1)2004年、旅行経路と日程

昨年まで初めの一週間は旅行会社のツアーに加わり、その後自分で計画した旅行を加えていた。ツアーもガイドのお陰で、特に規模の大きいスキー場では効率よく滑れるなど利点もあるが、かなり色々なスキー場を経験した現在ではいよいよ場所が限られ、個人旅行の手配を始めたい時期に希望者が集まらないため催行が決まらない事態が起こり、今年はすべて個人旅行に踏み切った。これまでも触れたが、ホテルだけでなく航空券、保険など、すべての手配を"IT"で行った。便利な世の中になったものである。今年の特記すべき事は、昨年夏再会し盛り上がった学校時代の同期3人と、私の旅では2カ所目のバート・ガスタインに集合し、共に1週間滑った事である。

成田空港=チューリッヒ−(鉄道、タクシー)−ザンクト・クリストフ:6泊(オーストリア)−(バス、鉄道)−バート・ガスタイン:7泊(オーストリア)−(鉄道、バス)−ラークス:7泊(スイス)−(バス、鉄道)−チューリッヒ:1泊−(タクシー)−同空港=成田、(+機中1泊)、 計22泊)、2月8日出発、3月1日帰国/全23日間)。
 注)1.出発、帰国共、偶然昨年と同じだったが、今年は閏年のため日数は1日多い
 注)2.ラークス滞在中、クール観光1日、アローザ遠征1日/チューリッヒ観光、半日



2)ザンクト・アントン(チロル州/オーストリア)

ザンクト・アントンはこれまで何度も訪れ本ページでも多少触れたことがあるが、スキー場の案内はしてこなかった。今年の旅行に組み入れた理由の一つはスキー靴を新調するためだったが、この事については最後の章で詳しく触れるとして、泊まったホテルは例によってザンクト・アントンからバスで10分少々、有名なオーストリア スキー学校のあるザンクト・クリストフの「バルーガ」。エデイさんほか一家の方々に再会した。(2001,2002年版4項参照)

より早い到着を検討したのだが適当なものがなく、結局はチューリッヒ直行便(JAL)+鉄道ということになった。思い出して見れば前にも経験していたことだが、チューリッヒ空港ではスキーの受取場所が荷物と別だということを忘れていて時間をロスしたり、今回はスイス、オーストリアにまたがる国際切符なので発売窓口が違う事が分かり並び直すなど、乗り継ぎ時間が1時間と少なかったので少々のトラブルに焦った。因みにバート・ガスタイン往復の通用期間は2ヶ月で、割引率は不明だが往復切符が買えた。空港駅では忙しかったものの、その分ブレゲンツでは接続が悪く1時間程の待ち時間があり、ゆっくり食事ができた。ザンクト・アントンに着いたのは予定通りではあるが夜中の10時半、もちろんバスは無くホテルまでタクシーを使った。

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a)スキー場案内

ザンクト・アントンスキー場 リフト地図

ザンクト・アントンのスキー場は本体のザンクト・アントンとステューベン、レンドルの3つに別れる。ステューベンはガルツッヒから西側を迂回して辛うじて繋がっているが、レンドルは距離は短いもののスキーバスか、動く歩道+ロープ・トウでの移動が必要である。レンドルのバーンは新しい6人乗りのリフトが新設され、広々としたスロープが更に拡大された。元々風の影響を受けにくい地形だそうで、広々した良いスキー場だと再認識した。

レンドルスキー場 新6人乗りリフト
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ザンクト・アントンスキー場本体はさらにガンペン(1,850m)−カパル(2,330m)、ガルツィヒ(2,085m)、バルーガ山(2,811m)の三つに大別される。ガルツィヒ−バルーガ山はロープウェイでは結ばれているものの、3者共互いに谷で隔たれており、街の近くまで降りないと他に移れない。ザンクト・クリストフからはリフト1本でガルツィヒ頂上につながっている。

バルーガ山に登る最後の短いロープウェイは観光用でスキーは持ち込めないが、頂上の景色はすばらしく360°の展望が楽しめる。天気の良い日は少ないので、機会に恵まれたら予定を変更してでも行ってみる価値がある。

バルーガ山頂風景 バルーガ尾根
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14日から始まるワールドカップ(後述)準備のためカパル−ガンペンの上級(黒)コースは閉鎖されていて(35,25)滑れなかったが、早朝一番リフトに乗り滑った(2)のコースは普段荒れていてかなりタフなコースだが、整備が完全に行われていて、これが同じコースかと思う程楽で気持ち良かった。
 (注.リフト地図にはコースが 黒−難しい、赤−普通、青−易しいに色分けされている。)

