1)2010年、旅行経路と日程

今年は出発前から幾つかトラブルに見舞われた。
  ●当初計画した4年前のバレー・ブランシュ氷河滑走再挑戦がツアー参加者不足で中止となり、目的地を急遽変更。
  ●出発一週間前にひざ関節炎を発症し、出発が危ぶまれた。
  ●終盤、南イタリア観光中カメラを盗まれた。
・・・等ネタには苦労しない旅だった。

【今年の旅行経路】

成田=チューリッヒ−(バス)−グリンデルワルト(7泊)−(バス)−チューリッヒ(以上ツアー参加)−(鉄道)−クール(1泊)−(鉄道−ベルニナ特急)−ティラーノ−(バス)−ボルミオ(6泊)−(バス)−ティラーノ−(鉄道)−ミラノ−ローマ(5泊)=チューリッヒ=機中泊=成田   (=:航空機、−:鉄道 or バス)
2月13日出発、3月5日帰国、19泊+(機中泊)/全21日間

出発が迫ってから当初計画していた「バレー・ブランシュ氷河滑走」ツアー中止の連絡があった。既にその後の手配が完了していたので期日の変更は容易でなく、選択が限られた中、第一週は有名なグリンデルワルト(スイス)に変更した。よって第二週のボルミオ(イタリア)との位置関係からベルニナ峠越えでティラーノに出る経路に決め、条件の良い午前中に有名な「ベルニナ特急」に乗るべく、クールに1泊することにした。
ボルミオの後、今回はローマ観光を付け加えた。滞在中南イタリア、アルベロベッロとポンペイ−ナポリを訪問した。


2)グリンデルワルト/スイス


グリンデルワルト−クライネ・シャイデック−ユングフラウ・ヨッホと云えばスイス第一の代表的観光地であるが、スキー場としてはツェルマットに比し後塵を拝すようで、私もこれまで後回しにしてきたきらいがある。諸般の事情から今回ここを選択した。
ユングフラウ・ヨッホ付近はスキーは出来ないので、スキー場としては上図クライネ・シャイデック、フィルスト、シルトホルンの3っで構成される。

a)クライネ・シャイデック

【リフト地図】

クライネシャイデックからはあの有名なアイガー北壁が眼前に聳え、その景観は素晴らしい。ここからはユングフラウヨッホ(3454m)行きの支線が出ている。ご存じの通り四季を通じ観光の目玉で大変賑わっている。この線の全体の2/3は岩をくり抜いたトンネルで、途中に駅があり、外の氷河を望める窓がある。終点ユングフラウヨッホには展望台、レストラン、氷河をくり抜いた氷のトンネルなど、観光施設が用意されている。 余りに有名な観光スポットで資料に事欠かないので他に譲るが、シーズンオフの冬でもユングフラウヨッホ行電車はほぼ満員の盛況だった。

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クライネシャイデックの賑わい

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アイガー3970m−メンヒ−ユングフラウ4158m

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アイガー北壁 登山電車 地下駅 氷河トンネル

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途中駅Eismeer窓からの眺望、氷河

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ユングフラウ・ヨッホ展望台から

殆どのスキー場は登山電車の山頂駅からリフトの世界が始まるのが通例であるが、このスキー場は(登山)電車が環状につながっていて、その内側、周辺の可成り広い部分がスキー場という、ヨーロッパ広しと言えども他に例を見ないスキー場である。今回天候は万全とは往かぬまでも、要所々々で回復し、抜群の景色を見ながらのスキーを十分堪能できた。
6日目だったか リフト図中のウェンゲンアルプに下る黒(上級)コースで、滑降競技が行われており。丁度プレジャンプの場所間近で観戦する機会が得られた。写真に残したいと長時間粘ったが、デジカメではシャッタータイミングが難しく、結局よい写真は撮れなかった。

b)フィルスト

【リフト地図】

フィルスト行ロープウェイ駅はグリンデルワルト駅からバスで3っ目、未だ家並みが途切れぬ街中にある。データーは無いが、後のシルトホルンと共に、このロープウェイはかなり長い方に属すると思う。バカンスの時期に差し掛かった為か、輸送力に問題があるのか知らないが、朝長蛇の列が出来ていた。
このスキー場はユングフラウ等の山塊とグリンデルワルトの谷を隔てて対峙しており、特に中腹のレストランから見た眼前に迫る岩肌は迫力があった。最高点はオーバーヨッホ2500m。この付近は傾斜も緩く幅広いゲレンデが広がっている。コースの数はそれ程多くない。

