1)2009年、旅行経路と日程

【今年の旅行経路】

成田=フランクフルト=インスブルック(1泊)−(鉄道)−ブルーデンツ−シュルンス(8泊)−(鉄道)−サン・アントン−(バス)−ランデック−(バス)−サーファウス(6泊)−(鉄道)−インスブルック(1泊)−(バス)−ミュンヒェン=成田 (=:航空機、−:鉄道、バス)
2月13日出発、3月2日帰国、16泊+(機中泊)/全18日間
※帰途インスブルック−フランクフルト間が欠航となり、バスでミュンヘン。ミュンヘンからは幸いに成田直行便があったが、経路変更となった。−後述

今年は計画にゆとりを持たせ、前後にインスブルック1泊を加えた。お陰で余裕のある旅が出来た。インスブルックにはこれまでも何度か滞在したが、今回泊まったホテルは旧市街「黄金の小屋根」の近くの「Weisses Kreuz(白十字)」。建物は1445年と古いが、内部は手入れも行き届き、清潔でその上宿泊費も比較的安く快適だった。人気があるようで予約の取りにくいホテルらしいが、今回は昨年10月の手配が効を奏したようだ。街の様子といえば路面電車が赤色の新型車に替わったのが目に付いた位。黄金の小屋根と王宮の写真を載せる。

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Hotel Weisses Kreuz 黄金の小屋根 王宮と背後に聳える山


2)モンタフォン/フォアアールベルク州/オーストリア

翌日モンタフォンへ向かう道すがらサン・アントンで途中下車。スポーツ店「Alber」に寄り道して、スキー靴「シュトロルツ」の変形したバックルを交換して貰った。「シュトロルツ」については最終章でも触れるが、修繕費は無料だった。シュルンス(schruns)はブルーデンツから私鉄 MBS(Montafon Bludenz Schruns Bahn)でモンタフォンの谷を20分程入った終点である。この鉄道は1905年に地元の熱意により開通した100年を越える歴史あるものだそうだ。モンタフォンの谷は結構奥深い。冬期以外は峠越えの道が、2006年に訪れたイシュグルを経て、ランデックに繋がっている。
宿泊した「タウベ(Taube)」は徒歩5分程、駅近くにあった。通りがかりの子供達に案内してもらって、持っていた干し柿を御礼にした。因みに柿はドイツ語でも”Kaki” で通じる。(宿所 Taube については最終章で触れる)

モンタフォンのスキー場は4っから成り、リフト総数:61、滑走距離290Kmで、2006年に訪れたイシュグルに近い規模と思う。互いに無料のスキーバスでつながれている。スキーバスはすべてシュルンス駅前から出る。(厳密に言うとリフト料金の中に含まれていて、スキーの格好をしていれば検札なし)
リフト料金はハイ・シーズン、シニア(65才以上)、7日で182ユーロだった。モンタフォン全スキー場共通。

【モンタフォン,4っのスキー場】

各スキー場へのバスの路線番号を付す。駅前のバス停には路線番号の表示がある。

a)ホーホヨッホ/シルブレッタモンタフォン
b)ノーバ/シルブレッタモンタフォン
c)ゴルム
d)ガルゲレン
複数、徒歩可
85
  1
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MBS鉄道 シュルンス駅 &バス停

a)ホーホヨッホ/シルブレッタモンタフォン

【リフト地図】

シルブレッタモンタフォンの名を冠するのは共通だが、次項に挙げるノーバとはリフトでは繋がっていない。最もシュルンス駅(宿)から近いスキー場で入口のロープウェイ谷駅へは徒歩10分程で行ける距離にある。このロープウェイ(Hoch Joch Bahn)は少し変わっていて、中間駅のあるつるべ式で、曳航索は半分しか動かさない。その為人は中間駅で乗り換えねばならないが、その代わり箱が4つ付けられ、コストアップを押さえて輸送力を増強したものと思われる。ちょっとしたアイディアだと思った。今は殆ど循環式が主流だが元々あった旧いものを改造したのではないか?