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b)現地での出来事

なるべく多くのスキー場を経験したいので二度同じ所を訪れないことにしているが、この地は唯一の例外で、私の旅行圏の中心に位置しスキーのメッカといえることから、スキー靴の修理とか、宿泊以外の目的を含め5回以上訪れている。常宿は以前にも紹介している「バルーガ」である。ホテルの主人、エデイさんのスキー・インストラクターとしての経歴から日本人との付き合いが豊富で、ほぼ同時期に9人程の茨城のグループが、帰る日には京都のグループが新たに到着した。ヨーロッパのスキー場で、ツアー以外この様に大勢の日本人と同宿するのは珍しい事である。

ここでの3日目の朝、初滑りの時声を掛けられ、振り返ると日本人だった。T.Mという名で、かの有名な"オーストリア スキー学校"に研修に来ているとの事だった。私の履いていた"小賀坂"のスキーで気付いたのだそうである。彼は翌々日夜ホテルに訪ねて来てくれ、しばらく歓談、意気投合した。私が昨年訪れたセルデン(エッツタール)に住まいがあるとのこと。懐かしかった。いずれ国家検定は通るだろうと思うが、スキーで飯を食って行くのはなかなか大変だろうと思う。健闘を期待している。

この地を離れる14日と翌15日が"FIS ワールドカップ"開催日であることを予約した後で知った。従って本番は見ることは出来なかったが大会準備と滑降の公式練習を通じ、雰囲気だけは味わうことが出来た。ゴールのスタンドには結構人が集まり、"ORF"(オーストリア国営放送)の中継車など多数の車が止まっていた。この大会滑降ではStrobl(オーストリア)が優勝した事を後にTVで見た。今期総合優勝したヘルマン・マイヤーはこの時はそれ程の成績は残せなかったようだ。このコースは歴史あるカンダハー・レースとして使われてきた競技用バーンで、2001年の世界選手権、ザンクト・アントン大会でも使われたものである。 スタート小屋に貼られていたコース・データに依ると、スタート標高:2,310m、ゴール標高:1,350m、標高差:960m、全長:約3,300mである。

スタート小屋 コースインスペクション コース整備 大会に向けたバンドの到着
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このコースを2分かからずに滑り切り、しかも1/100秒台を争うというのだからレベルの高さは驚きと言わざるを得ない。このコースは前に記した分類でいうと、ガンペン−カパルのルートに属する。



3)バート・ガスタイン(ザルツブルク州/オーストリア)

バート・ガスタインはオーストリア/チロル州の東隣、ザルツブルク州の南に位置する。一昨年訪れたツェル・アム・ゼーのさらに南である。"バート"は温泉を表す言葉であるが、その名の通りここは温泉町である。ガシュタインが地名で、ドルフ(村)・ガスタイン、ホフ・ガスタイン、バート・ガスタインと町が北から南へ並んでいる。4年前に訪れたキッツビューエルと同様、古くからの鉱山街でもある。

a)スキー場案内

ガスタインスキー場 リフト地図

この地のスキー場は大小合わせて5つのスキー場から成っている。
(1)シュテュープナーコーゲル(Stubnerkogel−2,246m)
(2)シュロースアルム(Hohe Scharte−2,300m)
(3)ドルフガスタイン・グロースアルルタール(Kreuzkogel−2,027m)
(4)シュポルトガスタイン(Kreuzkogel−2,685m)
(5)グラウコーゲル(Graukogel−2,492m)
     スキー場名(ピーク名−標高)
初めの二つ、(1)、(2)はそれぞれバート・ガスタイン、ホフ・ガスタイン駅に接している。またお互いにリフトで繋がれている最大のスキー場である。残りは駅からは遠く、スキーバスの世話になる必要がある。(5)のグラウコーゲルはバート・ガスタインからそれ程遠くないのだが、バスの本数が少なくタクシーが便利。

印象深かったコースは(1)シュテュープナーコーゲルからアンゲルタールへ下る(B20)、(2)のホーエ・シャルテ(2,300m)からホフ・ガシュタイン(860m)へ一気に下るロングコース(H1,H2)などである。(3)ドルフガシュタイン・グロースアルタールは(1)、(2)に次ぐ規模。(4)シュポルトガシュタインのコースはいずれも標高が高いため雪質も良かったが、風が強く閉鎖された日があった。意外に楽しめたのが(5)のグラウコーゲルの上部(B3)だった。

シュテュープナーコーゲル アンゲルタール スキーセンター
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b)友人との出会いほか