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フィルストロープウェイ オーバーヨッホ行リフト

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オーバーヨッホ付近

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中腹シストランテラスより

ついでにグリンデルワルトの街の様子を少々挙げておく。

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グリンデルワルト駅前 スポーツセンター、インフォルマチオン

c)シルトホルン、ミューレン

【リフト地図】

シルトホルン、ミューレンはグリンデルワルトの南西、少し離れた所にある。ツアー参加はこんな時に便利で、タクシーでロープウェイ駅に直行した。このロープウェイは前に話したが長い上にジグザグに登る一寸変わったものである。頂上は観光ガイドにも良く出ている円形の展望台があり、レストラン、土産物店などが入っている。

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シルトホルンケーブル 山頂下リフト

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山頂展望台 展望台を望む

展望台直下、Riggiリフト沿いの上級コースなど天気は曇りがちだったが、滑り応えのあるコースを満喫した。帰途はミューレンの街中を散策した。ミューレンの街は少々変わっている。谷から800m程の崖の上に横たわっている結構大きな集落で、有名でもある。小型貨物車は見たので道は辛うじて繋がっているらしい。不思議なのは電車もあるのだが平行に移動するだけで両端共ケーブルカーで下界と繋がっている。おそらく歴史的背景があると思うが不明。
下図ケーブルカーを登った所はブルーメンタールの名のごとく夏は界隈随一の高山植物の宝庫だそうだ。

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ブルーメンタール行ケーブル

ミューレンの街の様子を2,3紹介しておく。

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ミューレンの街(1) ミューレンの街(2) 築100年の木造の家


3)アルタバルテリーナ/イタリア

【ベルニナ】特急

出国8日目ツアー一行とチューリッヒ空港で別れクールChurへ向かい、午後1時過ぎに着いた。翌朝のティラーノまでの「ベルニナ特急」指定券を確保すべく、到着早々切符売り場に直行した。思い切って頼んだ1等は満席、2等を確保するのがやっとだった。シーズンオフ、まして1等なら簡単に入手できると考えていたが当て外れ、前もって日本で予約しておくべきだった。クールに1泊することにしたのはコンディションの良い午前中に「ベルニナ特急」に乗りたかったからである。

クールは泊まるのは初めてだが何度か訪れている。2004年フリムス、ラークスに泊まった時は市内見物もしたし、ここ経由でアローザに日帰り遠征したりした。今回は街の見物は早々に切り上げ、予約していた駅近くのホテルに早々とチェックインした。
翌朝9:31発の「ベルニナ特急」に乗った。この路線は今までも何回か利用しているが、山間部を走る狭軌私鉄である。詳しくは専門のガイドブックに譲るとして、何しろ2253mのベルニナ峠と429mの終着ティラーノ、峠は白一色の銀世界、下は青々とした雪解けの水をたたえた湖と小川のせせらぎ、標高差1800mの移動はまさに季節の移ろいを実感した。

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ベルニナ特急車両 車内販売カートの飾りSteinbock

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峠付近の湖 下界の湖

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ループ橋 ティラーノ駅、スイス側、

イタリア鉄道の駅は別建物でスイス鉄道駅の左隣。ボルミオ行のバス停はイタリア側駅舎の右外にある入口から地下道を渡った駅裏にある。引っ越して間もないのか屋根の建設工事中だった。始め場所が判らず何度か聞き廻ったりして手間取った。ティラーノ−ボルミオ間はバスで約1時間の距離。予約したホテルはボルミオのバスセンター直ぐそばだった。

a)ボルミオ

ボルミオというスキー場は過去に聞いたことがあるのだが、アルタ・バルテリーナと云う名は現地に行くまで知らなかった。同一リフト券が通用する近くのスキー場が大変気に入ったのでその存在を伝えたいと思い、これ等スキー場を網羅するリフト地図にあった地域の総称を敢えて持ち出した。

【リフト地図】

このスキー場の名は、以前にある読者から戴いたメールとワールドカップ開催地としてたまに報道されることから知ることになった。日本での知名度は全くない訳ではないが、場所となると定かでないのが大勢だと思う。
確かにそれ程際立ったコースがある訳でないが、森林限界が低いのか上部は広々とした快適な斜度のコースが多い上、頂上は3000mを越え、標高差が大きいと云うのがここの特徴である。景色が素晴らしいのと温泉リゾートであることも人気の一つと思われる。
想像していたイメージとそれ程の相違はないが、景色の素晴らしさは期待以上のものだった。

