2011年4月例会報告     過去の例会へ ホームへ../zhong_yang_yan_xian_li_kesakuruHP/guo_quno_li_hui.html../zhong_yang_yan_xian_li_kesakuruHP/homu.htmlshapeimage_1_link_0shapeimage_1_link_1
 

参加者:鷹取・小川・吉村・町田・鈴木ま・成見・堀(記録)

 今回は節電のためにいつもの国分寺市本多公民館が使えず、急遽「4月のみ」ということで明星学園で開かせていただきました。

1.「東北地方太平洋沖地震の定点写真などの資料紹介」…………堀 雅敏

パソコンに入っている映像を大画面テレビに映し出して説明しました。

 ●「庁舎のむ大津波」(「東京新聞」2011年4月5日)

=リアス式海岸の三陸地方=

  宮城県南三陸町高台にある志津川小学校に避難した地元写真館主・佐藤信一さんが撮影した「志津川病院を背景とした防災対策庁舎」の連続写真。

(1) 津波が来る直前(15時23分)。病院の屋上、庁舎の屋上に津波を確認するために人が上っている。

(2) 建物全体が津波にのまれた防災庁舎(15時35分)。アンテナや手すりにしがみついて耐える人の姿。

(3) 津波の水位が下がり、鉄骨だけ残された庁舎(15時41分)。職員は10名だけ助かった。

 ●「巨大津波 襲う瞬間」(「東京新聞」2011年3月22日)

=広い海岸平野=

福島県南相馬市小高区の自然観察員富沢貞嗣さんが「覚悟を決めて」自宅から撮影した、南相馬市の海岸を襲う津波の連続写真。私(堀)の友人もここに住んでいてしばらく安否確認ができなかったが、無事でいることがわかり電話で話したときに「いままで堤防を越えるような津波は記憶がない」と言っていた。

(1) 津波到来直前。道路と海岸の松林、その向こうに海が見える。

(2) 津波到来の瞬間。第3波が一番巨大だったらしい。激しく松林を襲い、濁流道路を呑み込む。自動車が流されていく。

(3) 大津波後。地盤沈下のために水はまだ引いておらず、がれきが流されている。松は2本を残し、なくなっている。

 ●「街並み一変」

(「東京新聞」2011年4月1日&「FLASH」2011年4月19日号)

=津波前後の三陸海岸=

 仙台市で航空写真を撮影、販売する芳村忠男さんによる津波前後の比較写真。『東日本大震災 2011.3.11 1ヵ月の記録』(共同通信社)にも掲載されている。なお、「東京新聞」と「共同通信」の地震後の映像は、それぞれの記者による撮影。

【宮古市田老地区】港入り口の防波堤が破壊され、コンクリート片が流されている。“日本一の防潮堤”と言われる高さ10mの1本が消えた。木造家屋は流され、鉄筋の建物が残る。

【陸前高田市】“日本三大松原”の一つと言われる全長2kmの松林が消え、1本だけ残る。被災者にとっては“希望の一本松”となった。橋も橋脚だけが残っている。

【気仙沼市】木造の家々が姿を消した。海に突き出すところにあった石油タンクも消えた。これが、気仙沼市を焼き尽くす火事の基となった。

【南三陸町】上記「庁舎のむ大津波」で説明した志津川小学校、防災庁舎、志津川病院の位置関係がわかる。養殖筏や防波堤、家々が消えた。

【釜石市鵜住居町】海岸線が大きく変わってしまった。

● その他

 ・「釜石市小中学生の集団避難行動」

   (「朝日新聞」2011年3月23日&「東京新聞」2011年4月19日)

 NHKでも報道されたが、釜石市内の小中学生で、学校から避難した子どもたちは全員無事であった。町の危機管理アドバイザーとして群馬大学の片田敏孝教授が日頃から指導していた。「揺れたら家に向かわず、とにかく逃げろ。ハザードマップを信じず、状況を見て判断すること。そして人を助けること。」

 ・「貞観津波と福島第一原発の“想定”」

 「東京新聞」1面コラム「筆洗」(2011年4月14日)とウィキペディアによる「貞観地震」の解説、ネットで公開されている「総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤 合同WG(第32回)議事録」(2009年6月24日)。