冒頭に書いたように学校時代の同期4人、K氏、C氏、Tさんと私がこのバート・ガスタインの同じホテル"ヴィルト バート"に集合し一週間同宿した。三者三様別々のコースではあるが、K氏はザンクト・アントン,キッツビューエルを経て、C氏とTさんはウィーン一泊後・・・。この様な海外スキー旅行はもちろん初めて、望んでも仲々出来ない経験で、数十年ぶりに旧交を温め大いに語り合い大変楽しかった。今回の旅行で四つ星ホテルの宿泊はここだけ、さすがに食事、設備その他それにふさわしいものだった。最終章で、このホテルでのことを中心に海外のホテル暮らしに触れる。

この辺一帯の温泉の源泉はグラウコーゲルの麓にあり、17の源泉から合計5,000Kl/日の噴出量で、源泉の温度は47°C。2本のパイプラインでガスタイン谷のホテルに供給されているとの事である。ラドン(Rn-222)などの放射性物質を含み、リュウマチに効くと博物館の資料に書いてあった。日本と同様、飲用にも供されているらしい。

温泉といっても日本の風呂とは少々違ってプールの様なものと考えて良い。大きなホテルには内部にプールを持っている所もあるが、バート・ガスタイン駅前に"フェルゼン バート"という施設がある。直訳すると"岩風呂"であるが、一階は岩を半分くり抜いた室内プール、屋上には15m位の温水プールと25mのプールがある。温水といっても30°C?程度、その他にサウナ、マッサージ室などある。医師の管理の元で温泉治療を受けることも出来るようである。入場料は円換算で約¥1,300だった。

室内温泉プール(Felsen Bad) 屋外プール
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もう一つバート・ガスタインの名所といえば街の中心カイザー・フランツ・ヨーゼフ通り、会議場近くにある滝である。冬の最中で一部は凍っていて水量も最も少ない時期であったが、それでも街の真ん中に忽然と現れる滝は目を引く。雪解けの水量の多い時はどんな様子だろうと驚かされる。会議場前にはガスタイナー博物館があり、この町の温泉、鉱山などの歴史、この地方の祭の写真、飾り物などが展示されていた。

目抜き通りの滝 中心街 痛み、涙、怒り−楢橋夫妻
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2月20日だから次のラークスへ向け出発の前日のことだったが、2000年11月11日にキッツシュタインホルンで起きた、トンネル内ケーブルカー火災事故の裁判結果が報道された。155名の犠牲者を出し、その中に10人の日本人が含まれていた事で、日本でも大々的に報道された。(2002年版5項、および7項e)参照)判決は全員無罪であった。確定した訳ではないだろうが、少なくとも出火原因とされる運転席にあった電気ストーブの設置に関してはケーブルカー会社の関係者は責任を問われないことになった。地元の新聞「Salzburger Nachrichten(ザルツブルグ ニュース)」に亡くなった楢橋涼子さんの両親の写真および記事が出ていたが、写真のキャプションでは涼子さんは息子になっていた。



4)フリムス・ラークス

一週間後我々は同じ列車で旅立った。他の3人はザルツブルク経由ウィーンから帰国の途へ。私はバート・ガスタインから30分程のシュバルツバッハで別れ、最後の宿泊地ラークスへ向った。来た経路を引き返しインスブルック、サルガンスで乗換、クール(chur)に到着。クールのバスターミナルは駅の真上に被さるようにできており、すべてのホームから直接エスカレーターで上れた。ターミナルからはポストバスで1時間少々、目的地ラークスポストに着いた。朝9時過ぎに出発して約9時間、午後6時、もう日はとっぷり暮れていた。予約ホテルの場所が判らず困ったが、電話が通じ迎えに来てもらえた。列車の接続が厳しかったり遅れたり結構ハードな旅だったが、予定通りホテル"Larisch"に着け、ほっとした。

ホームを跨ぐバスターミナル
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a)スキー場案内

この地方は一昨年のサン・モリッツの時少し触れたが、ロマンシュ語(古代ローマ語の方言)が話される地域で、そのためか読めない地名があった。幾つかは教えてもらい振り仮名を付けたが、聞き漏らして自信のないのは原語のままとした。

フリムス・ラークススキー場 リフト地図

この地は日本ではそれ程有名ではないが氷河のある大きなスキー場で、フリムス、ラークス、ファレラにまたがっていて互いにリフトで結ばれている。頂上は3,000mに達していて氷河地帯が一か所ある。ほぼ全コースを滑ったが、特に印象に残ったのはフォアラップ頂上(3018m)からALP RUSCHEIN(1774m)に下る標高差1,244mのコースである。数回滑ったが、朝一番、マシンの掛かったピステをとばした時は最高の気分だった。3,000m付近でもコース整備が完全になされているのには感心した。宿泊ホテルはスキー場の入口ラークス ムールシェッチからは少し離れているが、毎日ホテルバスで送迎してもらった。

