1)2006年、旅行経路と日程

今年の旅行の主テーマはエギーユ・ド・ミディ山頂(3,852m)から麓のシャモニーまで氷河を滑る、いわゆる「バレ・ブランシュ」に挑戦することだった。このため時期を全体に半月遅くし、しかも最後に付けることでこのシャモニーの時期を気候の安定する3月に設定し、そこから全体計画を作ったのだが、もくろみは見事に外れ、結果は失敗に終わった。この顛末は後で詳しく述べるとして、第1週 ドロミテ(イタリア北東部)、第2週 イシュグル(チロル南部−スイス国境)、第3週 シャモニー(フランス中東部)となった。今回の旅は全般的に天候に恵まれず、およそ各所2日ずつの晴れを経験したのみだった。3週間殆ど雲も見なかった2003年と対比をつい思い出してしまった。

ドロミテは今回2度目であるが、昨年に続いて同行した友人K氏の強い要望で決まった。前回(2000年)と異なり、宿泊地は当初、コルバラを探していたのだがホテルがとれずラ・ヴィラになった。イシュグルは日本ではそれ程知名度はないが、旅行経路を考慮し選択した。スキー場は想像以上に規模も大きく多様で楽しめた。シャモニーはモンブラン、エギーユ・ド・ミディ、グランジョラスなどヨーロッパ・アルプス全体で随一の高山の麓にあり、周辺にスキー場も点在している。登山の基地としても名高い。

成田空港=チューリッヒ空港−(鉄道)−インスブルック:1泊−(鉄道)−フォルテッツア経由ブルニコ−(バス)−ラ・ヴィラ(イタリア):7泊−(バス)−ブルニコ−(鉄道)−インスブルック経由ランデック−(バス)−イシュグル(チロル/オーストリア):6泊−(バス)−ランデック−(鉄道)−チューリッヒ経由ジュネーブ(スイス):1泊−(バス)−シャモニー(フランス):7泊−(バス)−ジュネーブ空港=チューリッヒ空港=成田
(+機中1泊)、2月17日出発、3月12日帰国/全23泊24日間


2)ドロミテ(イタリア)

ドロミテは日本でも有名で人気が高い。それ程際だった長いコースがあるわけでもないが、何しろリフトも多く、何度通っても滑り尽くすのは困難なほど面積が広大である。その中で特に人気のあるのはコルチナ・ダンペッツォ周辺のクリスタッロ、トファーナなどと、ラガッツォイを越えて、セラ山群の周辺およびマルモラーダであるが、実はその西側にも更に広大な部分が未だ日本では情報の少ない状態で残されている。険しい岩山とドロミテの名の由来でもある鉱石「ドロマイト」のやや明るい岩石の色が素晴らしい景観を作り出している。(反対に鉱石名「ドロマイト」が地名に由来しているのかも知れないが・・・)
今回この地はK氏の他に昨年と同様TさんとK氏の友達、計4人で滞在したことを付け加えておく。K氏には比較的新しい、一年前の記憶を基に案内してもらった。

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ドロミテの岩山 セラ山群

a)ラ・ヴィラへのアプローチ

ドロミテは今回2度目である。前回(2000年版参照)はツアーの一員としてベネチア観光後、チャーターバスで直接コルチナ・ダンペッツォに入ったのだが、チャーターバスのない今回は北側から入った。飛行機がチューリッヒ経由のため当日着は困難なのでインスブルックで1泊し、翌日鉄道でブレンナー峠を越え、フォルテッツァ乗り換えブルニコから路線バスでラ・ヴィラに入った。(約1時間ほど)ちなみにコルバラはラ・ヴィラの更に十数分奥、セラロンダのコース上にある。

b)スキー場案内、アルタバディア、セラロンダ

前回はホームページ立ち上げ初年度で「スキー場を紹介する」という明確な意図がまだ希薄だった事と、ツアー参加のため必要がなく、結果として地理を良く覚えていなかった事から、印象が中心となり地理には触れていなかったので、今回コルチナ・ダンペッツォ付近のスキー場情報を補足しておく。

ラ・ヴィラ(1433m)に泊まった関係で、出発はまず毎年ワールドカップで使われる大回転コースを見下ろす急峻なゴンドラを登るのだが(Piz La Villa 2077m)、帰りは必ずこのコースを滑ることになる。平行して迂回路もあるのだが、こちらも結構タフで、ホテルに戻るためには最後の4Km程のハードなコースが待ち構えていた。

