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と き:2006年6月23日(金)18時30分~21時10分

ところ:国分寺市本多公民館会議室2

出席者:小川郁、酒巻美和子、須藤、鈴木綾子、鈴木まき子、鷹取健、堀雅敏、町田智朗。

司会:堀雅敏、まとめ:鷹取健。


 担当者多忙のため、「中央沿線理科サークル通信」No.129(6月号、20ページ建て)の到着が例会当日になってしまった。ついては、例会開催は第4金曜日と決まっているので、通信発送の有無にかかわりなく、出席されたい。

 なお、事務局体制の整備は眉の課題で、また、財政上も何とかしないといけない問題がある。

 この通信発送については、会費未納入の方はやむなく停止ということになった。ぜひ会費納入をしてほしいものだ。


グリコのおまけ

 出席者が揃うまで<大人の科学>を銘打った月刊の雑誌というか、「付録」が前面に大きく出ているものが話題になった。

 プラネタリウムとニュートン式反射望遠鏡がそれで、科学史的にみても機構の理解ができる点で、安価なものながら購入欲をそそられる。また、プラネタリウムも製品としてよくできているらしいが、問題は投影する丸いドームがないところが泣きどころ、というところに落ち着いた。


報告1 ビデオによる報告 堀 雅敏「エクアドルの自然観察から」(第5回)

今回の報告は記録技術に関わる問題をやや詳しく書かせてもらう。

1.記録の方法を選ぶ

(1) 静止画と動画、それに…

 映像の記録には静止画と動画があるが、堀さんは動画記録をすることに決めてエクアドル・アマゾン源流の旅に出た。この場合は、ビデオカメラ1台で現地音が記録できるというメリットがある。ガイドの説明、あるいは通訳の声が聞こえるし、森にこだまする鳴き声も映像と共に記録されている。撮影者の声も一緒に入る。現地の様子の描写は、たとえば『中央沿線理科サークル通信』No.129(pp.18-19)を参照されたい。

 ビデオ記録では1秒間に30フレームが記録され、1フレームあたり通常1/60秒という記録時間であるから、多くの静止画が1/250秒前後に比べてビデオの方が長時間であるし、「画質」の比較では静止画に敵わない。

 明るい環境のとき、ビデオカメラのスピードを1/90秒とか1/150とかの高速度にして撮るという場合もある。高速度で運動している被写体には対象を鮮明に捉えられる場合がある。 

(2) ハイビジョン記録に徹する 堀さんはDV記録方式を止めて、ハイビジョン記録方式に変えた。3CCDカメラにすればよいが、重量制限が大きな外国旅行では1CCD(*1)カメラに決めている。現在、小型であることと質量のことでは、DV方式かハイビジョン方式かという比較はほとんど無意味で、ハイビジョン方式のカメラでは両方記録ができる。

 問題はレンズの口径と発色で、ソニーでは2機種のどちらのコンパクトビデオカメラを選ぶかは、自分で1本のテープ(*2)に同一被写体をテスト記録(録画)させてもらって判断したらよいと思っている。ソニー製では、発売が後の方が鮮やかな発色を示し、しかし、発色はもっと押さえたらよいなというわたしの感想があるが、この方がよいという人がいるだろう。光量不足を補う技術は大型の機材に比べると未だ不十分だ。口径の大きなレンズを使うことは大型化することだからやむを得ないだろう。

 民生品では、「階調」が未だ残る課題であろう。見た目が鮮やかになるように処方しているのが現状であるから、我慢するしかないように思っている。

〔注〕

*1 レンズ系を通ってできた映像を電気信号に変換する部品で、1種類でできている例。3種類使い、3色に分解して変換する3CCDの方が発色と明度が大きい。

*2 ハードディスク記録、DVD記録などいろいろな記録方式があるが、いままでのDVテープの再生まで考慮するのなら、当面DVテープ使用の記録方式にしておいたらどうだろうか。この場合キャノンのもハイビジョン撮影ができる製品が発売されるから、さわって好みのものを入手したらよいと思う。 