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ボルミオ2000 ボルミオ3000山頂

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ボルミオ3000 ボルミオ3000より ボルミオの街を望む

  デジカメ盗難に遭い、残念ながらこれ以降自前の写真はありません。

b)リビーニョ

リフトパスを購入する際そのスキー場単独か、近辺の共通パスか聞かれることがある。この様な場合より広域のものを選ぶようにしている。料金は何割か高いが未知のスキー場に出会えるチャンスである。今回ボルミオに劣らず魅力を感じたそのスキー場の名は"リビーニョ"と次項"サンタ・カテリーナ"。

【リフト地図】

リビーニョはボルミオ、バスセンターから約一時間、スイス国境に近い所にある。通常の路線バスを使うのだが広域のリフトバスなら有効。上図で判るようにスキー場は街の両側2つに別れている。左のスキー場は手前のトレパッレで降りても良い。ここは既に森林限界でリフト1本で尾根に出られ、素晴らしい世界が突然出現する。この広々とした感じはボルミオ以上である。尾根の奥には結構滑り応えのあるコースもあり十分楽しめた。リビーニョの街は結構大きく循環バスがあるほどだ。谷の幅も広く、右のスキー場に渡るには数百メートル歩かねばならず、これが欠点とも云える。左はほぼ北斜面、右は南斜面。
昼食は街中で摂ったが大変混雑していてこのスキー場の盛況ぶりが伺われた。日本では殆ど無名ながら、このスキー場の評価が高いことを納得した。今回スキー行最大の収穫だった。

c)サンタ・カテリーナ

【リフト地図】

このスキー場はボルミオの東南、路線バスで約30分。ボルミオ、リビーニョに比べると小規模なスキー場である。メインのロープウェイを登ると広々と開けた景色が現れるのは前2者と似ているが、私の気に入ったのはこのロープウェイ沿いの2つの黒コースである。かなりの急斜面であるが、見事に整備され快適に滑れた。
何故か知らぬが、ヨーロッパの中でもイタリアのスキー場は特にゲレンデ整備が良いと云うのが私のこれまでの印象である。


4)ローマ観光ほか

a)市内

当初イタリア国内のみの計画であった為、アリタリア航空を前提に直行便のあるローマからの帰国を考えていた。その前提が崩れその必要は無くなったが、その名残が実質4日間のローマ滞在となった。昨年のフィレンツェと違って対象が多く、広範囲に亘るのでガイドブックでの単独行は能率が悪いと考え、現地ツアーを当てにしていたのだが、初日は日曜日で旅行社は休み、そこまでは考えていなかった。仕方なくガイドブックを頼りに市営の観光バス、ルート110で市内を巡った。上階はオープンの2階建てバスで、10ほどの停留所の何処でも何度でも乗り降り自由、1日間有効である。これを利用して、スペイン広場、トレビの泉、コロッセオ、バチカンなど代表的な所は大方廻った。ローマの概要を知り、その後の計画の参考にするには丁度良い。翌朝月曜日旅行会社を訪ね、午後の市内ツアーを探し、ほぼ似た箇所をガイド解説付きで再訪した。

b)アロベルベッロ

【アルベロベッロ経路】

3日目は南イタリアのアルベロベッロAlberobelloに出掛けた。奇異な行動と思われるかもしれないが背景はこうだ。当初すべてイタリア内の旅行の予定だったので手配していたイタリアの3日間のユーレイルパスを計画変更の際取消し忘れていて、持てあました余剰日数の有効利用のため少し長距離の旅行を、と思い立ったのは切符を受け取った成田出発後のことである。結構人気のある観光地のようで、私の通っている語学教室の仲間が「行きたい」と話していたのをふと思い出し決断したのだ。
アルベロベッロの場所はイタリア南部、イタリアを長靴に例えるならヒールの付け根に位置する。ローマからは遠く、日帰りはとても無理なので、往きは夜行列車を使った。午前零時出発。バーリ中央駅に着いたのが朝6時半過ぎ、私鉄Sud-est線に乗り換え、更に一時間半程で着いた。
アルベロベッロにはトゥルッリTrulliと呼ばれるこの地方独特の家が集まった2つの集落がある。(世界遺産)トゥルッリはキノコのような円錐形の灰色の屋根と白い壁を持つ家である。ここに立つとお伽の国に迷い込んだようだと書かれた記事を見たが、確かに独特の楽しげな雰囲気を持っている。

トゥルッリ
絵葉書コピー(拡大なし)