ラ・ヴィラからは何処に行くにも大抵、アルタバディア台地を通過することになる。この台地は平坦で広く、特徴のある目印が少ない。特に見通しの悪い時はコースを辿るのに結構苦労した。大体この種の地図は一枚の紙に無理して納めるため距離、方向などかなりデフォルメされているケースが多いので困る。

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男女大回転コース セラロンダ、アラッパ付近 同左

セラロンダ(右回り)を3日目に実施した。セラロンダについては2000年版で説明したので省略するが、アラッパを過ぎカナッツェイ(Canazei)付近で日が差す瞬間があった程度で特に高い所はガスに覆われていた。眺望の利かないセラロンダは興味が半減する。

一日はマルモラーダ(3342m)へ出掛けた。アラッパ(1602m)からセラロンダ方向と別れて左に入るのだが、この日は朝の内日差しが出て期待したのに徐々に悪くなり、頂上付近に達した時は写真を撮るのも困難な状態だった。最後のゴンドラは「昨年は無かった」とK氏の言うとおり、今シーズン新設されたものらしい。見通しがきかないので確実ではないが、最高地点は3250mは越えていると思う。一帯は氷河地帯でさすがに高山だけあってこの時の寒さは尋常でなく、ネックウォーマーを鼻まで覆って耐えた。

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マルモラーダ方面 マルモラーダ入口

ほかに印象に残ったコースを2,3挙げておく。(地図上に太線と番号で示した)
(1)ピッツ・ラ・ヴィラからのワールドカップ大回転コースとほぼ並行した迂回コース (標高差約650m)。
(2)セラロンダにも組み込まれているコルバラ(1568m)から登る長いゴンドラ下のコース、更にセラ山内部に分け入る、Vallon(2550m)からのもの。
(3)ラ・ヴィラからさらに下流のペドラチェス(Pedraces 1324m)を経てリフト2本で達する、サン・クローチェ(S.Croce 2045m)からの気持ちよくとばせる中斜面のロングコース。(行き止まりには切り立った岩山を背景に雰囲気のある教会があり、興味を引かれた。後で 調べたらOspizio La Crusc というHospiz −老人ホームだった。)

c)スキー場案内、トファーナ

4日目は7年前とは反対にラ・ヴィラからコルチナ・ダンペッツォ側へ遠征した。と言ってもその内の一部、あの女子滑降コースで有名なトファーナまでであるが・・・。 ツアーの場合チャーターバスで移動するので何処でも問題ないが、個人旅行ではどうしても移動手段に制約を受ける。特にドロミテは広く、スキーバスが少ないので影響が大きかった。
【往路】
ラ・ヴィラ−アルタバディア−アルメンタローラ−(有料乗合タクシー)−ファルツァレゴ峠(Passo Falzarego)−(無料スキーバス)−ポコル(Pocol)−トファーナ
【復路】
ポコル−(無料スキーバス)−チンクエ・トーリ−(無料スキーバス)−ファルツァレゴ峠−(ゴンドラ)−ラガッツォイ−(馬そり)−アルメンタローラ・・・

今回のトファーナの写真は前回とほぼ同じ場所で撮ったものである。少なくともこのバーン上部は35°以上の傾斜があると思うが、前回程急には感じず難なく滑り降りた。この6年の間に多少腕前を上げたのでは? 面白半分、前回に倣ってリフト下のレストランのテラスで自分を撮影してみた。風景、建物は変わらないのに自分自身の変化に歳月の流れを感じた。今は着られぬ「つなぎ」が当時まだダブついて見えていたのに。(2000年版 3.あとがき 参照)

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トファーナ女子滑降コース 6年後

帰りは峠の手前、チンクエ トーリ(5つの塔)に寄った。新雪に突っ込み転倒、片スキーを見失うというトラブルがあったがすぐに見つかり助かった。
ファルツァレゴ峠(Passo Falzarego、2150m)まで戻り、イタリア軍が大砲を運び上げたという第一次世界大戦の古戦場ラガッツォイ(2800m)山頂までゴンドラで登り、アルメンタローラに戻った。

最後の数キロは傾斜の殆どない斜面が続くのだが、2頭立ての馬そりに数本のロープを結び、スキーヤーがそれに掴まって引っ張ってもらうという珍しいサービスがあった(1.8 Euro)。面白いので写真に残そうとしたが失敗。この写真はK氏から借用した昨年のもの。(今回、天気はこんなに良くなかった)

