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第17回 夏の松代バスツアー 参加者を募集します |
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この夏戦跡「マツシロ」を見に行きませんか
アイム'89・東京教育労働者組合/「マツシロを見る会」実行委員会
「マツシロを見る会」は発足以来16回を数えることになりました。昨年は都合によりお休みしましたが、今年また、大本営壕跡を訪ね戦争と侵略の歴史を学ぼうとツアーを実施することにいたしました。この1年、世の中は大きく変わりました。貧困という言葉が普通に語られるようになり、普通の人にとって生きることが容易でない世の中になってきました。 若い人々にとっては将来に希望を見出すことがより一層難しい時代になって来ていると思います。それだけある意味与えられるものではなく自分の手で、自分の目で歴史の意味、生きることの意味を探さねばならない、あるいは探すことの出来る時代になってきたといえるのかも知れません。政治や行政は、かつての歴史により強い意義付けをし、若い人々にそれを強制しようと躍起になっているようですが……。 この夏、歴史の町松代を訪ねてみませんか。そして歴史の中で置き去りにされようとしている「マツシロ」に向き合い、改めて戦争の問題を考える時間をすごしてみませんか。初めての方、2・3回目の方も是非ご参加くださるようご案内いたします。 ★'09ツアー 申し込み用紙(PDF) ←クリックすると開きます。 ★詳しくはこちらのサイトを参考にしてください。「もうひとつの歴史館・松代」建設実行委員会 ★'06ツアーのご報告も下記に掲載しております。あわせてご覧下さい。 「マツシロを見る会」実施要綱
第17回 松代ツアー事前学習会
韓国の「水曜デモ」に参加しての報告と「松代ツアー」について
お 話 : 菊池 ケイさん (ツアー実行委員)
日 時 : 7月25日(土)2時〜 場 所 : アイム'89組合事務所 (Tel 042−570-1714) 「水曜デモ」は1992年以来毎週韓国の日本大使館前で行われています。未だに戦争犯罪を謝罪し、また保障しようとしない日本政府に対して「従軍慰安婦」とされた人たちを中心に謝罪と賠償を要求してのものです。その数はすでに860回を超えているということです。 5月、私たちの実行委員である菊池さんがこの水曜デモに参加してきました。今回の松代ツアーを前に菊池さんにこのデモに参加してのお話を伺います。戦争責任に対する韓国の人たちやハルモ二たちの現在の様子、などなどホットなお話を伺うことが出来ると思います。 ツアーに参加される方もそうでない方も是非都合をつけてご参加ください。 その後ツアーについての説明も行います。ツアー参加を考慮中の方、是非ご参加くださいますようご案内いたします。 |
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第15回 マ ツ シ ロ を 見 る 会 ツアーを終えて('06報告集より) ![]() --------------------------------------------- マツシロを見る会を終えて 阿部 ひろみ マツシロツアーまで。それから 菊池 ケイ '06 松代への旅 棣棠 まゆみ --------------------------------------------- マツシロを見る会を終えて
アイム'89・東京教育労働者組合 阿部 ひろみ
今年も、マツシロを見る会が無事終わりました。18名の参加者の方々、現地で分かりやすく丁寧に案内してくださった原山茂夫先生に心から感謝いたします。また、人権と平和のための基金によってバス代その他を負担してくださる組合員の皆様に感謝いたします。ありがとうございました。マツシロを見る会とは、長野県長野市松代町に残る大本営予定地跡や天皇御座所予定地跡と、上田市の戦没画学生の遺作を展示してある美術館・無言館を訪ねる1泊2日のバスツアーです。私達の組合が主催し、男女平等を目指して活動しているAの会が実行委員会形式で行ってきたものです。今年で15回目になりました。 15年戦争の末期、1944年11月11日から、本土決戦に備えて、大本営やNHK、天皇や皇族の隠れ家として作られたのが松代大本営です。工事は敗戦で終わりました。隠れ家と言っても大規模なもので、三つの山を刳り貫きトンネル状にしたものです。