小説 / 秋のテキストまつり第3回「友人」出展作品

お題「友人」での出展作品。秋冬の雰囲気が好評でした。

 その日は、彼の六回忌だった。

 がたりと戸を開けると、濁った空の命令のもと、首筋を冷たい風がさらっていった。思わず身ぶるいして、着慣れないスーツの襟を正す。防虫剤と線香の匂いが鼻をついた。
 六回目にもなると、彼には悪いかもしれないが、さすがに涙は出尽くした。淡々と出向き、淡々と話を聞き、淡々と写真を眺めた。写真の中の彼は相変わらずで、どうも自分も六年前から成長していないんじゃないかと疑わしくなる。
 そっとため息をつくと、それは白く濁って寒空に消えた。そういえばこの時期はいつもそうだ。寒さが来て彼の命日を思い出すのではなく、彼の命日が来て寒さを思い出す。彼が死んだあの日も、確かに東京は寒かった。
 一服しようと懐に手を入れたが、どうも感触がおかしい。取り出してから気付いた。ラークは昨日吸いつくしてしまった。懐に残っていたのは潰れたカラ箱だ。
 舌打ちを合図にしたかのように、背中でがたりと音がした。
「この戸は、いつ来てもこうなのね」
両手でがたがたと戸を開けながら、彼女がこちらにやってきた。
「油をさせばいいんだろうけど。どうせこの戸なんて、こういうときにしか使わないんだろ」
肩をすくめながら僕は言った。彼女は外に出てから、今度は戸を閉めるのに苦労している。

 彼と彼女、そして僕は、あの頃よくつるんでは、あちこちをぶらついていた。
 本当にぶらついていたのだ。何をしていたのかと言われても答えられる自信がない。映画を観ようとして混雑に諦め、江ノ島までバイクを飛ばして大雨に見舞われ、彼の家で酒を飲んで結論の出ない議論を延々と続けたりした。
 彼が死んだとき彼女は大いに泣いた。僕にしがみついて泣いた。不思議と僕はその時平然としていた。自分の胸で泣く彼女を見て、ああ、こいつ実は少し髪が茶色かったんだな、などと場違いなことを考えていた。その後、棺に入った彼の顔を見て、今度は僕が大いに泣くことになる。
 大学を卒業してからは、僕らは会うこともなくなった。それぞれの生活をして、それぞれの友人を持ち、それぞれの時間で動いた。彼のことをそうそう考えることもなかった。けれども、一年に一度、この日だけは、僕ら三人は出会うことにしていた。
 というより、自然とそうなっていた。一年に一度だけ、僕らが再開する日。それが今日だ。

「最近は、どうなの?」
適当なところに腰を落ち着け、勝手口で僕らはいつもの会話をはじめた。
「最近か」
そう答えながら手持ち無沙汰にしている僕を見て、彼女はヴィトンのショルダーバックに手を入れた。はい、と手渡されたのは確かに煙草。
「気が利くじゃないか」
「だって毎年忘れてるでしょ」
そうだったか、と煙草を受け取った。キャメル、とある。
「おい」
「何?」
「どうしてキャメル」
「あれ、キャメルじゃなかったっけ」
「ラークだよ。高校時代からずっと」
「彼がキャメルだっけ」
「あいつはマイセンだ」
そうだったかなあ、と小首をかしげる彼女をよそに、それでもとりあえず懐にキャメルをしまった。話を戻す。
「最近ね。まあ、ぼちぼちだよ」
「つまらない答えだなあ。一年ぶりに会ったんだからさ。この一年で変わったことは?」
「ひとつ歳をとった」
違いない、と彼女は諦めたように言った。それから思いついたように顔をあげた。
「お酒は?そろそろ飲めるようになった?」
「昔から飲めるよ」
「そうじゃなくて、ビール以外をさ」
ビール以外か。それを聞いて、六年前の冬がよみがえる。
「そういえばあったな、三人で夜を徹して飲んだときに」
彼は二十歳にしてあらゆる種類の酒を経験していた。実際はそうでもないのだろうが、少なくともあの頃の僕らにはそう見えた。あの時は確か、ビールしか飲めない僕に、すっかり酔っ払った彼女と彼が、二人がかりで僕に強い酒を飲ませたんだったか。翌日になっても頭痛がやまず、食欲もわかず。あれが初めての二日酔いだった。そして二度目はない。
「なんて言ったっけ、あのお酒は」
「あの時の?ウィスキーだよね。フォアなんとか」
フォアなんとかね。懐に手を入れて、煙草を吸おうとしたが、いつもの煙草でないことに気付いて、ただ箱を眺める格好になった。

 ふと、そこで違和感を覚えた。いくらなんでも、キャメルを買うというのもおかしな話だ。僕のラークでも彼のマイセンでもなく、だ。
「お前、煙草吸うようになったの?」
「どうして?」
「キャメルなんて、普通間違えないだろ」
きょとんとしていた表情が、たちまち恥ずかしそうな赤い顔になった。なんだ?
「いや、実はね」
ああ。それだけ聞いてなんとなくわかった。
「今ね、同棲してる人がいるから」
顔を赤らめながら、それでも彼女は嬉しそうだった。やれやれ、これから冬だというのに。
「そりゃ知らなかった。おめでとう」
「それで、実は」
「実は?」
「12月にね。結婚するの」
僕らに吹いた風が首元をかすめたが、寒さは感じなかった。
「そりゃ、おめでとう」
「ありがとう」
簡単な祝辞と返答だけして、僕らはそれきり黙った。
 そうか結婚か。頭の中でもう一度驚いた。確かにもういい年齢だし、結婚なんて話が出てもちっともおかしくはない。器量もいいし度胸もある。性格もまあ、少しとぼけたところさえ目をつぶれば悪くはない。学生の頃には僕も彼も一度は熱を上げた。熱を上げて、互いの想像の中の彼女を奪い合った。けれども僕らは二人して彼女にふられ、また彼女は当時うわさになっていた先輩と付き合うことになった。僕と彼はその時初めてお酒を飲んだ。その先輩と別れた彼女と僕らが友人として仲良くなるのは、それから少し先の話。
 それでこのキャメルか。同棲している人が、未来の夫が吸うのだろう。彼女はもう、キャメルを買ってくる習慣がついているのだろう。
 目の前で大きく変わる彼女が、僕にはどこか頼もしく見えた。
「おめでとう。結婚式には呼べよ」
改めて言った。
「ありがとう。呼ぶも何も、友人代表として出てもらおうかしら」
彼女は口を大きく開けて笑った。僕も大声で笑った。この声を聞いて、きっと彼も笑う。
 三人で大声で、寒空の下しばらく笑いつづけた。
 それから僕らは立ち上がった。

「さて、じゃあ次に会うのは一年後か」
「だから12月だって。結婚式」
「ああ、忘れてた」
あきれたような顔をする彼女は放っておいて、そろそろ暗くなってくるなと僕は思った。
「帰るか」
「うん。駅までは一緒だっけ」
頷いて返すと、彼女は先に歩き出した。僕はキャメルを一本だけ取り出して、残ったぶんを勝手口にそっと置いた。
 煙草に火をつけて、彼女を追った。

 それから僕は、あの時の酒を買った。店で聞いてわかった。フォアローゼスだ。
 次に三人が出会う時、僕らはどう変わっているだろう。その日のことを考えながら、僕はその夜、そっとフォアローゼスを飲んだ。
 それはどうやら、不思議な味がした。

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