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第一次大戦の大砲? ラガッツォイ、元鉱山? スキーヤーを引く馬そり


3)イシュグル(チロル/オーストリア)

一週間後2月25日早朝に出発。渋滞でバスが大幅に遅れたが、予定の次の列車で元の経路をたどり、K氏と私は帰国する他の二人とインスブルックのホームであわただしく別れた。

次の訪問地、イシュグル選択については少々悩んだ。おそらく日本ではかなり情報通でも名前を聞いたことがある程度で、何処に在るかまでご存じの方は少ないのではないか?イシュグルはサン・アントンの東隣、ランデック駅から南にバスで1時間弱、スイスとの国境にある。スイス側サムナウンとはリフトで繋がれ一つのスキー場を成し、両者をまとめてシルブレッタアリーナ(Silvretta Arena)と名付けられている。サムナウンはスイスからは山奥の陸の孤島で、多分行政の手の届かない分を補う意味で、村全体が免税地区という特異な場所である。

ここを片田舎の小さなスキー場と思い行っただけに、かえってスキー場の規模、設備、集客力など実は大変驚いたのである。このように日本では殆ど知られていないスキー場がまだまだ沢山あることを改めて感じた。

a)スキー場案内

イシュグルの街の中心部からほぼ平行して3つのゴンドラが架かっており、輸送力も大変大きなものと想像出来る。一番奥の最新のものは2002年版で紹介したキッツシュタインホルンのものと同じ設計で、2本の支索で支える24人乗り、循環式のゴンドラである。

図のようにスキー場全体の約3分の1がスイス側である。それぞれアルプトリダ(スイス)、イーデーアルプ(オーストリア)にリフトの中心があり、レストランなど集まって賑わいを見せていた。また滑りごろのオフピステが各所に存在し、新雪のあと瞬く間にシュプールで埋め尽くされるといった状況が見られた。このような環境があればオフピステにも強くなるだろうとうらやましく思った。

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新ゴンドラ 山頂駅 8人乗りチェアーリフト

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2階建てゴンドラ(スイス側) スイス側スキー場 イーデーアルプ

印象に残ったコースを2,3挙げておく。(地図上に太線と番号で示した)
(1) やせ尾根のすぐ脇を通るかなり急峻なコース、風で飛ばされた岩の小片が散見された。
(2) 良く整備された上級コース。
(3) イシュグルからのゴンドラを1本分丸々滑るコース。所々緩斜面があり息をつけるが、ノンストップでは少々息の切れる長いコース。(標高差1000m)

b)イシュグル(サムナウン)の街

イシュグルの街はホテル、レストランを中心とした観光地である。予想していたよりは大きく、町並みは結構続いていた。宿泊者に対する優遇制度がここにもあり、これを利用してある日の午後スイミングプールで泳いだ。「シルブレッタセンター」がその名前で、サウナ、マッサージルームも完備している。4日目だったかホテルの夕食はパーティー形式で、ご馳走が出た。普通金曜のことが多いがここでは一日早かった。

スイス側のサムナウンは免税地区だと話したが、50軒の免税店があるとのこと。防水の駄目になった手袋を買い換えたが、スポーツ店は少なく価格も本当に安いのかどうか不明。むしろ時計、宝飾、化粧品などのブランド品を扱う店が多かった。村内は無料のスキーバスがかなりの頻度で往復しており村内の移動に便利。

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スイミングプール ディナーパーティー


4)ジュネーブの街(スイス)

最後のシャモニーが現地参加のツアーだったので、何かトラブルのあった場合を考え、合流するジュネーブに前泊するつもりでホテルを予約をしていた。結果的にはツアーが直前にミラノ経由に変更になり、単独でシャモニーに行くことになった。たまたま予約したホテルがコルナバン駅(ジュネーブ中央駅)のすぐそばにあったことと相まって、3月4日の夕刻と翌朝、レマン湖、サンピエール大聖堂など短時間ではあるが市内を見物する余裕があった。

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コルナバン駅(中央駅) レマン湖の噴水 サンピエール大聖堂
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レマン湖に遊ぶ水鳥 ルソー島とJ.J.ルソー像


5)シャモニー(フランス)