(3) 静止画も撮る ところで、最近のビデオカメラでは静止画が高画質で撮れるから、ときおり静止画を記録して、これを動画の間に入れて標本画としたらよいのではないかと思っている。これは、三脚を使って動画を撮るということとは別の問題である。 静止画撮影で、高速度撮影をして精細な画像を記録できたら、形態確認の時に便利と思うからである。ただ、これは煩瑣な作業が加わるかも知れないので、堀さんに一度フイールドワーク中の撮影機材の選択・撮影法を述べて欲しいと思う。

2.世界の植生 生物界の多様性を映像で見る

 乾燥地帯から日本を訪れた人は日本の気候に驚くだろうし、アマゾンではその多湿は倍加され、記録したビデオテープが互いに密着して剥がれなくなるとか、レンズが曇って「映像がぼんやりとする」という場合が出現することがあろう。  

 堀さんの映像からは、こういった心配を示すようなシーンは出て来ない。自動焦点調節録画であり、ほとんどすべて、鮮明な画像である。ポリ袋か何かに入れて乾燥剤を忘れずに入れているという保管法を堅持しているのかも知れない。

 6月例会では25分程の映像が再生されて、画面を見ながら堀さんが説明をしていく。今回のフィールドワークの一行は10人を超えないようだ。

 見えたもの、すべて記録、と言う訳にはいかないだろうから、何を記録するかは堀さんの選択によるが、基本的には優秀なガイドか否かにかかっている。    

(1)「マクロ撮影」 いろいろな虫が登場する。キツツキでは、これはズームレンズを一杯長焦点側にに繰り出して“望遠”撮影をしている。現地人が釣り用の餌にするのだとかで、ピラニアを釣り上げていた。チョウも映像に捉えられていく。ワニ様の葉脈が出て来たり着生植物、フタバガキの種子…、と多彩な生物界の紹介がすすむ。

 機械の性能で記録のしかた(結果の善し悪し)が決まる例で、堀さんのカメラの場合、通常の他社製の機材よりも拡大接写ができるから、身近に姿を見せた虫たちは細部まで映し出されていた。

 ズームレンズの扱い方では、広角=短焦点による接写でなく、望遠=長焦点(側にして)の接写であり、しかもこれが他の機種より大きな画像が得られて便利である。

 (2)記録の集積・整理

 夜のツアーというシーンもあった。ワニを見つけるのである。探照灯により光る眼が映しだされていった。船のエンジンを止めて鳥の鳴くのを待つ、というところがあった。朝食前の観察で、崖の土を食べにやってくるコンゴインコがいるのだという。

 アマゾンの川岸では、崩落しているところが何カ所もあった。これは、強力なエンジンを搭載した川船の頻繁な運行でつくり出す波によることが大きいのかもしれない、と思った。

 ガイドも1回限り、そして1回限りの旅であるとすると、参加者の記録の集積というか、資料を交換するなどしたのであろうか。どんな整理法が実施されているのか質問したくなった。


報告2 鈴木綾子:『理科教室』6月号を読んで 

 6月号の特集は「化学を学んで見えてくる世界」である。特集記事として、

盛口 襄:化学は面白い そして何より怖い 山本喜一:「夢のような化学物質」だったフロン 岩崎正夫:鉱物化学から見たアスベスト問題

などと論文がつづく。

 盛口襄さんは教科書の記述程度の範囲なら、物質が原子からできているとか分子からできているなどがわかれば化学がわかるという意見があるが、物質世界は「そんなナマヤサシイものじゃありません。きちんと化学を学んでも物質のことはほとんどわからない」としている。むしろ、わからないとして化学への謙虚さが必要だし、無知であることを自覚して教育にあたるべきと説いている。