また2003年に訪れたセルデンにもあったが、スキートンネル(スキーのコースとして作られたトンネル)がここにもあった。こちらの方がずっと長いようだ。センニグラートを越えるとその先結構奥が深く、なだらかで雪質が良く楽しめた。景色も良かった。途中で30度ほど方向を変えるチェアーリフトがあった。ちょっと珍しいのでその部分の機構を撮っておいた。

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乗換中間駅 スキートンネル

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Grasjoch   付近 方向変換リフト

b)ノーバ/シルブレッタモンタフォン

【リフト地図】

このスキー場が4っの中で最大、2つの尾根にまたがっている。黒(上級)コースはこの間の谷に集中している。2日にわたって通ったが、初日は天気も快晴で人出も多く、山々の景色が素晴らしかった。山々の風景とVALISELAとNOVA両尾根のリフト頂上付近のパノラマ合成写真を紹介する。GARFRECHAも含め主要なコースはほぼ巡った。

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Schwarzkoepfe   付近からの山々

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Hochjoch,   Variserabahn   山頂駅付近

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Nova,   Versettlabahn   山頂駅付近

c)ゴルム

【リフト地図】

規模はそれ程大きくないが、良く整備されていて快適に滑れた。GOMERBAHN山頂駅付近のゲレンデの幅広さには圧倒された。GOLMERJOCHから短いスキートンネルがあって、これを越えると10番の黒コースに繋がるのだが、急傾斜は比較的短く5番の易しいコースに合流する。トンネルの入口に警告の看板があったがその割には大したことはなかった。このGOMERBAHN(ロープウェイ)はモンタフォンで見た中では最も新しく、設置間もないものと思われる。もちろん循環式。

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Gruenneck,   Golmerbahn   山頂駅付近

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Golmerjoch 新設   Golmerbahn

スキーリフトの下にかなり大きな貯水池があり、変電設備を持った建物があった。スキー場の一部には導水管が露出した部分もあって、間違いなく発電所、それも揚水発電所に違いないと思った。なかなか綺麗な場所だった。

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発電所 貯水池

d)ガルゲレン

【リフト地図】

ここは4つの中では小さい方である。天気も朝方小雪がちらついて視界も悪く早々に引き上げた。そのせいか写真は余りなく、印象も薄かった。SCHAFBERGBAHNは比較的新しいようだ。

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Scharfbergbahn   谷駅 Scharfberg   山頂駅付近


3)サーファウス−フィス−ラディス/チロル州/オーストリア

出国10日目次の宿泊地サーファウス(Serfaus)へ向けシュルンスを後にした。時間もたっぷりあるので再度サン・アントンで途中下車した。街をぶらついている内に再びスポーツ店「Alber」に立寄り、ここ数年変えたことのないスキー・ジャケットを購入する気になった。さすがにパンツは合いそうなものが無く、尋ねる気にもならずあきらめた。−後述

駅に戻ると列車が2時間以上無い。ふと見るとランデック行きのバスが止まっているのを見て慌てて乗り込んだ。購入済のランデックへの汽車運賃を犠牲にしたが早く着けた。運転手に聞いて少々不安に思っていたサーファウスへのバスの便を聞けたのは収穫だった。何のことはなく、終点のランデック駅バス停の同じ列から発車することを教えてもらった。

サーファウスはランデックの20q程南にあり、2006年訪れたイシュグルの東隣の谷に面している。つづら折れの道をかなり登るので40分程度は要したと思う。街に着いて一波乱あった。同じ名前のホテルとペンションがあって余り知られていない方に予約していたらしい。親切にも尋ねたホテルの人が電話で確認してくれ、それ程の距離ではないのに車で送ってくれた。

スキー場・ロゴマーク

このスキー場はサーファウス・フィス・ラディス3つの集落に跨りリフトによって繋がっている。バンフレットには3つ連名の三角マークがロゴ・マークとして使われているので、一つのスキー場として宣伝しているのは間違いない。冒頭に述べたが、特にこちらが予想していた以上に大規模で、投資も盛んに行われ、賑わっている様子が覗われた。
(2007年に訪れたツィラータールのツェル・アム・ツィラー(アリーナ)を思い出した。新しいスキー場ながら設備が新設され人出も多かった)

スキー場の規模はリフト総数:38(内ロープウェイ10)、滑走距離:195Km。リフト券はハイシーズン、シニア(65才以上)、ゲストカード付※で5日券が143ユーロだった。モンタフォンと同程度、比較は難しいが今の為替レートなら両者共¥3,500/日で、日本と変わらない水準。
 ※ゲストカード:宿泊所より発行されるカード、リフトでは約17%割引。