3月4日11時のバスでシャモニーへ向かった。ツアー一行に先だって午後1時前に着き、ホテルにチェックインした。午後は市内の見物に当てた。この日はシャモニーもこの時期には珍しく朝から雨で、殆どのスキー場が閉鎖されていた。(ホテルのそばのバス停にリフトの稼働状況を示す電光掲示盤があった) 後で聞いた話だが、ジュネーブ空港も大雪で閉鎖されたとのことだった。

今回の旅行は全般に天候に恵まれなかったが、ここも例外ではなかった。特に山の高い所で見通しが悪く、写真を撮ることもままならぬ状態だった。失敗に終わった「バレ・ブランシュ」は後で触れるとして、それ以外の周辺スキー場を簡単に紹介する。

a)スキー場案内、シャモニー近辺

※レ・ズーシュ(標高1000m〜1900m)
悪天候の関係で、比較的標高の低いここを2日にわたり、裏側を含めて殆どすべてのコースを滑った。2本のゴンドラが少し離れた所に平行しており、相互の連絡が必ずしも良くない。メインは滑降コースであるが、難しい箇所には迂回路が付いていて選択ができる。

※グランモンテ(1252m〜3275m)
 「バレ・ブランシュ」こそ果たせなかったが、その代わりの疑似体験がここでできた。ゴンドラ頂上駅から暫くは急傾斜のオフピステ(氷河)であるが、平行したリフトの達する高度からは圧雪されたバーンになる。ゴンドラの中間駅から下は気持ち良く飛ばせる長いコースがありノンストップで滑った。自由行動だった最終日もう一度この部分を滑る機会があった。

※ル・トゥール(1462m〜2186m)
この日は特にガスがひどくリフト2,3本登って早々に引き上げ、グランモンテに移った。

※ブレバン
モンブラン、エギーユ・ド・ミディなどとシャモニーの谷を挟んだ対岸の山。ブレバン頂上へのゴンドラは動いていなかったが、コル・コルヌ(2414m)からのバーンはオフピステを含め何回か滑った。この時は数少ない好天に恵まれ、モンブランを始めとする山々が望めた。グランジョラスは少し遠いのと斜めからの眺めになるので、有名な北壁の迫力はここからは望めない。

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モンブラン&エギーユ・ド・ミディ グランジョラス

b)スキー場案内、クールマイユール(イタリア)

2日目はモンブラントンネルを通って、クールマイユール(イタリア)に出掛けた。この日は天気が良く、雪質にも恵まれ終日楽しめた。モンブラン、グランジョラスなどを裏側から眺めたことになる。(モンブラン頂上は見えない筈)街の見物、買物などもした。この谷を下ればアオスタ、今年オリンピックの行われたトリノへは150Km程の道のりだ。フィギュアチームが直前合宿をここで行った、と日本でも報道されたが、その時は「日の丸」が街のあちこちに掲げられていたとのこと。如何に観光に力を入れているかが判る。

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モンブラン方向(イタリア側) グランジョラス(右端)

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クールマイユールスキー場 同 町並み

【参考】
モンブラントンネルは1999年3月に食料品を積んだトラックがトンネル内で発火炎上。39名の犠牲者を出し、再開に3年の歳月と多額の費用を要する事故があった。モンブラン直下をくぐり、フランス−イタリアを結ぶ、全長11.6 Kmのトンネル。事故の第一原因はトラックエンジンの過熱、発火であるが、換気装置の操作ミスなど事故後の対応にも不手際があったとされ、過熱検知のセンサーの設置、運転規制の強化、管理運営組織の一本化の対策が採られた。

c)シャモニーの町

【シャモニー市街図】

シャモニー駅から中心部へ伸びる通りは「ミッシェル・クロ通り」と名付けられている。2003年版で触れたが、マッターホルンの初登頂,英人E.ウインパー隊のガイドで、下山時に滑落死亡したあのクロである。クロがシャモニーの出身であることは知っていたが故郷の通りの名として残っていた。地図を見ていてそばに「R.Whymper通り」の名を見付けたが、あのウィンパーとの関係あるのか判らない。この駅前通りと直行するDr.パッカード通りを中心にレストラン、食料品店、土産物屋、スポーツ用品店、スーパーなどが軒を連ねている。和食、中華料理の店も2,3ある。3月8日(水)の夕食はホテルの食事をパスしてその内の一軒の中華料理店で食べたが暫くぶりで旨かった。