 鈴木綾子さんは、現在の中学校段階の「化学」のレベルでは、中学校で扱われている理科の内容を理解することさえ難しいのではないか、という趣旨を述べた。

 原子論的な物質観の認識を高等学校段階で学習させるという制限をしている現行の<内容の展開>では当然だろう。生物学習で化学物質を扱いながら、分子式が扱われないし、したがって化学反応も元素記号を使わないで文章による説明が圧倒的に多い。

 盛口さんの論文で扱っている化学的な内容は中学校段階のものではなく、高校の内容だ。そうだとすると、残念ながら国民は無知も無知、盛口さんが説く化学のほとんどすべてを理解することができない。 山本喜一さんが地球上のオゾン層減少を憂え、環境問題を正しく受け止められるほどの科学の知識を身につけてほしいと願うにしても、夢のようなすばらしい物質フロンが使用禁止になってきた事実を簡単にでも学ぶにしても現在の日本の化学教育、あるいは自然科学教育が貧しいものであることは、ここでもはっきりしてくる。 岩崎正夫さんによれば、アスベストの危険性は「すくなくとも先進国では30年以上前から議論されていた」のである。「環境の科学」が理科教育に取り入れられるべきであるとして擱筆している。 化学が学べない日本の社会構造があり、義務教育段階で何を保障すべきかの到達目標論や実践が望まれている。

内山裕之:カエルの解剖

 内山裕之さんの連載記事がある。6月号は<解剖授業>の3回目である。解剖が科学の学習に必要なことは論をまたないが、このところ<動物愛護>の考えが出すぎて、解剖をしないですむような教科書記述になっている現在、連載が始まった。 

 「解剖」が連載されているが、これは新たな観点を提出するような記事ではない。そう言いつつ、鈴木綾子さんは授業でつくり出したカエルの骨格の回覧を促した。またトノサマガエルの図を紹介した。

 「理科教室」6月号p.65に生徒の描いたウシガエルの解剖スケッチが掲載されている。動物学習でカエルの内臓は人体によく似ているとしている。これはかなり乱暴ではないか。 内山さんは内臓の確認、筋肉発達の確認を学習意図している。わがサークルの小川郁さんは、たしか電流と筋肉の動きの関係をも確認させている。そこまではできるのだか実施させてみたいと思う。 さて、その動物学習指導のどの段階で何時間費やすかとか、解剖では何をという記述はみえないから、多くを議論することはできない。佐藤重平『生物学実験』(1955年、裳華房)が参考文献としてあげられている。わたしは学生時代に利用したのであるが、ずいぶん古い本だ。

 解剖についての教科書記述を調べてみたことがあるが、授業時間数のこともかかわって解剖という学習は影がうすいのだ。小学校段階までの範囲をみても同じ傾向である。

 今回、改めて解剖学習の基本を明確にしたいものだと思った。

<神奈川の自然と環境 第2回>高橋正樹:箱根火山

 6月号の口絵写真に神奈川県・箱根火山を説明する鮮明な赤外線撮影による写真、あるいはカラー写真が掲載された(実際は黒白写真が印刷)。鷹取は最近芦ノ湖やいくつかの箱根火山を見て来ているので、一層の興味を抱いているのであるが、鈴木さんはこの高橋さんの記事が面白かった、と述べた。 

 「箱根火山が活火山」であることと書き出しているが、これは当然のこと。「箱根火山の生い立ち」で長く久野久による「古典的な」形成史が受け入れられていたが、最近「カルデラ形成以前に大小多数の火山体ができていた(大型の単一成層火山があったのではない)。

 <古期カルデラ>といわれているところは陥没構造ではないこと、しかも新期カルデラの存在は明瞭でない」といわれるようになっている、という(pp.67-68)。地質概念図とともに、活断層の真っ只中に形成された、と詳しい解説が高橋さんによってわかりやすく書かれているのである。