プラウン クラップ ソン ジョン クラップ マセン フォアラップ氷河
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b)クール観光

ラークス宿泊の翌日、暫く振りの休養を兼ねてクールの街を観光した。クールはスイスの中でも最も古い町で、紀元前にすでにローマ人が入植していたそうで、その後もアルプス越えの交通の要衝として栄えて来たのだが、その後メインルートが変わって中世の名残を残す静かな街となったのである。クールはグラウビンデン州の州都、一昨年訪れたサン・モリッツ、ダボスなどの玄関口に当たる。

あいにく日曜日で店、博物館など一部は閉まっていたが、ポスト広場、州立美術館、市庁舎、聖マルティン教会、大聖堂など旧市街を中心に観光した。人通りも少ないのがかえって静かな街並みの雰囲気に合っていて大いに気に入った。大聖堂は正面入口付近が修復中だった。聖マルティン教会でバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」オルガン演奏をすがすがしい気分で聞いた。

ポスト広場 聖マルティン教会 現市庁舎、500年前の建築
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ライン川支流 旧市街小路
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c)アローザ遠征(スキー場案内)

出発前からフリムス・ラークス一週間の滞在は日程に余裕があるので、どこか遠征しようと思っていた。一昨年サン・モリッツから日帰りでダボスに行ったのだが、ごく一部を覗いただけで物足りなく感じもう一度行こうと思っていた。しかしガイドブックを見ている内に魅力を感じ、急遽アローザに行くことにした。

アローザスキー場 リフト地図

クールからレーティシュ鉄道、1時間でアローザ(1800m)まで行ける。途中でよくスイスの観光写真などに使われている「ラングウィースの大鉄橋」を渡る。アローザ駅前は冬の間一面真っ白で存在感はないが湖。駅のすぐ上からロープウェイがバイスホルン山頂(2653m)まで延びている。山頂は360°の展望が効き天気も良く素晴らしい景色だった。少し離れているが向こう側はダボス方向。時間がなくインナーアローザ、ヘルンリ(2512m)方面は行かなかったが、ヴァイスホルン周辺のコースはほとんど滑った。頂上直下の上級コースは雪質も良く快適に滑ることが出来た。駅前に並んだ馬車はここが有名な観光地である事を物語っていた。

レーティシュ鉄道 ラングウィース大鉄橋 ヴァイスホルン山頂 アローザ駅前の観光馬車
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d)チューリッヒ観光

帰国便の時間の関係からチューリッヒで一泊することにした。ラークスからポストバスで約1時間、クールからサルガンス経由、チューリッヒには午前中に到着した。チューリッヒはこれまで何度か通過したことはあるが、泊まるのは今回初めて。この時期はオフシーズンなので、いつもの例で予約していなかった。駅に着いて"インフォルマチオン"を探したがガイドブックの位置には見つからず、やむを得ずガイドブックから適当に選んで電話で直接交渉した。初めての経験で全部は聞き取れた訳ではないが、提示金額だけ確実に分かればと思っていたので何とかなった。駅からそれ程遠くない旧市街にあり、レストランが主体の小さなホテル"フランツィスカナー"。さすがに都会のレストラン、そこで食べた魚料理は確かに旨かったが、ソースの味が前に出ていて魚本来の味が損なわれているように感じた。 ここは静かな場所と思って選んだのだがこれが大間違い。泊まったのは祭りの期間中で土曜日、仮装をしたグループが大音響で楽器を鳴らしながら練り歩き、それがどうにか収まって眠れたのは午前4時過ぎだった。翌朝ホテルの人に聞いたら"ファスナハト"と云っていた。元々冬を追い払い、早い春の訪れを願う、ゲルマン民族古来の祭だそうだが、カーニバルの馬鹿騒ぎの要素も入り込んで来ているようだ。特に都会ではその傾向が強まるのかもしれない。静かな筈と思って旧市街を選んだのが、かえって仇になった。

観光と云っても半日、リマト川周辺、旧市街、グロスミュンスター(大寺院)、チューリッヒ美術館などを巡った。大聖堂ではすれ違いが難しい程狭い階段で、塔の上まで登ったが、足元に広がる市街地の向こうに夕闇迫るのチューリッヒ湖が浮かび、美しい光景だった。日本では美術館など滅多に行かないのだが、何故かチューリッヒ美術館に飛び込んだ。それ程大きくはなく、展示品もそう期待していなかったが、ゴッホ、シスレー、セザンヌ、モネ、ピカソ、マチス、ムンク、など有名な画家の、どこかで見た記憶のある作品も混ざっていた。セガンティーニの作品が一点あった。(Alpweiden-1895)以前サン・モリッツのセガンティーニ美術館で見た大作、3部作を厚かましくもけなしたが、何故かこの作品は気に入った。