もちろん今回旅したスキー場としては一番大きい街でありカジノまである。「Casino」という看板は街の所々に見られるが、「Casino」という名のスーパーチェーン店があるので紛らわしいが、本当のカジノ(賭博場)は一軒だけである。カジノ前の広場に銅像があるが、モンブランの方向を指差しているとのこと。あの有名な登山学校、山岳博物館など場所を地図中に番号で示す。

[BUS] マークはスキーバス、市内循環バスの停留所で、朝夕は特に頻繁に走っておりリフト券さえ持っていればスキー場の往復、市内の移動に不便はない。

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パッカード通り 街角の観光馬車 スキー登山学校

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カジノ カジノ前広場銅像 山岳博物館内部

d)「バレ・ブランシュ」敗退の記

「バレ・ブランシュ」はエギーユ・ド・ミディ(3842m)から地図【シャモニー近辺】に点線で示したように氷河伝いにシャモニーの町(1035m)まで滑り降りるコースである。 (標高差1800m 全長20Km余)
氷河と言うとすぐ、クレバス、青氷などを荒々しい光景を想像するが、大方の部分はそのようなことはなく、私も氷河のあるスキー場は何度となく滑っているが、氷河は冬の間特に存在感が希薄と何度か書いたように、コースの一部として普通に組み込まれている。とはいえ危険防止の為、ザイルを使い行動するためのハーネス、雪崩の際の捜索のための電波発信機(ビーコン)の装着およびガイドの同行が義務付けられている。また時期としては積雪の多く、天候の安定する3月に入ってからが良いと聞き、今回の日程を決めた。

シャモニー3日目、3月7日に「バレ・ブランシュ」は実施された。ケーブル下で装備を着け、ゴンドラ2本でエギーユ・ド・ミディ(3842m)に登った。初めの氷河に降りるまでは急な尾根を下ることになるので、頂上駅のトンネル内でザイルを結び20名程のパーティーを作った。(ガイド3名)トンネルを出た途端、もの凄い強風に見舞われ、視界も殆ど利かなかった。出発したものの途中で引き返す指示がガイドから出た。後で聞いた処によると、氷河に降りるまでの3分の1位の所だったそうである。

この日は1週間の中で特に悪い天気という訳ではなかったが、パーティーの一人が持っていた温度計に寄ると、トンネル内で−24°C。トンネルを出た途端に−30°C以下になったと聞いた。気温はともかく強風は半端ではなかった。結果的には局部的、短時間のものだったらしく、前後に難なく通過したグループもあったようである。少し時間がずれていれば、あるいはもう少し小さなパーティーで迅速に行動できていたら、などと考えてしまった。もちろん軽い凍傷に罹った人が数名出たことから、引っ返したこと自体は当然の処置だと納得できるが、不運というより仕方がない。

そんな状況で自分でもどんな景色の中に立っていたのかも判らずじまい。帰ってから登山愛好家S氏に付近の写真を見せてもらった。掲載許可をもらったので参考までに付加する。(右下2枚、但し季節は夏)

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「バレ・ブランシュ」スタート前 エギーユから見たモンブラン エギーユ・ド・ミディ


6)あとがき

3月11日早朝一行と別れて、ジュネーブ行の路線バスに乗った。帰りは個人的には単独行動の必要はないのだが、往路の航空会社を変えることは出来ないのでやむを得ない。帰路はチューリッヒ経由で、その便は1時間ほど遅れたが、元々チューリッヒでのトランジットには余裕があり大事には至らなかった。同じ航空会社なのでたとえ遅れても必ず待っているとは思っていたが。この日もジュネーブは雨こそ降らなかったがどんよりとした天気で、今年の旅を象徴しているかの様だった。成田に着いた時は3月12日、さすがに暖かく感じ、思わず防寒コートを脱いだ。

「バレ・ブランシュ」が叶わなかったのは残念だが天候のせいでやむを得ない。再度挑戦する意欲は充分あるのだが、その機会は果たして訪れるだろうか?そのほか今回の旅は別段トラブルもなく、予定通り終わり安堵した。旅行は続けたいと思っているが来シーズンは果たして?


