小説 / ひとりでむかえる、その日には

クリスマス話。捻りすぎてわかりづらい設定がステキ。

 十二月二十五日。
 一年に一度、正確に、全ての人にやってきます。
 何の日か、わかりますよね?
 そう、クリスマス。
 そしてその日、世界一と言ってもいいくらいの名演出家になるのが、天からの祝福――雪。
 これは、そのクリスマスと、雪にまつわるお話です。


 その日、彼はいつものように飲んだくれていました。いえ、今日のペースは「いつものように」なんてもんじゃありません。なんせ、彼が麦茶のように平然と飲み進めているその液体は、なんとウイスキー。うわぁ。周囲の目も、自然とカウンターに集まります。
 でも、当の本人、知らん顔。
「お客さん、飲みすぎですよ」
バーのマスター、黒ねこ白ねこ二匹を撫でながら、一応たしなめます。
「本番、近いんでしょう?」
 ダンッ。
「本番近い」…この言葉が出たと同時に、グラスはカウンターに叩きつけられました。グラスに残っていた氷が飛び出して、テーブルをつつーっと滑っていきます。
 他のお客さんたちは、その行動で一斉に彼から目をそらし、店に響き渡るジャズとともに、自分たちの世界に戻りました。悪酔いした彼には関わるまい、ということです。正しい判断です。
 ねこ二匹は、テーブルの上を動く氷を追っています。
「うるせぇうるせぇっ! 今年はもういいんだよ!」
彼はあたり散らすように叫びます。困った顔をしながらも、マスターは言いました。
「そうおっしゃらずに…。 みんな、待ってますよ」
「あいつがいねーんだよ! 今年はもうどーでもいい」
「あいつ?」
首をかしげたマスターに聞こえるか聞こえないかというほどの小さな声で、彼は同じ言葉を、今度はボソッと呟きました。
「あいつがいねーんだよ」

 一週間ほど前のこと。
 いつもより冷えこんだ朝でした。バケツの水は、氷に姿を変えています。
 そろそろ本番の準備しなきゃな、なんて考えながら、どことなく忙しげに響く街の足音を聞いていた彼は、ふと、肩に妙な感触を覚えました。
 しばらくぶりの感触。これは…
「お久しぶりっ! 元気してた?」
「あーっ!」
 大親友にして仕事仲間、雪とのご対面でした。十一月に雨が少ないと早く雪が降る、とテレビで言ってたっけ。でもまさかもう会えるなんてねぇ。そんなことを話しながら、彼らは行きつけのバーに入りました。まずは一杯、というのが二人の約束であり、楽しみなのでした。
 でも、その日は…
「えぇぇっ!?」
店中に響くその声は、流れるジャズと客とがつくるハーモニーとは明らかに不似合いなものでした。ここがもしアニメに出てくるような図書館だったら、間違いなく周りの人に「しーっ!」とやられているところでしょう。
 とりあえず客の目が注がれますが、彼の姿を確認すると、「ああ、彼ね」と納得してしまいました。どうやら、そういう存在のようです。
「うん… ごめんね、本当に」
グラスに注がれているウイスキーを見つめながら、ぽつんと雪は呟きました。
「急に予定が入っちゃったんだよ…」
「いや、事情はわかるけどさ」
悲しそうな目をした雪を見て、あわてて彼は言いました。
 遠い国にいる病気の子供。雪が見たい、と病床で母親に嘆く。その子供に会うために行かなければならない――優しい雪らしい行動です。彼も納得せざるを得ませんでした。
 ただ、その代わりに…
「…今年は、約束守れないかもしれない…」
毎年、その日には必ず会おう。何年も…いや、何十年も前に交わした、二人の約束なのでした。今まで、何度か約束を果たせなかったことはありましたが――ちなみに、雪の方が。忙しいんです色々と――、そのたびに、「じゃあ、あいつの分まで頑張ろう」といった感じで、いつかの彼の言葉を借りるならば、一人「獅子奮迅の働き」をしてきたのでした。
「大丈夫だって」
彼は努めて明るく振る舞いました。
「大丈夫だって。いない分は、オレが頑張るさ」
その明るさに、雪はいくぶん救われたようでした。同時に、昔の彼の言葉を思い出しました。
「いつかみたいに」
そう言って顔を見合わせ、
「『獅子奮迅の働きを』」
二人、声をそろえ、笑いながらグラスを重ねました。