グロスミュンスター チューリッヒ市街 ファスナハト チューリッヒ美術館
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5)あとがき

前日の喧噪で寝られず、寝ぼけ眼で朝食を済ませた。どうやら宿泊者は私一人だったらしい。"ぼー"としていた処を昨日ここまで送ってくれ、迎えを約束していたタクシーに呼び出され、9時半ホテルを出発。15分程でチューリッヒ空港に到着した。未だチェックイン受付前で最後の土産調達など十分時間があった。午後1:05発のJAL−スイス航空共同運行便はほぼ予定通り離陸した。トラブルといえば預けたリュックサックのタグが取れていて、乗っていないと成田に連絡が来ていた。昨年と同様事故扱い。急ぎの物も入っていなかったし、帰りの荷物が軽くなって助かった。往きだと困るが、復路のこの種の事故は大歓迎。ほどなく無事宅急便で届いた。(無料)

今度の旅行の特色はなんといっても学校時代の同級生と一同に会し、しかも海外で滑ったことである。40年を隔てた久しぶりのスキー行で、しようと思っても滅多に出来ない経験であり大変楽しかった。企画してくれたK君に感謝。

バルーガ尾根/ザンクト・アントン
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今回訪れたスキー場はザンクト・アントンを除いて日本ではそれ程有名ではない場所である。しかしそれぞれ日本のスキー場と較べると規模に大きな差がある。一例を挙げれば、今回バート・ガスタインの5つのスキー場を滑ったが、この付近のスキー場を運営する団体?"SKI AMADE"のリフトパスで滑れるスキー場が、5地区、スキー場数:25、リフト数:270、コース総延長:860Kmとのことであるからその規模は想像がつかないほどである。一生掛けても滑られない新しいスキー場がいくらでもあることを実感し、意を新たにした。



6)その他諸々−スキー旅行のノウハウ

a)スキー靴の新調

今回ザンクト・アントンを旅行計画に入れた理由は前に触れたが、スキー靴新調のためといってよい。5年前同じメーカーの靴を購入し具合良かったが、そろそろ不具合箇所が出始め、新調しようと決心したのである。インナーブーツにシリコーン発泡ゴムを圧入、硬化するタイプのものである。

作業方法を説明すると
(1)まず足型を計測し、近いサイズ(長さ、幅)のアウターブーツを選ぶ。
(2)素足に片面に接着剤の付いた数ミリ厚のフエルトをハサミで切り出し、小指、くるぶしなど遊びが欲しい部分に貼ってゆく。(何処にどの様な形状の物を貼るかにノウハウがあるようだ)
(3)その上に普段の靴下を履き、足入れをし、締め具を強く締め上げる。
(4)立ち上がり、やや前傾姿勢で取っ手を握り、体重を掛ける。
(5)発泡シリコーン樹脂(2液性)の圧入を開始、注入完了後8〜10分そのままの姿勢を保つ。(その間反応熱で温まるのが判る)

痛い程の強烈な圧力を感じ、靴をはずした時には血液が流れ出すのが分かる程だった。苦痛を和らげるためか、シュナップス(40°ほどの強い果実の蒸留酒)が振る舞われた。

ザンクト・アントンの街
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以上の作業はザンクト・アントンのスポーツ店"Alber"でやってもらった。ブーツのメーカー名はバスで30分程離れたレッヒに工場のある"STROLZ(シュトロルツ)"。数年前日本の代理店の広告を見たことがあるが、現在も取り扱っているのか不明である。5年前の感覚を覚えていないので比較は困難だが、とにかく違和感がなく始めて履いた靴という感じがしなかった。長時間履いていても全然疲れず気に入っている。因みに購入時はユーロ高で¥140/ユーロ近かったが、それでも免税分を考慮すると円換算6万円台だった。内容を考えると高くはないと思う。確か日本代理店の当時の価格は10万円を超えていたように記憶している。

b)スキー場事情

◎リフトとリフトパス
最近日本で設置される大型のロープウェイを見ると、○○索道(株)などという銘板の隣に海外メーカーの銘板が並んでいたりする。実質後者の製品である。元々海外メーカーの技術を導入しているので、ヨーロッパに行ってもリフトに関しては全く違和感はない。その中で最も顕著な違いはTバーリフト(T字型のバーを尻に当て引っ張る方式の二人乗りリフト、ドイツ語ではシュレップリフトという)の存在である。日本のリフトを優に越える長さ、傾斜のものさえ珍しくない。一つの理由は氷河地帯など地盤の良くない場所で他の選択肢がない場合もあるが、輸送のコストパフォーマンスから柔軟な選択がされているようだ。しばしばスキー場巡りに欠かせない重要な位置にあることも多いので慣れておく必要がある。斜面の凹凸を吸収し滑らかにしようと努力するより、むしろ足を突っ張って体をバーに預けてしまった方が楽で慣れればそれ程疲れるものではない。