サーファウスからの中央のロープウェー(KOMPADELLBAHN)を上った所がコンパーデル。ここには複数のレストランなどあって、このスキー場の一つの中心であり、地図左方の奥深いRAZID−PEZID山方面の入口でもある。上部に平行して掛かるリフトは今や特別珍しいわけではないが、8人乗りのチェアーリフトで最近のものと思われる。

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8人乗りチェアーリフト

サーファウス3日目は久しぶりに雲一つない快晴で、地図左側の最奥のリフトから右奥シェーンガンプアルムまで渡り歩き、写真を撮りまくった。パノラマ合成を含む何枚かの写真をリフト地図左から順番に紹介する。
(説明文中の番号はほぼリフト地図上に記した丸文字番号の位置からの撮影)

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最奥Tバーリフト(1) Pezid 山頂よりサムナウン方面(2)

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Scheidから奥を望む(4)

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Pezid山とリフト谷駅(3) Waldbahn山頂駅(5)

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Sattelkopf(6) Zwoelfkopfから(7)/TD>

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新Almbahn谷駅(8) 同左山頂駅(7)

2007年訪れたマイアーホーフェンのベンケンに「HARAKIRI」という名のコースがあったが、地図(7)ZWOELFERKOPFからのコースの一つに「KAMIKAZE」という名が付いていた。外国人が見た日本の一面を模した言葉だろうが、前者と同じ発想に興味を持った。 ”ONLY EXPERTS” : 斜度 78%( ≒38°)との看板があった。今回は一人旅だし万一を考えて挑戦は止めた。2年前の元気は失せたかな?

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Zwoelferkopfの標識(7)

その他幾つかの遊具を見た。旗門をセットしたタイムレース練習用のコースはここにもあったが、これ等は初めて見た。

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フリースタイル系練習用エアマット(8) パラグライダー体験?

街の様子を少々。Fissのロープウェイは街より少し高い所にありこんな施設が・・・。

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サーファウス,バス停 Post 付近 Fiss,動く歩道


4)あとがき

今年は事情で2週間に短縮した事は冒頭に書いたが、いずれも日本では無名ながら予想以上に規模が大きく、設備投資も活発に行われているようで、なかなか賑わっていた。
訪問地選択に至った情報源ははっきりした記憶はないが、オーストリアではいかにもスキー王国らしく、朝7時頃全国スキー場のライブ中継を中心に気象データを報ずるTV番組がある。その数7〜80カ所、30分以上続く。主はORF−2(日本のNHK第2に相当)であるが、おそらくその辺から耳に残っていたのが発端だったように思う。

帰途少々トラブルに遭遇した。インスブルックに一泊、翌朝空港でのチェックインも済ませ旅を振り返り思いにふけっていたいた時、突然アナウンスがあった。フランクフルト経由で帰国の予定だったのだがその便が欠航とのこと。不安を抱え税関を出て航空会社のカウンターに並んだがかなりの行列、やっと順番が廻ってきた。幸いにもミュンヘンより成田直行便があり予約が取れた。預けた荷物を取りもどし航空会社のチャーターバスに乗り込んでやっとホッとした。ミュンヘンまでは180Km約2時間半、15:25の成田直行便には十分間に合った。ミュンヘンの空港は初めてだったが、初めに自動チェックイン機で航空券を入手してからでないと、チェックインカウンターまで入れない。※
操作が分からないので係員を見付けて頼んだ。どの空港も大抵そうだが、スキーはカウンターでは預からず、タグを付けてもらって後は場所を聞き自身で運ばねばならない。免税分の払い戻しも直ぐに見つかってここで済ませた。ミュンヘンからの直行便があることは初めて知ったが、毎日あるのかは不明。結果として成田に当初予定から2時間程度の遅れで着けたのは幸運だった。便が遅れて間に合うかハラハラした経験は2007年のことだが、経路まで変更したのは今回初めてである。※
この様なトラブルがあると苦労するのが言葉、特にヒアリングであるが、流れが予測できないと聞き取りにも影響する。その点では今回良い経験になったと思うが、ヒアリングの大切さを改めて感じた。・・・と何時も反省するのだが、喉元過ぎればで中々改められない。

※ 後で調べたら2001年帰りに、ここから飛び立っていることを思い出した。その時はもちろんこの自動チェックインシステムはなかった。

これを除いて大したトラブルもなく順調だった。それどころかシュルンスの宿所「タウベ」でのちょっとしたハプニング、カーニバル、サーファウスでの「スキー・ショウ」など、例年に比べ短いながら思わぬ体験が出来充実した旅だったと思う。これ等については次章で述べる。
今年70才を迎えた。「少し前までこの程度の長さのリフトはノンストップで滑っていた」と思う瞬間もあって、いつまで続けられるか不安が頭をよぎったが、次の目標はスキーリフト無料の75才までは続けたいと心を新たにして今年の旅を終えた。