<教育心理学と理科の授業づくり 第3回>

伏見陽児:学習内容を大枠からとらえる

 大枠とは何か、の定義がないから、「水の三態変化」でなく「物質の三態変化」を目標にすべきという主張はわかるし、賛成だが、「学習内容を大枠からとらえる」という教育心理学(?)の原理が認められるだろうか。

 物質の一般性を認識するのが学習のねらいであるから、「水の三態変化」でなく「物質の三態変化」をというときに、大枠と言い換えてみて新たな教育論が成立するといえるのか。赤道上の昼夜の長さを知ることは、どのような学習内容の系列において必要なのか。また、リンゴの産地を緯度で示す意味も、すべて大枠ということで済ませようとしているけれど、大枠が先にあって学問の体系や教えるべき内容の系統性を論じないのはまったくおかしい訳で、鈴木綾子さんはこの連載記事の趣旨を頷けないとした。鷹取も同感である。

 <連載・Ecocide/Eco-side 13>千石正一:田んぼを遊んで守りたい

 カブトムシやメダカは「自分で野外から採集すべき生物」であると千石さんはいう。商業目的の大量採集が禁止されないで、個々人の採集が自然保護を標榜する人によってヒステリックに採集「禁止!」と言い渡される。こういうときの仙石さんの調整水田での遊びと採集を、という主張は鈴木さん以外でも賛意を表すだろう。水田の生態系に関わる予想される疑問にていねいに答えているのであるから。

 自然にはたらきかける大切さを訴える人たちの中で、相変わらず禁止を唱える人の多いことが出席者の感想としていくつも出て来た。

 鈴木さんからは、他にいくつか感想が述べられたが割愛させていただく。


〔実践報告〕鈴木まき子:月の動き(小4)      

 鈴木まき子さんは、月の観察を学校で行い、教室内での実験と結びつけて指導(学習)がすすんでいくようなら「月」を扱ってみたいという。

 具体的な目標や指導の過程(案)などは鈴木さんのものを参照してほしい。

<学習指導要領目標と内容> 小学校学習指導要領理科では、

「C 地球と宇宙、

  (1)月や星を観察し、月の位置と星の明るさや色及び位置を調べ、月や星の特徴や動きについての考えをもつようにする。

   ア 月は絶えず動いていること。

   イ 空には、…」

とある。

 内容の取扱では「月の動きについては、三日月や満月などの中から二つの月の形を扱うこと」とあって扱う数が、三つは許されない。最近では、この二つが最低保障の数値のように言われるようだが、いずれにしても月に動きがあることを学習させるというのが目標となる。また特徴として月の満ち欠けをも学習することになるのであろう。 星も学習することになっているから、月も星も動くということが大事な内容となる。そこに見られる法則性を観察によって児童が確認できるのだろうか。

1.見かけの動き

 児童それぞれが、月のみかけの動きを見ることができたらよい、と鈴木まき子さんは考えた。 (1) 月の観察の意味

 ここで、宇宙科学の学習の中で月は何をどう学ばせるのがよいのかが明確にされることが第一に求められる。しかも、授業論としては児童の理解できるような内容であることが明確にされなくてはならない。月の生い立ちは太陽系の生い立ちを理解するのに必要な学習内容だろう。月をつくっている物質はどのようなものか、観察からわかることはどのような事項か、月はどのように自転や公転をしているかなど、月をめぐる現象など幾多の内容や教材があろう。ところが、今回「月」論が報告者から提出された訳ではないから、月の動きの観察を通して何が理解させられたかの議論もあまり発展しなかったように感じた。

 地表から月がどのように動いて見えるか、が学習課題になっている。月が見えるといっても、太陽に照らされて見えているので、月の見かけの形、月の見える位置(高度や方位)が同じ時刻でも日々異なって見える。曇りや雨天でなければ、「毎日、違う月が出て来る」という観察報告があるかもしれない。これは「違った形をした月が見える」ということなのであるけれども、天体としての月が1個しかないのかそうでないのかは児童には証明できない。