シーズンオフで確かに人は少なかったが、両側に土産物屋が並び、しばしば声を掛けられた。かなり俗化されてしまっているようだ。数人の日本人グループにも会った。(つい最近BS/テレ朝で紹介番組を観た)
帰途バーリBariで多少時間があり、アドリア海を望む海岸までタクシーを飛ばした。この日は朝から天気も良く、冬とはいえ南イタリアの明るい日差しを満喫した。雪の世界から短期間での移動がこの感を深めたのでは?

c)ポンペイ−ナポリ

ローマ滞在最終日はポンペイ−ナポリ日帰りツアーに参加した。ポンペイは、1世紀までナポリ近郊にあった都市で、イタリアの世界遺産である。紀元79年のヴェスヴィオ火山噴火により火砕流で人は瞬時に死に絶え、街は火山灰で地中に埋もれた。18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が有料で一般公開されている。発見が遅かった理由は、人が瞬時に死に絶え、状況が伝わらなかった事、当時の船着き場だったと云う所が、海から遠く離れており、想定外の場所だった事によると説明された。反面火山灰に埋もれていたが故に良い状態で保存され、2000年前の暮らしを現在に伝えているとも云える。著名な観光地で下手な解説はなしにして、詳細は他に譲る。
帰途ナポリの街を通り、ウオボ(卵)城の上に登った。日没近く最上の天気ではなかったが、その割に遠望が効き、ナポリ湾、カプリ島などよく見渡せた。


5)その他諸々

a)関節炎発症

今年は一段の技術アップを、と欲を出して足繁くスキースクールに通った。家に帰ったのが旅行出発10日前、翌日左膝が熱を持ち痛みを感じ整形外科を訪れたら関節炎の診断。液を抜かれ徹底して冷やすよう指示され、「旅行は参加してもスキーは無理だ」とまで云われ、中止は考えなかったが焦った。幸い1週間後熱は引いたが。痛みは直前まで続いた。念のためサポーターだけは用意したのだが後々役だった。
加齢による関節の軟骨摩耗は止むを得ないので、周りの筋肉を強化する以外にないとよく云われるが、強化する為には多少の無理をせねば成らず、その加減が難しい。不得意な右ターン(左脚)強化を目指していたことは確かなのだ。歳を考えると現状維持が精一杯なのは止むを得ないのかもしれない。実際にスキーは1日自重しただけで、その後の旅程には影響なかったのは不幸中の幸いだった。

今回この不安もあって、移動を少しでも楽にするため海外旅行で初めて貸しスキーを利用した。グリンデルワルトではフォルクル、ボルミオではヘッドの上級クラスのものを借用したが、いずれも違和感なく快適に使えた。手入れも良いのかエッジの効きが良く印象に残った。たまには新しいスキーを試すのも悪くない。

b)素晴らしいスキー場

ヨーロッパのスキー場を広く紹介しようと思い、常に新しい場所を探しているのだが、近年かなり苦労している。それだけに日本では全く無名にも関わらず、素晴らしいのを見付けた時の喜びは大きい。見付けた経過は異なるが、昨年のサーファウス・フィス・ラディスに相当するのが今回のリビーニョ、サンタ・カテリーナである。前に記したがボルミオのリフトパスを購入した時、初めて知ったスキー場である。
リビーニョは火山性の土壌?だと思うのだが、2000mから上、樹木がなく、遮るもののない広々した景観が見事で、元々何処でも滑れるのだが、コース幅も広く、また見事に整備されているのが特徴である。街も大きくホテル、レストランなど観光施設も整っている印象を受けた。サンタ・カテリーナも規模は小さいがメインリフトの上の広々とした光景はボルミオを含め3者共通であり、上級コースの整備の素晴らしさと滑り応えに感激した。
この手の印象はしばしば天候に依ることが多く、人に薦めると失敗する例もあるが、今回の中では予期せぬ拾いものだっただけに印象も深い。写真を大分撮ったのだが、カメラと共に失ってしまい映像で紹介出来ないのが真に残念である。(次項)

c)デジカメ盗難

南イタリア、ベルベルベッロからの帰り、列車に乗った時はガラガラだった。前夜夜行列車を利用した寝不足もあったのか、車内でぐっすり寝込んでしまったのは不覚だった。旅行中は便利なのでチョッキを着ているのだが、直前まで使用しポケットに入れていたデジカメを見事に掏られた。バーリで降り次の行動に移ろうとした時までまったく気付かなかった。「南イタリアは特に危ないよ」とは聞いていたのだが・・・。
そのデジカメは新しくはないが、最近のものは液晶ファインダーのみでスキー場のように明るい所では全く役に立たず、買い換えることなく愛用していたものだ。カメラはともかくデータを失ったのは更に痛かった。だだ幸いなことに途中でバックアップしていたので、ボルミオまでの写真は残り、どうにかホームページをまとめられたのは不幸中の幸いだったが、説得力が薄れ残念だ。