5)その他諸々

a)シュルンス/モンタフォン

  @.ホテル「タウベ(Taube)」でのこと

モンタフォンの宿泊を決め初めて「タウベ」にメールしたのが昨年10月末。情報は通っている語学教室の先生からもらった。クラスのもう一人も含め、宿泊したことがあるのを知った。後で分かったことだがこのホテルには何故か日本人が数多く宿泊していて、主人"ペプシ"さんは日本びいきなのではないかと思う。大抵メール2往復で予約確定後、予約金の請求があるのが普通だが、それが無ないのがむしろ不思議だった位。日本人は信用されているらしい。

ある日彼から宿帳を渡された。見ると日本語の書き込みで溢れていた。その中に偶然私の知っている人の書き込みを見付けた。50年前私が学生だった頃習ったことのあるSAJ(日本スキー連盟)の指導員で、妙高「燕温泉」の旅館の主人でもある。書き込みの内容からすると妙高村とこの町の交流の為に1997年と2002年の2度訪れ、ここに泊まっている事が分かった。私も鳩(Taube)の折紙と共に書き込みを残した。

因みに「ノーベル賞作家、ヘミングウェイが1925−6年冬、このホテルに泊まり、スキーと作品 "Fiesta" の制作に取り組んだ」 という看板が掲げられていた。調べたところ1925年と云うと彼が未だ25才の若い時で、出世作 「日はまた昇る」 を執筆開始した年。この年スペインに行ったことは確かだが、"Fiesta"(祭り:スペイン語) という名の作品については分からなかった。

※ この件に関して私の友人K.K.さんより連絡があり、下記の事実を教えてもらった。"Fiesta" は 「日はまた昇る」 の英国での題名だったようです。いただいた情報をそのまま載せます。感謝!!
「1920年代ヘミングウェイはアメリカの雑誌の特派員としてパリ駐在中、時々スペインを訪れていて、スペインパンプローナの Fiesta(サン・フェルミン祭)の鮮やかな体験を基にして「日はまた昇る」 を書きました。この小説のイギリス版の題名が 「Fiesta」 だったようです。パンプローナのフィエスタを売り込まんとする出版社の意図があったようです。(小池滋;「スペイン・ポルトガル文学探訪」  −(NHKカルチャーアワー 文学と風土)より。」

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ホテル「タウベ」 ヘミングウェイ宿泊の看板

  A.ファッシング(カーニバル)

宿泊5日目、2月19日(木)の夕方「タウベ」の隣の教会広場でお祭りに遭遇した。バンドが何組も、屋台も出て祭の衣装で変装した親子が大勢繰り出して賑やかだった。宿の奥さんに聞いたら、「子供のためのファッシング(カーニバル)」だと言っていた。この日の宗教的な背景については不明。私も焼き栗でグリュー・ワイン※を飲んで気持ちよくなり、晩飯はスープとデザートがやっとだった。ごく一部、何枚かの写真を添える。
※赤ワインにグローブ、シナモン等の香辛料、ハチミツなど加え温めた飲み物、スキー場でもポヒュラーな飲み物の一つ。

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バンド ひと休み

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仮装した子供 同左

b)サーファウス/チロル

  @.スキー・ショウ

これも偶然であるが、滞在3日目、2月25日(水)夜9時から、サーファウスからロープウェイで上がったコンパーデル(Komperdell)でショウが行われた。このスキー場「50年史」をテーマに、アクロバッティックなフリー・スタイルスキーを含むスキー模範演技を挿み、映像、花火、レーザー光など駆使して構成された1時間強のショウだった。映像が大スクリーンは勿論、背後の雪山にも投写され、幻想的な雰囲気が醸し出されていたのが面白かった。なおこの夜はKOMPADELLBAHN 運行が夜11時まで延長され、9ユーロの特別料金だった。
なにせこのショウの撮影は絶対光量不足の中なので良い写真が無いが、雰囲気が多少でも伝われば幸いである。

