小説 / あなたに紅茶を

秋のまったりストーリー。だいぶ前の執筆ですが、根強い人気が。

この秋は私内紅茶強化シーズン。
勉強ついでに寄ったモスで、レモンティーを頼んだりするわけで。

ティーパックはどのくらい浸けておくんだろう。
レモンはカップから出すんだっけか?
根本からわかってないのでこんな有様。眉間にしわなんて寄せながら口にする。

「ありがとうありがとう」
「はっ?」

ふと聞き慣れない声がして、カップの中のはちみつ色から目を離した。
いつの間にか、向かいの席に女性が座っていた。

女性?いや、確かに女性だ。ずいぶん荒れた肌をしているが、しかし眉だけはしっかりと整えられている。乱雑さまで一緒に束ねたような髪は、よく見れば吸い込まれてしまいそうなくらい黒くて長い。でも、そのきれいな黒髪から覗く瞳は青。あ、あお?

「ありがとうありがとう」

彼女はもう一度言ってにっこり笑った。子供がはしゃぐかのような楽しげな声。店中に響くような高い声。でもその笑顔はひどく事務的、大人の笑みだ。

世の中の違和感を一手に引き受けたような人。そんな感想を持った。

「ええと」

とりあえず口は開いたが、何に感謝されてるのかもわからない。

「はあ、まあ」

口をついて出たひどく情けない返事に、決まり悪く感じながら聞いた。あなた誰ですか。

「うふふ。わかんない?わかんないか」

いたずらっぽく微笑む、はずのところなんだが、彼女の表情はあくまで事務的。ああ、違和感。

「わたしはね、紅茶の精なの」

彼女が自分につっこみをいれるのを待った。

「どうしたの、ぼーっとして」
「んなわけあるかい!」

耐えきれずにこっちからつっこむと、彼女は目を丸くした。青い瞳がはっきり見える。テレビでよく見る海の色だ――漁船とかが浮いてるような、濁った海だけど。ここにまで違和感。

「本当だよ本当だよ!」
「ああ、真面目な顔しながら駄々をこねるのはやめてくれないかな」
「信じてくれないんだもん」

紅茶の精、ねえ。カップの底に微かに浮かぶレモンの輪切りを見ながら呟いた。

「わかったわかった。とりあえず信じるけど。何の用?」

手をひらひらさせながらとりあえず声をかけると、一変して満面の笑みを浮かべた。子供のように。
それがあまりに似合っていて、一瞬だけ目を奪われた。

「…そういう表情できるなら、はじめからしてくれよ」
「あ。惚れた?」
「用件!」

ぶっきらぼうに言い放つと、彼女はこほんとわざとらしく咳をした。

「えとね。紅茶飲んでくれてありがとうって」

どんな話かと思ったら。思いっきり肩すかしをくらったような。

「それだけ?」
「うん。ほら、あなたいつもコーヒーしか飲まないから」

ああ、そういうことか。

「ねえ?」

向かいの席の僕ではなく、彼女は横を向いてそう言った。横?

「そうじゃなあ」
「うおお!?」

いつの間にやら、今度は男性がそこにいた。英字新聞を広げながらパイプをふかしてる。口元には豊かなひげ。黒でかためたスーツに、眼鏡の鎖がきらりと光る。「英国紳士」に対する誤ったイメージそのもの。

「あ、あんた誰ですか!」
「あー、ひどーい。いつも飲んでるくせに」

紅茶の精が口を尖らせて非難の声を上げた。英国紳士は眉ひとつ動かさないで英字に目を走らせる。

「珈琲の精さんね。ほら、新聞なんて読んでないでさ」

促されて彼は新聞から目を離した。ついで、パイプを口から離す。

「む、失礼。お会いするのは初めてですな、マドモアゼル」
「わたしに言わないでよ」
「む、失礼。お会いするのは初めてですな、マドモアゼル」
「いや、男なんですけど」