 ――が。
 その場では雪のことを考えてそう振る舞ったものの、彼にはもう、いつかのような「獅子奮迅の働き」は出来そうにありませんでした。
「お客さん、申し訳ないんですが、もう店を閉めなきゃいけないんで…」
ありゃ。呆れたことに、彼は閉店ギリギリまで飲んだくれていました。
 店の外に放り出された彼は、千鳥足のままあてもなく歩きだしましたが、バランスを失って、崩れ落ちるようにゴミ捨て場へと倒れ込んでしまいました。
 はぁ。溜め息一つ。アルコールくさい息が、白く漂います。
 白い息の向こうには、街灯がぽつんとひとつ灯っていました。
 ――静けさが、彼を包んでいました。すでに真夜中、人通りはありません。
 火照った顔は、それこそ雪が降りそうな季候が、ようやく冷ましてくれました。それと同時に、ぼんやりしていた意識も、なんとかはっきりしてきたようでした。
「…雪がいないで…」
ゴミに埋もれたまま、誰かに言っているかのように、彼は呟きました。
「…雪がいないで… オレに何ができるって言うんだ」
吐き捨てたその言葉は、遠くくらやみのへと向こうに漂っていきました。
 そして、酔いが醒めたかわりに、だんだんとまぶたが重くなっていきました。

 彼は、夢を見ていました、
 それは、去年の「約束の日」。
 雪も、なんとか他の仕事を切り上げて彼に会うことができ、二人楽しい夜を過ごしていました。その楽しい様子は、周りのみんなも一緒に幸せな気分になるほどでした。
 しばらくして、ちょっと休むね、と雪が席を外しました。連日の仕事で、少し疲れがたまっていたのです。
「あ。 雪、やんじゃった」
近くにいた二人連れのうちの一人――女性です――が言いました。
「いいじゃんか。 こんなに積もったんだし」
もう一人――こちらは男性――がそう言いました。
「…そうだね」
女性はそう言うと、男性のほうを向きました。
「来年も降るといいね、雪」
「そうだな」
男性は女性の肩を抱き、二人歩いて行きました。
 そんな幸せそうな二人を見て、彼は優しく微笑んでいましたが…
 ふと、思ったのです。
 ――雪がいなくなったとき、自分はどうなるんだろう?
 自分一人だけで、いったい何ができるんだろう?
 今みたいに、恋人たちを幸せにできるだろうか?みんなを幸せにできるだろうか?
 そう考え出すと、止まりませんでした。その考えが、そのときの何気ない二人の会話が、臆病な彼をつくりあげてしまったのでした。