 月が東の地平線から出て来て空に上って、南天を通り、西の地平線に沈んでいく、という「一日間の動き」の事実を観察することは、ほとんどできない。事実のほんの一部分しか観察できないのである。これは教師が傍らに居ても居なくても同様である。なお、下弦の月を学校の運動場などで観察できれば、西の地平線に沈んでいくというような概念は形成可能だろう。が、これとて月の出から月の入りまで観察するのは容易ではないだろう。

2.太陽系の学習の一部として

(1) 太陽の動きと月の動き

 太陽では--太陽だって(日の出は)真東から毎日出てくるのではないし、その方位は年間60度近く変化しているが--おおむね東の方から出て来て南天を通り、西の地平線に沈んでいくというような観察は比較的に容易だろう。日の出は「朝」という言葉を付けて考えさせても構わない。

 さらに、たとえば毎日だいたい同じような時刻に日の出があるとも付け加えて考えさせることもできるだろう。ところが、月ではこうはいかないから、天空を移動する月という天体を観察させたり、考えさせるのはかなり困難な課題を与えることにならないだろうか。月の見かけの動きを見させる、そしてその理由を考えてみるという学習は応用問題になるようにも思える。

(2) 方位学習や「地球」学習 太陽の動きは、それでは小学校低学年で確実に教えられるだろうか。何年生なら理解できるだろうか。この「動き」とは東から太陽が昇り、西に沈む、南中とか太陽高度とか空間のとらえかたが学習の中心にあるだろう。子午線という概念まで加わるのなら地図学習や、地球という「球」としての地球の学習がすすめられるとみることになる。

このような学習内容は地球とは何か、という極めて重要な内容の一つだろう。月はどのような学習体系のなかで位置づけられ内容が規定されるのだろうか。

 (3) 天体の運行 出席者の討議では三球儀を教材に使ったらどうか、という意見があった。地球の外に人間が飛び出して、地球・月・太陽を見つめることができ、それぞれの動きを宇宙から眺められ、しかも地表での観察事実と対比できるようになるのは小学校4年生で可能か、ということである。

 国立天文台の縣秀彦さんの調査によれば、太陽が地球の周りを回っていると答えている児童が多いという。月も同様に地球の周りを回っている、という延長線上で捉えられるのなら困ったことになる。小学校4年生の段階ではこれでよいのか、それとも地球の自転は自明のこととして授業で使っていくし、太陽の周りを公転し、月が地球の周りを公転していると教えるか、であろう。これは何年生が理解できるのか。

 中学校では、現在月の公転を、あるいは月の満ち欠けを教えてはいない、と酒巻美和子さんの話があった。こうなると、学習指導要領の地球や宇宙についての内容の系統性はないし、こういう状況のなかで小学校・中学校、そして高校の教師の討議の重要性がはっきりしたと思った。

 恒星や太陽系の惑星の運行や、これらがどのように見えるのかの学習は小学校4年生で可能なのだろうか。

 教科書記述をまったく無視しての授業ができないとすると、鈴木まき子さんは星と月とどのような関わりをもって指導計画をつくって指導したのだろうか。星をどのように見させるのか。月をどのように見させるのか。望遠鏡で見える月の姿はきっと児童を驚嘆させる。いろいろな色をした星を見せるとして、どんな話をしてやれば星の学習をさせたことになるのだろうか。

つづけて討議をしたい。

 江川多喜雄さんは6年生で地球の公転の学習内容に星座、四季の星座を含めている(小学校理科の学力、子どもの未来社、2003年)。この本では、だから第4学年ではこの種の学習はしない。

 また、この本では、日食や月食を教材として扱い、天体の公転や自転の理解をうながそうとしている。いずれにしても、天体の物質的側面を取り上げるような方向で教える内容を構築してみたいものだ。