ほとんど出来上がったものだけでも、総延長が約11キロです。私も見るまではどんなものか分かりませんでした。見ても、説明を聞くまでは信じられませんでした。松代には、陸軍や海軍をはじめとして軍関係の諸機関も移動してくる予定で、秘密裡の一大遷都計画でした。日本人も建設に携わりましたが、強制連行者を含め推定で6千人の朝鮮人が働いていたということです。粗末な食べ物、湿地に作られた三角兵舎の住居、急かされる危険で不健康で過酷な労働で、命を落とした人も多くいたそうですが、実態は明らかになっていません。また、慰安所もあり、慰安婦として働かされていた朝鮮人女性が4人はいたということですが、詳しいことは分かっていません。 松代大本営ひとつとっても、日本政府は北朝鮮や韓国の人達に果たすべき責任を果たしていないことは明らかです。その上小泉首相は靖国参拝を繰り返し、周辺諸国の気持ちを逆なでしています。今年、8月15日、私は韓国にいました。前の晩から、ニュースでは靖国参拝が取り上げられ、関心の高さが分かりました。15日は、参拝に抗議する人たちが日本大使館に押し掛け、小泉首相の写真を踏んで靖国の写真を焼くパフォーマンスをしたり、韓国警察の警備隊ともみ合いになるなど、騒然としました。韓国では、8月15日は日本からの解放を喜ぶ「光復節」なのです。数日前からソウル市庁舎全体を巨大な韓国国旗にデコレーションをし、お祝いムードだった韓国に冷水を浴びせたような日本国首相の行動には、日本国民として怒りがわいてきました。翌16日は、水曜日。毎週日本大使館の前で元「従軍慰安婦」にさせられたハルモニたちや支援者が集会を開く日です。「水曜デモ」といいます。今回は722回目でした。驚いたことに集まったのは、大人、大学生のみならず、高校生、中学生、小学生までいました。国も、韓国、日本、アメリカからの参加があり、総勢200名ほど。テレビカメラや取材記者もいて、警備の警官は大型バス3台。みすぼらしい茶色の建物の日本大使館前路上は交通渋滞。次々と亡くなっていくハルモニ達への黙祷が捧げられ、踊りがあり、各国からのメッセージが読み上げられ、暑い路上でそれ以上に熱い集会が繰り広げられました。私は、日本大使館の人は毎週のこの集会の時に何を感じているのだろうと思いました。私だったら恥ずかしくていてもたってもいられなくなるでしょう。すぐに謝ってくれと日本に連絡するでしょう。この国に生まれた一人として、私は、日本政府に要求し続けなければならないと思います。日本政府が、また戦争に向かって準備を始めているこの時期には、なおさらです。自分のできることしかできないけれど、できることって割とたくさんあるものです。マツシロを多くの人に知ってもらうこともその一つ。まだマツシロを知らない方、来年は一緒に行きましょう。 マツシロツアーまで。それから
菊池 ケイ
この夏、15回目のマツシロツアーが終わりました。マツシロツアーへの取り組みは、毎年3月1日から始まります。ツアーの宿「松代荘」の予約は6ヶ月前に受け付けられます。8月の1週の土・日に実施するためには、どうしても早めの予約が必要です。8月は旅行シーズンですから、電話は混んでいます。予約がとれると一安心です。 「松代荘」は今でこそ改築されてきれいなホテルになりましたが、ツアーが始まった頃は、扇風機と蚊取り線香が部屋ごとにありました。ツアーの日が寝苦しい夜にならないようにと、主催者としては気をもんだものでした。 実行委員は只今5人です。5月ごろから、Aの会例会の折に集まって相談します。6月ごろに募集を始めます。7月にはツアーの「事前学習会」を行います。今年は女性史研究家の鈴木裕子さんに「アジアの中の日本」というテーマで話していただきました。 鈴木さんは、第1回目のツアーの事前学習会の講師でもありました。当時(1993年)韓国の金学順(キムハクスン)さんが「慰安婦」であったと名乗りをあげられた頃でした。鈴木さんが「慰安婦制度は男性の人間性を否定する論理(戦地に女は必要)である。男性自身はそのことに対してもっと怒りを持って反論すべきだと思う」と主張なさったことが印象に残っています。 さて、募集を始めてもなかなか参加者は増えません。バス代はアイムの「人権と平和基金」から出ます。そのためにもできるだけ多くの方に参加していただいて、充実したツアーにしたいと、いろいろなメディアに募集要項を送って宣伝しました。 実行委員のメンバーの何人かで、事前に現地の調査をできるだけするようにしています。