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ジャンプ演技 花火

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雪山をスクリーンに 終幕

  A.スキー用具デポ・システム

このスキー場はスキー、靴を保管する設備が各ロープウェイ谷駅完備されていて低料金で預かる制度が普及している。街中をスキーを担いだり、スキー靴で歩いている姿を滅多に見掛けないのをむしろ奇異に感ずる位で、これを売り物にしている様子である。私の泊まったホテルから谷駅まで10分程度とかなりの距離だったが、このお陰で大変助かった。このスキー場は入口が3カ所に集中しているが故に可能とは思うが、この条件が満たされれば日本でも採用して欲しい制度だ。なお料金は確か 11ユーロ/4日 だった。写真添付。

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スキー預かり場所 スキー靴預かり場所

c)チェアーリフト安全対策、新設備

チェアーリフトには必ず転落防止用のセーフティー・バーが付いていて、係員だけでなく、スキーヤー同士お互いに、その使用について厳しくチェックしていることは前にも書いたが、今回行って見るとチェアーリフトには必ず新しい装置が設置されていた。山頂駅手前の柱には”ZU”(閉)の高輝度LED表示器、降り場には通過すると赤から緑に変って見える棒状の表示器が備えられていた。これ等は降りる直前までバーを上げないようそのタイミングを指示するものである。昨年はオーストリアには行っていないので何時からか、範囲はチロルだけか不明であるが、今回の出掛けた2スキー場共通で、おそらく近年オーストリア全土に設置されたのではないかと思う。
日本ではセーフティーバーが付いていないリフトもある位で認識の違いが大きい。

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リフト降り場安全対策

d)折紙の活躍

今回も折紙を持参したが各所で役立った。客室係にチップに添えて置いたり、子供達に配ったりした。御礼に布団をハート型に、或いは波形に畳んでくれていたことがあった。日本の折紙のことを知っている人もいて、親の方も結構興味を抱いたようだ。大人はどちらかと言うと、鳩とかカラスの様に動く折紙に特に関心が高い様子だった。夜はかなり暇なので制作の時間は十分ある。

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作った折紙 折紙の御礼

e)スキー靴「シュトロルツ」のこと

「シュトロルツ」はサン・アントンの奥、レッヒに工場のあるオーストリアのスキー靴メーカーである。その人の足に合わせてインナーブーツにシリコーン発泡樹脂を注入硬化させる方式で、5年に購入し現在も快適に使用している。その時の様子は2004年版に記したが、今度の旅行中サーファウスのスポーツ店にあったので、その最新情報を伝える。まず価格は529ユーロ。その店では一番高かったが、次が490ユーロ台だったから飛び抜けて高い訳ではない。現在の為替レートだと十数%の免税分の戻りを含め、6万円台で十分購入可能と云うことになる。現在の正確な価格は知らないが、日本で買うと十数万していたと聞いており、チャンスがあれば海外での購入を検討しても良いのではないだろうか?

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シュトロルツの展示

f)買物、免税手続、旅行費用など

初めから予定していた訳ではないが、そろそろ変えたいと思っていたスキーとスキー・ジャケットを思い切って購入した。もちろん円高とバーゲンセール真っ盛りという背景が根底にあった。スキーを変える時の期待と不安は何時でも変わらないと思うが、今回のように殆ど検討をせずに買ったのは初めて、道具だけでは大して変わらないことは今までも十分経験しているのにそれでも道具のせいにしたくなるものである。昨年は今頃1ユーロ170円以上だった事を考えると為替で−25%、更に−30%のバーゲン価格を考えると実質半分以下で思わず手が出てしまうのも止むを得ない。但し選択の自由度はそれ程ないことは考慮する必要がある。生活実感からいうと今のレートが正常と感じるのだが・・・。

免税手続について触れるが、1,000ユーロ以上の買い物の場合購入店で免税書類を発行してもらえる。その国の出国時に書類にサイン、スタンプを貰い、EUを出る時に換金するのが原則である。列車の場合は国境でバスポートチェックに来る税関吏に、空港の場合は税関を探してスタンプもらわねばならない。インスブルック空港の場合、中央入口入ってすぐ右側に税関の事務室があるのだが普段常駐していず、すぐ脇の電話で呼び出すと来てくれる。EUを出る時サインを貰おうと思っても手遅れなので注意。

18日間の旅行費用はこれ等買い物、土産など除いて旅行会社の9日間のツアー費用とほぼ同じ位というのが今回の概算である。円高の恩恵を大いに受けた。

−以上−      

2009年3月21日  田中 あきひろ