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ARCH 3

         アカミトリ、にっぽん語の思い出と、赫々たる道楽文芸のために、
          二〇〇三年十二月



                  いま 躓くような言葉が見あたらない
                            (田村隆一『羽化登仙』)



若き若きヘップバーンのポスターのモノクロであればわびしくはなし *

法衣行く雑踏のむこう何も無きただにっぽんのうぎゃうぎゃむぎゃむぎゃ

大切なだれであったか伊勢丹のこの一隅で待ちしことあり

ジルベルトそれほどによくは聴こえずにただ繰り返しかけている海

日の過ぎた半額の真鯛ふくよかというべき肉の湯気の渦巻き

春の酒わずかにとどめ黄花咲くうすやみの方へ足行くままに

ジョビン奏でるトリステ今日は軽く響きペペロンチーノももうお手のもの

大切に思われておらぬ見捨てられてはおらずとも これにも慣れて

カクテルはそっと水際まで運びしばらくグラスに触れず見るもの

国家論なおざりにしつつ来たということかレタスがこの頃小さい

たかがピザと思うのに此処が此処こそがと引きまわされてローマ郊外

顔よりも乳房の嵩をよみがえる記憶のそこにゆらゆらとさせ

滞欧二十余年の男トラファルガースクエアにふいに泣き崩れたり

もう人を見てもおらずに雑踏をゆくわれにして前世と呼べ

不遇にもこれほどまでに慣れ切って雨には芭蕉の葉のばさばさと

シャトレでの乗換え避けつつ歩く歩く通路にてふいにベアトリーチェに

お骨拾い済ませてきたのと聞いていてそれはまァなど言の葉を撒き

渋谷あつく融けて流れる人群れのなか表情の貧しきタトゥ

素麺のつつつと白きすがしさに過ぎていく夏、としておけばよく

よく見れば白地にほそくとりどりの色の流れてよき夏ごろも

なにひとつ言うべきこともない人であるからこその長きおしゃべり

そそられるラーメン店の看板もよく見ればきれい過ぎる印字で

エリザベス・シュワルツコップの孫娘あなたにはやはりヴーヴ・クリコを

大蒜をふんだんに入れて食べたいと思うものなくそのままを焼く

サラダばかりまずはたくさん食べるタチそのゆえに行かぬ店数知れず

老いてゆく親とのつきあい捨て置いておくようなれどなれどもなれど

命かけて戦うほどの老人のけっきょくはなくて見よ有事法

よく頼むシャンベルタンの赤をまた 視界狭窄燦爛たれば

戦中派も戦後派もただ反対と言うばかりにて動きなどせぬ

春鹿を鹿遠く見るごと頼む今宵の声のほそぼそと好し


  *以下、表記はすべて現代仮名遣いで。






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