 毎日酒浸りでも、時間と言うのは狂いなく正確に流れていきます。
 ついに、その日が――十二月二十五日が来てしまいました。
 さて、彼はどうしているんでしょう…
 …いました。いつものバーの、カウンターの隅に。グラス片手に、ぼんやりと二匹のねこを眺めながら。
 店内に、他にお客さんはいませんでした。みんな、今日という日を楽しむつもりなのでしょう。そのことが、余計に彼を苛立たせました。
「マスター、ウイスキーまだ飲むから、用意しといて」
いつにもまして飲んでいるわりには、口調ははっきりとしていました。
「そういうわけにもいきませんよ」
ねこのえさを用意しながら、マスターは言いました。
「今日、本番でしょう? こんなところにいる場合じゃないはずですよ」
「もういい。今年はいい。オレ一人じゃ何やったって意味ない」
ひねくれているようにも聞こえますが、しかしその言葉を引き出してきた彼の考えは変わりそうにありませんでした。
「あのですねえ」
えさに寄ってきた二匹のねこを撫でていたマスターは、カウンターごしに彼の正面に立ちました。
「いいですか? こことは違って、今日という日に雪が降るなんてこと、季候的に見て絶対にないっていうところだってあるんですよ。そういうところにいる方のこと、考えたことあるんですか?
あなた、それじゃ自分に甘えてるだけですよ」
「そんな奴と一緒にするな」
「ですが…」
その言葉の続きを聞かずに彼はウイスキーを飲み干し、
「あのなぁ」
顔を上げて、マスターに食ってかかりました。
「そいつはそいつだ! オレには関係ねーだろ!
世の中いろんな奴がいる。一つのことを、みんながみんなできるとは限らない。
そいつができたって、オレには無理なんだよ!
できないことだからやらない、それのどこが悪いんだ!」
「…できないことだからやらないというのは、別に悪いことだとは思いませんがね」
マスターはボソッと言いました。てっきり反論がくると思っていた彼は、意外な飯能に、まじまじとマスターの顔を見ました。
「でも、私には、それができないことだとは思えません」
「だから…」
「今までやってこれたじゃないですか。何で今年になって突然できないなんて言い出すんですか」
「今まではそんなこと考えたこともなかったからな。でも、もう無理だ」
「他の方はやっているとしても?」
「オレはオレだ」
「……」
しばらくの沈黙。マスターがウイスキーを持ってきてくれないので手持ち無沙汰になっている彼は、カラカラとグラスの中の氷を鳴らしました。その音に、黒ねこと白ねこが寄ってきます。
「このねこ」
マスターは口を開きました。
「拾ったねこなんです、二匹とも。 拾ったときはまだ子ねこで」
二匹を、懐かしい目で見ながら言いました。
「それ以来ずっと育ててきたんです。今じゃ、この店はこいつらに助けてもらっているようなもので」
「言えてる」
茶化すような彼の言葉に、マスターはそっと微笑みます。
「クロはネズミが捕れます。シロにはそれはできませんが、非常に人懐っこくて、初めて来るお客さんにだって懐いてしまいます」
そこまで言ってから、マスターは彼をじっと見つめました。
「シロにネズミを捕ることはできるでしょうか」
「…やりゃできるだろ。本能的なもんだろうし」
「では逆に、クロにシロのようなことはできるでしょうか」
「…難しいな。できないことはないだろうが、こいつにその意志がないことにはどうにも」
その言葉を聞いて、たっぷり一呼吸分おいてから、
「でしょうね」
そう言って、マスターはウイスキーのビンを探し始めました。
「結局、同じねこ同士です。そういうことに関して、できるできないの差はないはずです」
棚の奥に眠っていたビンを取り、その中身を彼のグラスに注ぎました。
「…まぁ…ね」
彼は、ようやくマスターの言いたいことがわかってきました。
「世の中、みんなはじめは同じなんです。それなのに、あれはできない、あいつはできてもオレは無理、なんて言うんです。
自分の中に、やろうって意志が足りないだけなのに」
「…」
注がれた液体を、彼はじっと見つめました。
「『やればできる』。
 手垢つきすぎ、なんだか説教くさい、挙げ句の果てには死語の仲間入りすら果たしそうな言葉ですけど、 …私は好きですね、この言葉。
 そりゃ、努力ってのはずーっとやっていられるもんじゃありませんから、ある程度の限界はあるかもしれませんけどね」
「…」
黙り込んでいる彼の口元には、しかし心なしか決心が見えるようでした。
 そのうちに笑みが浮かんできて、彼はマスターの方を向きました。マスターもまた、優しい笑みを浮かべていました。
「そのウイスキーで今日はおしまいにしましょう。お仕事開始です」
「これ、おごり?」
「…かないませんね」
苦笑いするマスターを見ながら、彼はニッと笑って、グラスを持って、
 ―― 一気に、飲み干しました。

「マスター」
店を出ようとした彼は、ドアに手をかけたところで言いました。
「ひとつ、格言を思いついたよ」
「なんですか?」
くるり。アルコールの影響など全くない、しっかりとした口調で彼は言いました。
「『自分をしっかり』。
 世の中、自分自身がしっかりしてれば、万事オーライってことで」
「格言にしちゃあ、あっさりしすぎですよ」
「いいんだよ、オレの格言なんだから」
笑いながら、彼は外へ出て行きました。
 二匹のねことマスターだけの空間となった店中に響く、けれど決して大きくはない声で、マスターはドアを見ながら呟きました。
「ほんと、しっかりやってくださいね」

 その日はずいぶんと冷えこみました。街中が、人々の吐く息で真っ白になってしまうくらいに。
 ひょっとしたら、雪がどうにかして駆けつけてくれるかもしれませんね。


 これで、クリスマスと雪にまつわるお話はおしまいです。
 最後にひとつ、みなさんにお願いしたいんですけど。
 今年の十二月二十五日、冬中多忙な雪のことです、ひょっとしたらまたなにか大事な予定が入ってしまうかもしれません。
 もしそうだったら、一人でいる彼に――クリスマスに、こう言ってあげてください。
 ひとこと、「がんばれ」って。

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