日 時/2007年4月20日(金)18:50~21:10
場 所/国分寺市本多公民館
《参加者》小川・鈴木ま・岩本・轟・浦邊・鷹取・阿久津・酒巻・堀
◎「扇状地の学習」………………………………………… 鷹取さん
-
東京で扇状地を学習するとなると、青梅を扇の要とする武蔵野台地を教材として選ぶのが一般的なように思えます。武蔵野線の水没事故もありましたが、国分寺崖線などで湧水として現れるので、東京の地下を川が流れている”というイメージです。
-
鷹取さんはしかし、“現在の多摩川は扇状地をつくっていない”という問題意識から、40年前に土石流災害に見まわれた西湖のほとり富士河口湖町(旧足和田村)を教材にしたらどうかと提案されました。
-
災害現場には当時の様子を伝える「西湖いやしの里 根場」があり、鷹取さんは実際にここを訪れてビデオ撮影、そして地図などいくつかの資料から教材を構成してプランを立てられました。
-
鷹取さんらしく資料が豊富で、しかも航空写真には「土石流災害、1年後」と文字を入れてしまったが、これは失敗だったなどと、プラン検討の経過も交えて話してくださり、大変興味深いものでした。
-
浦邊さんは、「武蔵野台地は扇状地として認識するには大きすぎて、教材としては無理なのではないか」と語り、鈴木まき子さんは「うちの子どもたちは地図も読めるようになっているし、地形の認識もできてきているので大丈夫だとは思う。しかし、〔質問〕の“この地図の範囲に扇状地がありますか”というのは無理だと思う。“この地図のどこに扇状地はできますか”だったらできると思う」と述べられました。
-
私はサークルでも話しましたが、大学の講義の中で唯一覚えている人文地理で神尾教授が話された「八岐大蛇伝説は、谷間を襲う山津波のことではないか。大蛇の背中に木が立っている記述があるが、私は山津波の時に木が立ったまま流されるのを見た」という話を思い出しました。
-
学校行事の関係でレポーターの吉村さんが来られず、会場の機械の関係で私の写真も見てもらえませんでしたが、1本のレポートに時間をかけて検討することができました。 (記録:堀)