1年に1回のことですから駐車場の場所が変わっていたり、自由行動のコースの道が通れなくなっていたりと、あわてたことがありましたので、安心してツアーの日を迎えるためには必要なことです。今年も「松代荘」で部屋割りの相談をしたり、自由行動のコースを調べたりしてきました。 今年は18人の参加がありました。毎年のことですが、参加された方々との2日間の交流で「やっぱり実施してよかった」というツアーになりました。 実行委員会は今「来年のツアーをどうするか?」と考えています。これも毎年のことです。一度ならず2回、3回と参加してくださる方々、新しく出会うであろう方々を思いながら、でも迷っています。実行委員のメンバーがもう少し増えたら元気が出るのに……と思いながら考えています。 '06松代への旅
棣棠 まゆみ
*松代ツアーの14年松代ツアーには1回を除いて参加してきた。その間50数人の方が参加してくださった1回目のツアーに始まり、多くの方にお会いしてきた。その中には松代で幼い日を過された方、戦争中に思春期を過され、また実際に戦争に参加された方もおられた。そして松代壕作業の発破の音を聞かれた方も……。その中でそれぞれ方が様々な熱い思いで参加されていることを知った。現地での学習にいらしていただいた講師の方も、松代大本営壕の保存運動をしておられる方、従軍慰安婦の家の修復運動を続けておられる方、松代壕建設について地元で聞き書きを続けておられる方、また松代壕を発見し、その後保存や韓国の人々との交流も図っている高校生や指導者の先生にお話を聞くこともあった。松代ツアーは国の歴史の中での大きな過ちに出会う旅であるとともに、その中で生きた人々の思いや生き様に接することのできる旅でもあった。そして国の負の歴史を負いつづけようとする人々の思いに、日々の生き方を改めて問われることの多い旅でもあった。 今「エコールド・松代」の呼び声のもと、松代町は美しい歴史の町に変化して行こうとしている。その一環として「壕」も位置づけられていくのを見るにつけ、これでいいのかな、という思いもある。実際、真田城下町であった松代は、そのたたずまいといい、建造物といい、見るべきものも多く、快い空気の流れている町なのだ。しかしこの町が、その歴史や人々の思いとは別に、為政者の意図や国体の維持のために利用されてきた事実があったのだ。そういう中にあって、「松代壕」を維持しその歴史を語りつづける原山先生たちの大変さは思うに余りある。 しかしその地道な活動が、これから国の歩みを見過させない為に大切な活動なのだと思う。わたしたちも彼らの活動に少しだけでも一緒に参加させてもらいつづけられたらと思っている。 *無言館の絵 ツアーの第2日目の行事として、この間「無言館」見学を続けてきた。「無言館」は戦没画学生の絵を展示する美術館である。8月の初め、信州塩田平の丘に建つ無言館は、アプローチは風のない坂が続き、館内にはエアコンもなく暑い。 そこで既にいない画学生たちの熱い青春に出会う。絵は古く、中には折り傷から絵の具が剥がれたものもある。しかし残された手紙や、絵に付けられたコメントを読みながら鑑賞していくとき、彼らの若い絵は声となって囁きかける。有名な画家たちの絵と比べて上手とは言えないのだろう。しかし若い画家たちの熱い思いが館内にこもっているのを感じる。今年わたしは改めて無言館の絵にじっくり向き合わせてもらった。 かつてツアー参加者の中から「この絵を描いた人たちもかつてのアジアの人たちにとって、加害者となっていたのではないか」と言われたことがあった。たしかにそうかもしれない。本人の思いとは別に、戦争に参加するということはそういうことなのだと思う。一旦戦争が始まってしまえば、そういうことは日常になってしまうのだろう。 今、イラクで戦争に参加しているアメリカの兵隊たちにも同じことが言えるのかもしれない。彼らの思いも青春もすべてが戦争という決して許されない悪の中に閉じ込められてしまうのだろう。しかし積極的に戦いに参加した人を除いて、人は人を殺すことを、またそこで自分の生を断ち切ることを望まないはずだ。若い画家たちもみなそうだったに違いない。そのことを絵は今もつぶやきつづけている。 わたしは絵の中で「裸婦像」が基本的に好きではない。しかしこの無言館で裸婦像に、ことに恋人や妻を描いたそれに出会うとき、こみ上げるものがある。描き手の熱い思いに出会うからだ。彼らの青春の思いはわたしたちに若者を再び戦争に駆り立てないでほしいと語りつづけているからなのだと思う。 |