塩船観音寺


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塩船観音寺目次


真言宗醍醐派

関東八十八ヵ所霊場

東国花の寺百

塩船観音寺の歴史

仁王門

「旧国宝」と「新国宝」

阿弥陀堂

薬師堂

寛永の鐘楼

昭和の鐘楼

本堂

板碑堂

護摩堂弘誓閣

花の寺

年中行事

交通案内




2008年12月15日(月)塩船観音寺を訪れました。塩船観音寺のホームページの最初には


真言宗醍醐派 別格本山 塩船観音寺

関東八十八ヵ所霊場第七十二番

東国花の寺百寺第三十四番

とあります。


真言宗醍醐派

日本の寺院の数は、およそ75,000から77,000寺と言われています。

宗派は、主なものだけでも13あります。それは、浄土真宗(親鸞)、浄土宗(法然)、時宗(一遍)、曹洞宗(道元)、臨済宗(栄西)、黄檗宗(隠元)、律宗(鑑真)、日蓮宗(日蓮)、真言宗(空海)、天台宗(最澄)、融通念仏宗(良忍)、華厳宗(良弁)、法相宗(道昭)です。

真言宗は、昭和14年(1939年)の宗教団体法により、ほぼ統合されました。しかし、戦後は独立が続き、現在は約50の宗派があります。

そのうち主要な16派18の総大本山が、昭和33年(1958年)真言宗各派総大本山会を各山の連絡親睦・共通事業を目的に結成しました。

18の総大本山

  • 金剛峯寺 - 高野山真言宗総本山
  • 教王護国寺 - 東寺真言宗総本山
  • 善通寺 - 真言宗善通寺派総本山
  • 随心院 - 真言宗善通寺派大本山
  • 醍醐寺 - 真言宗醍醐派総本山
  • 仁和寺 - 真言宗御室派総本山
  • 大覚寺 - 真言宗大覚寺派大本山
  • 泉涌寺 - 真言宗泉涌寺派総本山
  • 勧修寺 - 真言宗山階派大本山
  • 朝護孫子寺 - 信貴山真言宗総本山
  • 中山寺 - 真言宗中山寺派大本山
  • 清澄寺 - 真言三宝宗大本山
  • 須磨寺 - 真言宗須磨寺派大本山
  • 智積院 - 真言宗智山派総本山
  • 長谷寺 - 真言宗豊山派総本山
  • 根来寺 - 新義真言宗総本山
  • 西大寺 - 真言律宗総本山
  • 宝山寺 - 真言律宗大本山
塩船観音寺が属する、真言宗醍醐派総本山は 醍醐寺(京都市伏見区)です。

大本山は4寺、 三宝院(醍醐寺山内 京都市伏見区)・転法輪寺(奈良県御所市)・西国寺(広島県尾道市)・道隆寺(香川県多度津町)です。

さらに、別格本山が 金剛王院(京都市伏見区)など16寺あります。その中に塩船観音寺も入っています。


関東八十八ヵ所霊場

四国の八十八ヵ所は、弘法大師が山岳修行時代に遍歴した、故郷である四国の霊跡を、江戸期の真念が札番号を付けてまとめたものです。

人々は大師の苦労の後をたどり、大師の恵みにあやかろうと巡るのです。

しかしながら、四国はあまりにも遠隔の地にあります。

そこで関東八十八ヵ所霊場会は、大師ゆかりの四国霊場の砂を関東の八十八の名刹に勧請し、「関東八十八ヵ所霊場」を開創しました。

これで、関東の名刹を訪れ心身に安らぎを得て、大師と共に穏やかな人生を歩むことができるようになりました。

八十八ケ寺は、千葉の勝覺寺以外すべて真言宗です。高野山、豊山、智山派が多いようです。醍醐派は塩船観音寺を含めて2寺です。


東国花の寺百

東国花の寺百寺は、美しい花木を有する関東一円の百余りの寺院により、宗派を問わず構成されています。

東京では、塩船観音寺の他に西新井大師、薬王院、護国寺、池上本門寺、高蔵寺、吉祥院、高幡不動尊、高尾山薬王院、長福寺、大悲願寺、金剛寺がありました。

東国花の寺百寺事務局は神奈川県の三浦大師にあるようです。


塩船観音寺の歴史

当山は真言宗醍醐寺を総本山とする別格本山で、大悲山塩船観音寺といいます。
 
当山の開祖は、大化年間(645〜650)、若狭の国(現在の富山県)で人魚の肉を食し永遠の命を得たと言われる、八百比丘尼が諸国遍歴のおり当地をおとずれ、紫金の千手観音像を安置したことに始まったと寺史に伝えられています。

天平年間(729〜749)には行基が荒廃していた堂宇を再興したうえ、周囲の地形が小丘に囲まれあたかも小舟のような形状であることから、仏が衆生を救おうと願う「弘誓の舟」(ぐぜいのふね)になぞらえて、「塩船」と名づけました。
 
貞観年間(859〜876)には、安然和尚が観音堂を再興したうえ、七社権現を勧請し、阿弥陀堂、薬師堂や杉本坊、神門坊、北の坊、橋本坊、宝蔵坊、禅林坊、円林坊、宝摂坊、財林坊、宝積坊、梅本坊、打越坊の十二僧房を建立し、興隆を極めたとたと伝えています。