7)その他諸々

a)ヘルメットの着用

昨年ホームページの最後に「ヘルメット装着の勧め」に触れたが、今年から試用し始めた。昨年私の所属するスキークラブの仲間が他のスキーヤーにぶつけられ、一晩入院するという事故があった。ヘルメットは選手の為だけのものではないと仲間内で話し合い、我々熟年組の何人かが今シーズンから使い始めた。前々から気づいていたことだが、海外では一般のスキーヤーも日本に比べかなり多くが着用している。使ってみて大変重宝しているが、一番の利点は暖かいことである。初め重いのではないかと心配していたが、全く気にならない程度だと直ぐに分かった。日差しの強くなる春先はあご先だけ変に日焼けする心配があるが、今後も使い続けるだろうと思う。もちろん安全のことを考えて。

b)海外旅行費用のこと

このテーマはこれまでの問い合わせ内容をみると、一般に最大関心事のようであり、いつかは触れねばならないと感じていた。国内旅行にしろやり方は千差万別、まして内外格差などとなると答え難い難問である。同レベルでの内外比較になっているかも自信がないし、何の保証もないことを承知いただいた上でこのテーマに簡単に触れる。

※航空運賃
我々の利用するのはまずエコノミーの格安航空券だろうと思うが、時期によって価格がかなり上下する。と言うより路線個々の状況によって変わる。例えば「ホノルルマラソン」前後のホノルル線が値上がりするのはこの例である。スキーのシーズンの中では正月はもちろん大幅に高くなるので、事情が許せば避ける方が賢明だ。従って1月下旬から2月中旬が我々の活動時期になる。しかし格安航空券にも色々なランクがあるそうで、一般に高い料金の方が変更の自由度が高いと言える。またオーバーブッキングの際、ビジネスクラスに移れるのも料金の高い順だそうだ。昨年書いたが往復共ビジネスクラスに移ったという珍しい例も身近にある。今年は石油価格の高騰で少なくとも1万円以上値上がりしているが、この時期だとヨーロッパ線で往復10〜12万円代と思う。ヨーロッパ内1フライトはこの中に含まれる。この費用は滞在日数には無関係なので、短期間では一日あたりの負担は当然高くなる。まとめて休みが取れることが望ましい。

※ホテル代
宿泊施設はホテルの他に、家族経営で普通朝食のみ対応するホテルガルニ、自炊を前提としたアパルトメントなど形式は色々ある。普通我々の利用するホテルは通常2〜5の星の数でランク付けされるが、地区によって規準が異り、必ずしも星数がサービスの善し悪しを表すとも言えず、価格もしかりである。もちろん国、場所によって差はあるが3つ星クラスで100ユーロ/1泊以下が一つの目安になる。1ユーロは現在140円位だが物価全体の実感として100円程度の価値と考えると宿代は他の物価に比しそれ程高いとは言えない。地域によって差は当然あるが、フランスは経験が少ないので別にして、スイスはオーストリア、イタリアに比べ一般的に物価が高目という実感は否めない。

※鉄道運賃
既に日本でも長距離の場合、特急を使わないことは実質的に出来ない仕組みになっているが、向こうでは一部を除いて寝台車、指定席以外、特急料金の付加はない。運賃について今回の例でいうとチューリッヒ−インスブルック−ジュネーブ計853Km、料金208CHF 日本円換算 約\19,000 だった。日本に当てはめると距離は東京−広島間、新幹線に乗る料金とほぼ同じ、差はない。因みに2カ国以上にまたがる国際キップは有効期間2ヶ月と長い。

※リフト代
   場所                Euro/日  Yen/日(大人, ハイシーズン)
 ドロミテ :   194 Euro/6日   32.3         4,520
 イシュグル:  178 Euro/6日   29.6         4,142
日本ではここ数年スキー人口の減少から割引合戦で実質\3,000/日位と思うが、それでも設備の質、量を考慮し比較すると高くはないと思う。

※昼食代(スキー場内セルフサービスのレストラン)
もちろん贅沢すればキリはないことは日本でも同じだが、計10ユーロであげようとすると例えばパスタと飲物、パンとスープなど2,3品までのの料理に限られるが、量的には十分過ぎる位である。但し水も有料でビールとそれ程の差はない。

以上総合的に考えると、海外スキー旅行の費用は航空料金を除いて、国、地域で差はあるが、総じてバブルの弾けた現在の日本とそれ程変わらないと言うのが、月並みではあるが私の結論である。スキー場を含む質を考慮に入れるとそれ以上のメリットがあると思う。但し旅のノウハウを積み重ね無駄な出費を抑えることが前提であるが。これまでも書いたがインターネットの普及によって昔に比べ個人旅行も随分楽になったものだ。 旅行会社のツアーはそれなりのメリットもあるがその分の費用はかかる。当然個人旅行の方が経済的なことは間違いない。

−以上−      

2006年4月6日  田中 あきひろ