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キーリ・C.T.
(Charles T. Keally)
January 25, 2007
「日本の考古学」と言う表現の意味は白黒ほどはっきりしたと思われているらしい。しかし、多少曖昧な点がある。日本の『文化財保護法』2条と92条〜108条を参考しながら(注1)、ここで私が使おうとする「日本の考古学」には、その方法、方法論、理論、解釈、論点、論争、出土遺物,遺構、建造物、集落跡、過去の社会構造や技術、分析結果(特に自然科学的または化学的分析結果)、人物(考古学者など)、歴史などが含まれている。「日本の考古学研究」の対象になっている時代は、幻の前期旧石器時代から太平洋戦争までの全てが含められている。また、私が使っている「日本の考古学」の意味に含まれている遺跡には、全国や全世界で知られている遺跡(例えば、三内丸山、吉野ヶ里など)だけではなくて、地域の地元の人々しか知らない遺跡も含まれている。
日本の『文化財保護法』の2条(定義)は、恐らく世界中、例のないほど幅広くて強い法律である。だから、「日本の考古学」の意味は非常に広い。
この「日本の考古学」の殆どの情報は日本語で書かれている。だから、日本語を読めない人、話せない人なら、日本の考古学を知りたくても知ることができない。しかし、世界からみれば、日本の考古学は比較的勝れており、人類にとって非常に価値の高い情報を持っている学問である。その上に、日本の『文化財保護法』第1条には(注1)、日本の文化財(考古学情報、埋蔵文化財を含めって)を「世界文化の進歩に貢献する」ために保護・保全しなければならないと唱われているのである。日本の考古学を知りたい外国人が少なくないとしても当然であろう。
日本の考古学を世界に伝えるために、外国語(少なくても英語)が必要になる。もう一つの問題は、その情報の伝え方である。本や論文などのような印刷物は、あっても流通するには難点が多い。現状では、印刷物の存在さえ知り難い。知っていても諸々の事情によって手に入れるのも難しい場合が多い。けれども、インターネット上の電子出版なら、世界の殆ど誰でも何処でもその本や論文を手に入れられる。
私は、日本の考古学を外国に伝えるために、小さな英文HP(ホームページ)を作っている(注2)。このHPの内容は、(1)自己紹介、(2)日本の考古学、(3)年代・編年表、(4)研究課題、(5)研究論文、(6)遺跡・史跡見学写真、(7)リンク、(8)HP全内容一覧、(9)メールの九科目となっている。第2の「日本の考古学」の内容は、日本の考古学一般、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、歴史時代の紹介と外国人のための調査参加の方法と問題点の説明。第4の「研究課題」の内容は、旧石器時代の捏造問題と後期旧石器時代以前の最近の研究成果。第5の「研究論文」の一つは、私が『多摩考古』31号(2001年)に掲載した「三内丸山遺跡の大型掘立柱建物の一説」の英訳である。第6の「遺跡・史跡見学写真」の内容は時々変わるが、いまのところ多摩ニュータウンの遺跡見学の写真と多摩の大石氏の中世城跡の見学写真と説明を載せている。そして、これから紹介しようと思っている見学写真は、板碑、鎌倉街道、縄文土器の野焼き、道端の考古学(私が偶然に出会った発掘現場)である。
私のHPの内容は、かなり簡単なものであるが、不思議なことにインターネットで検索すると私のHPは上位に出て来ることが多い(注3)。そのためだあろうか世界中からの情報要請や問い合わせが少なくない。しかも、これらの問い合わせの内容は幅広くて細かいのである。
確かに、外国人は「日本の考古学」にかなりの興味をもっている。色々なことを知りたがっている。しかし残念で外国語で書かれた情報が本当に少ないのである。インターネット上では、ないに近い。学術論文のみならず、調査結果の概要の紹介や遺跡の概要的説明すら少ないのである。そして、日本考古学協会のHPは非常に未熟なもので、殆ど役に立たない。
「日本の考古学」は日本人の誇るべき学問である。もっと外国人のためにインターネットで情報発信しなければならない。