氷河地帯のTバーリフト カウンターのみのゲート ICカード、磁気カード両用
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現在リフトパスは大体2方式に統一されている。サイズは名刺大であるが、一方は非接触ICカードで日本のものより感度が良いことは前に書いた。他方は磁気カードでゲートのスリットに差し込む。どちらかというと規模の小さい所で使われている。両方に対応するゲートを使用するスキー場もある。前者は場所によって異なるが、購入時円換算500〜¥600のデポジット料を加算される。スキー場上部の、特にTバーリフトなどは人数把握のためのカウンターだけのものも多い。リフト料金は勿論場所によって異なるが、¥4,000/日位で、この処日本の料金も下がっているので大体同レベルと考えて良い。男性65歳、女性60歳以上は20%割引が普通である。長期のリフトパス(6日?以上)の購入には写真が必要な所もあるので予め用意してゆく方がよい。フリムス・ラークスでは5日の以内は続けてでなくとも好きな日に使える方式。シニア割引適用は6日以上でここでは対象外だった。詳細はスキー場によって違いがあるので、予めホームページで調べられれば最高。最後に付け加えるがセーフティーバー(リフトからの落下を防ぐ足置きと棒)の使用は日本と違って厳格に守られている。

ヨーロッパのスキー場は例えリフトでつながれていなくとも、リフトパスはかなり広い範囲の周辺スキー場と共通で、無料のスキーバスでつながれ、広い範囲を滑られるのが魅力だ。

◎スキー場での休憩、食事、ほか
すべてではないが、リフトの接続点の要所々々にはレストランがある。日本と同様ほとんどがセルフ方式で、注文料理名くらいの会話で済む。Spaghetti、Suppe mit Brot(パン付スープ)、Bratwurst mit Pommes frites(フライドポテト付き焼きソーセージ)などと飲み物が大体千円前後くらいで済ませられるメニュー。(水も有料)

シュパゲッティーボロネーゼ 注) ブラートブルスト ミット ポムフリ
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注) おそらく"スパゲッティー ミートソース"では通じない。

トイレはロープウェイの駅など大きな建物には大抵あるが、確実なのはレストラン。WC(ヴェー・ツェー)またはトワレッテ(Toilette)という。Herren−男、Damen−女、または表示マークがある。「へーれん、ダメでどっちに入ればいいんだ。」という笑い話があるが・・・。

朝TVを点けるとスキー場の天気、気温、風速、積雪などのデータ、各スキー場の催しのPRなどをライブカメラと共に放送するチャンネルがある。−ORF2(オーストリア)、Tw1(スイス)。両国共スキーを重要な観光産業の柱にしているからであろうが、映像でしか伝わりにくい視界など実感できて便利である。それにしても出てくるスキー場の多さにはびっくりする。

今回訪れた三か所ではロープウェイ乗り場などスキー場要所々々に状況を表示する電光板があったが、ザンクト・アントンのものが最も多機能で、リフト地図と、気温などのデータの他にリフトの運行状況、コースの閉鎖など表示され、スキー場の状況が一目で分かる工夫がされていた。

スキー場表示盤
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c)ホテル暮らし

学生時代の同級生と同宿したバート・ガスタインのホテル"ヴィルト バート"を中心にホテル暮らしに触れる。ここを含めて冒頭に書いたように予約はすべてメールで行った。ホテルは地域を指定し、都心の各国政府観光局から送ってもらったホテルリストの中からホームページを参考に選び、メールで予約した。

ホテルでの最初の作業はチェックイン。宿泊カードに記入することになる。名前は良いとして、住所は表記方法が少し違うのであわてないように前もって考えて置くとよい。ズバリ対応させる訳にはゆかないので、例えば、
 (1)Strasse(通り):○丁目−○○番地−○○号 ○○町
 (2)PLZ(郵便番号)/City:7桁郵便番号 ○○市(区) Tokyo
 (3)Land(国):JAPAN
の順で書く。またUnterschrift(署名)の欄であるが、漢字で書いてはどうだろう。クレジットカード使用の場合の署名をカード裏書と同じ漢字とするのは当然だが、その他の場合でも、彼等の見慣れた目に無理したアルファベットまがいの変なサインより漢字の方が上手下手がばれず、余程気が利いている。漢字そのものが珍しく、興味を引くことをしばしば経験した。