d)ホテルでのIT接続事情

昨年から小型パソコンを旅行に持って行く事があるが、今回初めて海外に持って行った。 4っのホテルに泊まったが、結論としてすべてのホテルでIT接続が可能だった。無料でワイヤレス、6ユーロ/2時間、5ユーロ/1日、15スイスフラン/3時間など料金はさまざまだが。有料の場合ホテル専用のプロバイダーと契約していて、User nameとPasswordを入手、入力するとITに接続出来る仕組みである。ヨーロッパのある特定地域のあるホテルでの話で、普遍的なものではないが、この傾向は近い将来ごく普通になるのではないかと思う。
今回写真を添付したメールを送ったり、料金の高い海外携帯電話を殆ど使わず済んだ。たまたま冬期オリンピック開催期間中だったが、現地TVでは日本のことなど殆ど放送されない中、常に日本の様子が把握出来た。

e)リフト地図

グリンデルワルト、アルタ・バルテリーナ(ボルミオ)のリフトマップが偶然か同じデザインで使い易かったので紹介する。

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リフト地図の折りたたみ方

上図の様に蛇腹に折りたたんだものを縦に三つ折り、表と裏に多少堅い厚紙を貼り付けたもの。厚紙を引くと縦横に広がり、畳んだ際は手の平に入るサイズ。小さくて携帯に便利で見る時に広げ易く、使い勝手が良かったので参考まで。

f)偽警官?

ローマの滞在中夕食のため外出した。レストランを探しながら歩いていると、突然警察官に呼び止められた。為替の違反を捜査をしていると英語で話しかけられ、警察手帳らしきものを突き出して、パスポートを見せろと云う。食事に出ただけなのでパスポートは持っていなかったし、持ち合わせも少なかった。英語が判らない振りをしているとしばらくして簡単に放免してくれた。 翌日ツアーに参加した時、ガイドから偽警官が出没しているとの話を聞き、その状況がよく似ているので、昨日のがそうでは?と思った。外国人が警官の制服はおろか、警察手帳の真偽が判る訳はなく、あっさり放免するのはますます怪しいと思った。真偽は定かでないが、あの時パスポートを持っていないで良かった。ご用心!!

g)スキー場整備のこと

イタリアのコース整備は素晴らしいと前に書いたが、今年行った東北のスキー場で全くマシーンを入れていない所を上級コースとしている例があった。コースと云う以上マシン整備は当たり前で、オフピステと上級コースを混同しているのではないかと思った。
海外では雪崩発生など危険箇所を除き、オフピステの規制はより緩やかである。日本では管理者の責任逃れとしか考えられない所での規制がやたらにあるが、日本のスキーヤーがオフピステに弱いと云われる所以である。日本の一般スキーヤーの技術向上の為にこの両方の手抜きを改めて欲しいと思う。スキーを取り巻く環境は厳しく、更に淘汰は進むと思うが手抜きのない整備の良いスキー場が生き残る事を望む。

【追記】

書き忘れていたが今回トラブルの多い中、良いことが一つあった。帰国便でビジネスクラスに乗れたのだ。オーバーブッキングでエコノミーが満席になるとビジネスクラスに移れる事は知られているが、16年往復して初めてその機会に恵まれた。ローマでのチェックインの際成田便の座席が記入されていないので、あるいは?と期待してチューリッヒのゲートカウンターで確認すると、果たしてビジネスクラスの航空券を渡された。もっとも1回の旅行で往復それを経験した仲間もいる位で、そろそろとは思っていたが・・・。座席はゆったり、ほぼフラットになり、食事も別メニュー、食器も磁器。数倍の料金を払う気には成らないまでも快適であることは間違いない。何時ものように直ぐに寝るのが惜しく、雰囲気を楽しんでいた。


今年は振り返ってみると結構トラブルがあった。落ち着いて考えると反って記憶に残る旅だったのかもしれない。今年は気付くと6回目の年男である。この歳までスキーに関われることを想定していなかったが、来年も「ヨーロッパ スキー紀行」を更新出来る環境が維持されるよう強く望んでいる。

−以上−      

2010年04月07日  田中 あきひろ