 東北大学と産業技術総合研究所は、2005年から5年計画で仙台平野や石巻平野などで調査を行い、貞観地震(869年)に伴う大津波が内陸部深くまで襲った痕跡を発見。

 上記会議で東京電力が津波の設定基準を貞観津波より小さな塩屋崎沖地震による津波とするのに対し、産業技術総合研究所 活断層・地震研究センターの岡村行信センター長が「なぜ貞観津波を想定に入れないのか理解に苦しむ」などと食い下がるが、東京電力は「研究的には(貞観津波は)課題だろうが、福島地点の地震動を考えるときには塩屋崎沖地震で代表できる」とし、原子力安全・保安院も問題を先延ばしにする。

・「14歳のタレント・藤波心さんのブログ」

 中学生のまっすぐな目で見た原発事故の、しっかり問題の核心をとらえた文章を紹介した。

 

2.「東北地方太平洋沖地震

=自然科学教育のあり方を考え、教材をつくる=(1)」………鷹取 健

 NHKの映像や「朝日新聞」の記事などを教材として、いくつかの構成で考えられたプランの一つを紹介していただきました。

<地震の体験をみんなのものにしていく>

 授業の冒頭で、つぎのような質問から始めたい。

〔質問〕2011年3月11日午後2時46分頃、 なたはどこにいましたか。

<地震・津波・その他の地学現象>

 その後、自然界に見られる地震をめぐるいくつかの現象を概観する。

 まず地震について「地震が起こる原因は地球内部の岩石圏での破壊現象である」とし、「震度」「マグニチュード」「群発地震」などを概観する。

 津波については、地滑りや火山活動によっても起こるが、圧倒的に地震によるものが多い。そして、津波が遡上したところの図を示しながら課題を出す。

〔課題〕図で横に引いてある直線は通常時の平均海水面潮位を現しています。左側の太い直線部分は海です。海岸近くに験潮所があって、波の高さを測りますが、津波が陸地に入り込んでいる状況を表しています。

    この図で「津波の高さ」を示している矢印はどれでしょうか。また、それ以外の矢印についての呼び方を下から選びなさい。

     1)浸水深 2)津波の高さ 3)遡上高 4)痕跡高

 つづいて、津波以外に山体崩壊による土石流、地盤沈下や隆起を伴うことがあることを、1923年の関東地震による諸磯隆起海岸(天然記念物)の紹介などをする。

 マグニチュードが大きくないのに巨大な津波が起こることがあり、これを「津波地震」と呼ぶことがある。1896年の明治三陸津波がこれにあたる。そこでこの明治三陸津波、1933年の昭和三陸津波、1960年のチリ津波の三陸地方の襲った津波の波高図を見せながら質問する。

〔質問〕明治三陸津波で、綾里(りょうり)には何mくらいの津波が押し寄せていますか。

 気象庁の、地震発生時から津波予報、そしてNHKなどの報道機関の報道などを簡単に概観し、今回の地震による津波の波高を見る。

〔質問〕岩手県では、地震発生後、波高何mくらいの津波がやってきていましたか。

<東北地方太平洋沖地震>

(1)大津波を起こした地震

今回の地震の震源域、各地の震度を図で確認し、「岩手県釜石市沖のGPS波浪計がとらえた津波」(港湾空港技術研究所)のグラフで、津波は第7波まで押し寄せたことを知る。

(2)津波の襲来

〔観察〕東北地方太平洋沖地震が起こった後、どのような津波が発生

したのでしょうか。

 新聞記事、地図、NHKの映像を見ながら考えていく。

〔問題〕津波は地震が発生してから 何分後にやってきたのでしょうか。

 ここで、NHKの宮城県石巻市雄勝湾でのホタテガイ養殖を取材中に地震が発生、近くの住民とともに高台に避難した柳沢あけみ記者の話と映像(3月14日午前7時33分から)と、岩手県釜石市を襲う津波の映像と徳田憲亮記者の報告映像(3月12日午後7時から)を見る。さらに、宮古市田老地区の津波防潮堤が無残に破壊されたことも紹介。

(3)津波災害予測、どう備えていたか/備えるとは

 群馬大学の片田敏孝教授の研究と、釜石市におけるアドバイザーとしての行動、これを受けての地元自治体の防災工事、津波に対する知識、津波週来示の行動を、NHKクローズアップ現代「“命の情報”が入らない」(3月21日午後8時~)を視聴して考える。

 この後もくわしい図版を使った展開を考えられています。鷹取さんとしては、小学校や中学校ではすぐ上の(2)までを考えられており、(3)は付録的だということで、理科以外の扱いかもしれません。

 例会では、「新聞記事などに表されている津波の絵は、まるでサーフィンをする波のようで正確ではない」「気象庁は潮位計による波高を津波の大きさとしてこだわっているが、実際の被害を考えたら遡上高で表すべきではないか」などが話し合われました。