紅茶の精に引き続き、この男の人もなんか変だ。
つーか、珈琲の精?僕は眉をひそめた。確かに彼女が紅茶の精ならば、彼が珈琲の精だと言われても何も不思議ではない。前者を一応信じる事にした以上、後者にも公正な目を向けなければならない。
慎重に彼に訊ねる。

「えーと。珈琲の精さん?あなたはどうしてここに」
「ふむ。いい質問だ」

一度パイプをゆっくりふかすだけの時間が空いた。

「なに、この御令嬢に呼ばれたというのもあるのだがね、それ以上に、何か引っ掛かるものを感じたものでな」
「引っ掛かるもの?」

思い当たるふしもないので、すがるように紅茶の精を見た。
御令嬢、なんて言われて照れまくってる。

「こら、照れてんじゃない」
「あーごめんね。そう、違和感があってさあ」

違和感だらけだった人物に言われるとは。

「あなたが紅茶を飲んでるから」
「は?」
「君はいつも珈琲を飲んでいるだろう」
「そうですが」
「なんで今日は紅茶を飲んでいるの?」

矢継ぎばやに言われた。二人に尋問されているような気分。

「なんでって。紅茶にも慣れようと思って」
「どうして? ていうかあなた、本当は今日だって珈琲飲みたかったんでしょ?」
「それなのに君はあえて紅茶を選んだ。その違和感が我々を招いたのだよ」

そういうことか。改めてカップを眺めた。残ったレモンティはすっかり冷めていて、レモンだけが居心地悪そうに浮いている。
僕は顔を上げた。どちらを見ればいいのか戸惑ったが、とりあえず紅茶の精に言った。

「確かに僕は紅茶は苦手だけど。珈琲の方が好きだけど。それはほら、珈琲の方が慣れてるからってだけの話で。
珈琲だって飲み始めた頃は全然おいしいと思わなかったし。そうですよね」
「うむ。砂糖を何杯も入れられた記憶があるぞ」
「だから、今は苦手だけど、そのうち紅茶もおいしく飲める日が来るんじゃないかなって」
「それで紅茶を選んだってこと?」

頷くと、二人は顔を見合わせた。それから、紅茶の精が僕を見てにやりと笑った。

「ねえ。紅茶のおいしい飲み方って知ってる?」
「へ? ポットのためにもう一杯、とかそういうやつ?」
「それもそうだけどさ。もっと大事なこと」
「大事なこと?」

元々紅茶に関する知識なんてほとんどない。頭をいくらひねっても、答えが出てくるわけない。
わからないと告げると、彼女はもう一度にやりと笑って言った。

「あのね。誰かと一緒に飲むこと」

そう言われて、ようやく彼女の笑みの理由がわかった。隣を見ると、珈琲の精もひげの奥で笑ってる。こ、この二人。

「誰かのために慣れようとしてるんでしょ?なんだかなー」
「不純な動機よりはいいのではないかね」
「駄目なんて言ってないよ。ただ、おもしろくてさあ」

愉快そうに二人は笑った。決まり悪いのと照れくさいのとで、僕は意味もなく頭をかいた。

「いいよ。今日は付き合うよ」
「はっ?」
「わたしたちも一緒に紅茶飲んであげる」
「おいおい、珈琲の精はどうするんだよ」
「…まあ、場合が場合だしのう。ご一緒させてもらおうか」
「それでいいのか珈琲の精!」

そんなわけで、改めてレモンティを注文した僕と三人で、ちょっとしたお茶会が開かれたのだった。
ちょっととまどい気味に紅茶を飲む珈琲の精を見て、紅茶の精は楽しそうに笑っていた。
あれ?そういえば、いつの間にか瞳の色が黒くなってるような。
それにしても今度はそこそこ楽しく飲めた。紅茶に慣れるまであと少しかもしれない。

「あのさ、もうひとつ教えてあげる」
「え?」
「そのレモンの輪切り、最後まで入れてなくていいんだよ?」

まだまだ、先は長そうである。

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