朝食は一般に7:30からである。朝食はバイキング形式で "Kaffee oder Tee?" と個別に聞かれ、サービスされるが、その他ハム、チーズ、ミルク、ヨーグルト、各種ジュース、デザート、果物、パンなどは好みで自由に取る。特にパンは種類が多いのに驚く。慣れないと取りすぎて残す傾向があるので注意。海外生活を始めると食べ物が大きく変わり、問題となるのが便秘である。これまでの経験から朝食には必ずシリアルを中心にとることにしている。向こうでは"ミュスリ Muesli"というが、穀類と乾燥果実、木の実など混ざったものが種々ありミルク、ヨーグルトなどをかけて食べる。それ程旨いものではないが、良く噛まざるを得ないのと食物繊維が豊富なことから、腹具合の調整には効果抜群である。日本でもこの習慣は続けてもよいと思うのだが、種類が少ない上、不味くて高く、その気になれない。

四つ星ホテル"ヴィルト バート"ではこの季節は午後3時から4時半"シーヤウゼ(Skijause)"というティータイムがあった。ケーキ類はセルフサービス、無料である。スキーを早めに終わらせてこのサービスを何度か利用した。
またここは温泉地であり、プールこそ無かったもののサウナは充実していた。乾式、湿式両方が複数あった。男女混浴で下着は付けないことになっている。現に女性と遭遇したことがあるがまったくこだわりは無く、こちらの方が目の遣り場に困った。乾式サウナの温度は日本よりやや低めのようだ。

朝、ティータイム−バイキング形式 "チター"の生演奏
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夕食は6時半頃からで必ず飲み物を聞かれる。普段晩酌の習慣はないのだがつい飲んでしまう。まずサラダはセルフサービスで好きなものをとる。スープ、メインディッシュなど数種類ずつあって朝の内に予約しておく。料理の"間"は結構長く、特に一人の時は少々持て余しがちである。この傾向は高級になればなるほど強く、2時間近い食事時間を覚悟する必要がある。この給仕方法はそれ程大昔からのものでなく、帝政ロシア時代に宮廷で出来た習慣の逆輸入だそうで、せっかちな日本人にとっては性に合わない。金曜の夕食はいつもより豪華な食事が饗されることが多い。その日"チター"の生演奏があった。

最後に日本人が悩むチップのことであるが、国、ホテルの経営形態によって異なるようで一律にはゆかないが、家族経営的な小さいホテル、特にスイスでは特別に何かしてもらわない限りチップは不要。勘定の時端数を当てる程度で良い。その他の場合でも1ユーロ程度。使いづらい小銭を処理するチャンスである。今回は折り紙を持って行って子供達に折って与えたが、(後述)顔の部分にコインを挟んで渡した"シャツ"の折り紙のチップは受けた。

チップに使った折り紙
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d)鉄道の旅

このテーマについてはこれまでも何回か触れたが、なるべく重複しないように補足する。前に書いたようにチューリッヒ−バート・ガスタイン間は国際切符となり有効期限2ヶ月。従って往復切符が買えたが、円換算¥17,000だった。(往復約1,000Km、サルガンス−クール間は別料金)今回切符購入の際、予め日付、出発、経由地、到着駅を印した旅行プランを用意してゆき窓口で提示した。特に地名は外国人にとって発音が難しいし、書いた物を提示することによって間違いがなく、しかも短時間で済ませられる。このアイディアは実は今回同行したK氏の発案で、少し複雑な旅行の場合は特に有効であると感じた。

鉄道のダイアはThomas cook社の"EUROPEAN TIMETABLE"に加え、最近見つけたサイト"SBB Online" (http://www.sbb.ch/en/−English version)で確認。プリントアウトし持って行った。期間中すべて計画通りに移動でき大変役立った。(月日、発駅、到着駅、出発or到着時間を入力すると数通りの候補が表示され、さらに個々について乗換駅、接続、場合によっては何番線発など詳細情報が検索できる。−スイス国鉄のサイト)

e)国際電話のかけ方

承知の方も多いと思い気がひけるが、知らない人にとっては重要なのでお付き合い願いたい。近年複数の電話会社ができ支払い方法も多様化しているので、ごく一般的な最小限の解説にとどめる。電話を掛ける方法は(1)コイン、(2)テレホンカード、(3)クレジットカードの三つである。昔と違って電話料金も安くなり、2ユーロコインでも2分以上話せるようになったので、簡単な話で何度も掛けるのでなければ(1)のコインがよい。ただし1ユーロ以下になると残金は戻らない。(残り料金がリアルタイムで表示される)何回も掛ける場合はロスが多いので(2)テレホンカードがお勧め、端数も正常に処理される。(3)クレジットカードもこの点は同じだが台数が少なく、駅、インフォルマチオンなど限られた場所にしかないことが欠点である。

