるの雲

〇家に帰る。
肉厚く咲く沈丁花のかをりかな

〇「大川便覧」とはいかないが、似た心地。
広辞苑とつをいつして春の夕
金田一京助までも春の夕



                          尾張句帖畢二〇〇八年三月再録

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