雑文 / 待ち人来ず

恵比寿のドトール2時間の記録。

 恵比寿、と書いて初めて漢字を認識した。
 山手線のホームから改札を抜けると、いくらかは見覚えのある風景があった。何度か降りたこともあるし、食事だとかデートだとかしたことのある場所だ。だけど、不思議とここでは誰も待っていないような気がした。待ち合わせにふさわしくないとまで思った。何故だろう?
 どこかに存在してるはずのスターバックスを探すのをあきらめて、駅前から見えたドトールで時間をつぶすことにした。カフェモカのエスプレッソショット追加なんてオーダーはできない。ブレンドもアメリカンも変わらない、アイデンティティの証明の難しいコーヒーしかない。けれどとりあえず、本数の許す限りタバコは吸える。

 二本目のタバコに火をつけたあたりでようやく居場所が決まった。こんなふうに思いつく言葉をメモ帳にのせる。時間はそろそろ九時。連絡の来る気配はない。
 そもそも何のために待ってるんだろう、と思う。駅で感じた寂寞とよく似た気持ちだった。行くよ、とも言っていない。待ってて、とも言われていない。前日の破れた約束を、お互い回収しきれていないだけだ。延長戦、引き分け再試合、そんなような感じ。
 冷える首元にはマフラーがいる。
 冷えた心にはウィスキーでもあれば充分だ。
 ならば少なくとも今、自分は何を用意すればいいのだろう?
 まずくていいから濃いコーヒーというのが今浮かんだ答えのひとつだったが、今さらレジまで立つのも面倒な話だ。
 残ったタバコはあと五本。

 何かをする前と何かをした後とは、現実として残る事実、物体として残るもの以外は何も変わらないと思っていた頃がある。
 我らが学生時代。
 不幸なことにというか愚かにもというか、それが色々なものを捨てなくてはならない考え方であると気が付いたのはだいぶ先の話だった。
 それに気が付いたときは激しく動揺したし、混乱もした。自分が身軽な理由を思い知らされたのだ。
 踏み越える直前に存在していたはずのものは、いったい何だったのだろう。思い返しても仕方ないのだろうけど、やっぱり時々は考えずにはいられなかった。そうやって取り戻そうとする何かがあるのだろうか。
 そして、踏み越えなければならないほどその瞬間に居据わっていたものは、それを収めるための手段を持っていたのだろうか。
 今さら悔やんだりはしないけれど、そこは見出さなくてはいけないように思う。
 タバコはあと二本。
 この休みの日に何をしていたか、誰かに聞かれなくとも、せめて自分ではっきり言葉にできるようにしたい。  恵比寿のドトールで文字を書いた、それでもいいけど。少なくとも今していることは待ち合わせではなくなってきている。それだけでもここに来た理由はあった。

 最後の一本のラークに火を点けた。これで時間は動き出す。終わりに気づいた体がようやく焦りを覚えたけれど、炎は燃やし尽くすまで勢いを止めない。それとも水をかけてでも火を消すべきなのだろうか?
 おそらくもう、今日という日は誰と会うこともなく閉じる。誰が火を点けたのか知らないけれど、時間が燃え尽きていくのを止める手段は誰にもわからないのだ。水をかければ止まる時間、そんなものに価値はない。存在すら認められない。
 終わる一日に何を残せるかというのは大きな問題だ。タバコは吸い尽くし、冷めたコーヒーもとうに飲み干した。文庫本も読みきった今、店内を埋めるセブンスターの湿気ったにおいは、自分をここに繋いでいる錯覚を呼ぶ。
 この文字の連なりは文章ですらなく、長く不在だった自分と少し電話でもした記録、そんなものに過ぎない。きっと読み返す機会もない。
 ただ、向き合った記念の祝杯くらいは挙げるだろう。それはいつもの味とは少し違うといい。新宿からの下り電車はまだ混み合うのだろうが構わない。ここは結局のところ、長くいるべき場所ではないのだ。
 この知らない街で、タバコと、できれば本屋が見つかればいい。僕が過ごした一日は、それさえあれば伝えられる。
 灰皿にはタバコが八本。カップも冷えたコーヒー。時間は十時を指していた。

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