◎海外から日本へ
(1)−81−(2)−(3)
(1)その国の国際電話認識番号(ヨーロッパは00の国が多い、アメリカは011)、81は日本の国番号、(2)は市外局番から頭のゼロを除いたもの(例えば東京は3、横浜は45)、(3)は相手の局番、電話番号

◎日本から海外へ
(1)−010−(2)−(3)
(1)は例えば、KDDI経由:001、NTT経由:0033、(2)は国番号( スイス:41,オーストリア:43、ドイツ:49、フランス:33、イタリア:39、アメリカ:1など)、(3)相手の電話番号(頭にゼロがあれば除く)

今回の旅でこの知識が役立った例を一つ。ラークスポストのバス停に降りた時、当てにしていたタクシーがなく、ホテルの場所が分からず困ってしまった。これまでメールでのみで連絡をとっていたので、ホテルの電話番号は控えていなかった。自宅に連絡先のメモを残してきたことを思い出し、自宅に国際電話して聞いたが、それは外国からかける時の電話番号。近くにある看板の電話番号を見て思い出し、国番号は知っていたので除外、頭にゼロを付けることですぐホテルに通じた。日も暮れていてピンチだったが、電話のかけ方を覚えていて助かった。

ラークスポスト バス停
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f)外国人との触れ合い−折り紙のこと

スキー場で見ず知らずの外国人との交流はスキー場ではリフトとホテルに同宿した人々ということになる。前者では特にTバーリフトではないだろうか。2人でバランスを取るという共同作業。共に手をふさがれている上、他にすることもないし、自然と話しかけざるを得ない雰囲気になる。リフトがきっかけで十数人とは話していると思う。内容は例によって自分の旅行の話を披露するのだが、3週間のスキー旅行はあちらでも珍しいのか、何でそんなに長く旅行できるのか聞かれるので、年齢を明かし既にリタイアーしていることを告げると大抵驚かれた。「時間はいくらでもあるが問題は金だ。」といって大笑いになった。フリムス・ラークスで会った女性はシュトットガルトから来たということだが、日本のことにかなり詳しいので職業を聞いてみたら、ワインの貿易をしていて毎年日本に来ているとのことだった。同じくフリムス・ラークスのリフトで会った16と12歳の兄弟は私が日本人だと分かると、日本語を教えろといろいろ聞いて来た。後で分かったのだが、どうやら日本語に対する興味は日本のTV漫画から来ているようだった。意気投合して一緒に滑ろうというので、フォアラップ頂上付近から麓まで付き合った。所々で止まり私をかばう素振りをするので、無視してスピードを上げ彼等を振り切って滑り、上手いと言わせた。距離を聞いたら約10Kmのコースだった。

今年の旅行には実は折り紙を持参していった。あるホームページで折り紙を使って向こうで受けた話を知ったので、そのアイディアを借りたのだ。成田の税関を通過してから何気なく立ち寄った売店で「英語で折り紙」という本を見つけた。英語が併記されているので買ったのだがこれが役立った。今回泊まった三か所のホテルで子供がいる同宿の客を見つけると、子供達に夜の間に折り溜めた"折り紙"を与えた。これが仲々好評で、子供達だけでなくその親にもかなりの反響があった。バート・ガスタインで会った子供連れの父親からは、自分の所属する合唱団のCDをお礼としてもらった。「私はバスク人で、東京でも演奏会をしたことがある。」といっていた。
 (バスク人:スペインとフランスの国境付近に住んでいる民族で、この前スペインの列車爆破事件の際、独立運動の連中の仕業だと濡れ衣を着せられた)

折り紙の例 お礼にもらった絵とCD
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またフリムス・ラークスではステファニィー(Stefanie)とイザベラ(Isabella)という5,6歳の女の子がナプキンをいろいろな形に折って遊んでいるのを見て、折り紙にも興味があるのではないかと思い、かなりの種類をまとめてあげたら、私がラークスを旅立つ朝、絵をお礼にくれた。予想もしていなかったので、びっくりすると同時に大変嬉しかった。前に書いたがコインを挟んだシャツの折り紙はメイドに大受けだった。白鳥など形の良いものもよいが、カラス、鳩、蛙のような動く折り紙が特に興味を引くようだ。

今年はこんな事でスキー旅行を終えたが、来年もまたという新たな欲望が湧いてきた。体力を維持し末永く続けたいものだ。ステファニィーとイザベラちゃんの描いた絵を眺めながら決意を新たにしている。

−以上−      

2004年4月8日  田中 あきひろ