平安時代(794〜1185)末には、金子郷を本拠として高麗・入間・多摩に勢力をもった豪族、金子十郎家忠が源平の合戦の出陣の際に戦勝を祈願して、金剛力士像二体を安置した山門を建立しました。

室町時代(1336〜1573)には杣保(そまのほ)の主三田氏が諸堂・諸仏を修理し、再興をはかりました。

三田氏滅亡後、この地域を支配した後北条氏にも保護を受けました。

江戸時代にはやや寺運は傾き、十二坊あったといわれる子院は消滅しました。しかし民衆の厚い信仰によって江戸期の修理は近郊の人々の施財によってなされました。

さらに明治のはじめごろ、政府の神仏分離令や修験道の廃止令により荒廃した時期もありました。

しかし、昭和40年代(1965〜75)、寺役員や地域の人々の努力により、境内にツツジを植えるなどして、花の寺として塩船観音寺を復興させました。


仁王門

塩船観音寺を訪れると、まず見えるのが茅葺きの趣のある仁王門です。

木造三間一戸の八脚門で、屋根は切妻造りです。茅葺の屋根は昨年かなりの時間をかけて改修葺替工事を完了したばかりです。

軒下の木組みに力強さが感じられ、装飾的要素の少ない素朴な八脚門です。およそ800年前、平安時代の寿永3年(1187)の建立、背面などの柱は風食が進んでいます。

正面には「大悲山」の額を掲げられています。門内の左右に安置されている阿(あ)・吽(うん)の2体の金剛力士立像は2メートル70センチを越え、実に堂々とした像であります。

作は、鎌倉時代とされています。江戸末期の修理銘には1184年、雲慶作とあります。

像には天文2(1533)年に修理されたという銘文の木札もあり、修理は当時、杣保(多摩川上流域)を支配していた三田弾正忠政定が大旦那となり、鎌倉仏師円慶の手によるものでした。

昭和28年(1953)に解体修理され、その後何度か屋根の葺き替え修理が行われています。

門     国の重要文化財
仁王像 東京都の有形文化財


「旧国宝」と「新国宝」

塩船観音寺のホームページにも「旧国宝」という言葉が使われていますが、ここで確認しておきます。

「国宝」という語の指す意味は文化財保護法施行、昭和25年(1950)以前と以後とでは異なっています。文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財はすべて「国宝」と称されていました。

いわゆる「旧国宝」は文化財保護法施行の日をもってすべて「重要文化財」に指定されたものと見なされ、その「重要文化財」の中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものがあらためて「国宝」に指定されることとなりました。これが「新国宝」であります。


阿弥陀堂

仁王門をくぐると、目の前にあるのが銅板葺きの阿弥陀堂です。

木造・単層・寄棟造り茅葺型銅板葺。正面一間、側面二間の身舎(もや)にひさしを廻らせた、いわゆる阿弥陀堂形式ですが、簡素な技法であり、未完成のまま今日に伝えられたのではないかとも言われています。内部にはヒノキ材寄木造りの「阿弥陀如来」、「聖観音」、「勢至菩薩」の三尊像が安置されています。

庇(ひさし)は屋根裏を露わにしており、この点でも未完成の建物と考えられています。

昭和36年(1961)から解体修理が行われ、屋根が茅葺から茅葺型銅板葺に変更され、建具を含む柱間装置が復旧・整備され、仏壇回りが復原されたそうです。

建立年代は室町時代(1336〜1573)末とされています。

阿弥陀堂 国指定重要文化財
三尊像   東京都有形文化財

以前から、本堂、仁王門、薬師堂が茅葺きなのにどうして阿弥陀堂だけが銅板葺きなのだろうかと思っていました。

今回色々調べている中で、昭和36年の解体修理の時に銅板葺きになったことが分かりました。


阿弥陀堂の左側を抜け、東京都の天然記念物になっている大杉が左右にある階段を登ると、茅葺き屋根が苔むした薬師堂がありました。

塩船観音寺の大杉  左 幹囲6.9m高さ38.6m 右 幹囲5.8m高さ41m  東京都天然記念物


薬師堂(青梅市有形文化財)

写真左側の案内板には次のようにありました。


この薬師堂は、桁行(けたゆき)三間、梁行(はりゆき)三間、木造、寄棟造(よせむねつくり)、茅葺(かやぶき)、一重の小仏堂である。

建築年代は不明であるが、壁が竪羽目板壁目板打(たてはめいたかべめいたうち)であること、天井がなく屋根下地が直接見えるなど素朴(そぼく)で簡素(かんそ)な赴(おもむ)きがある。

堂内には藤原仏と推定される薬師如来像一躯(やくしにょらいぞういっく)を安置(あんち)している。

 昭和四十六年に解体復元工事を行い、現在に至っている。

 昭和四十三年十一月三日 指定
   青梅市教育委員会


この像はぼけ封じ薬師如来として、地域の信仰を集めています。

薬師堂  青梅市有形文化財


薬師堂の右手の階段を登ると、正面に本堂があります。本堂に向かって左手には寛永の鐘楼が右側には板碑堂があります。


寛永の 鐘楼

写真左側に白く見える説明板には次のようにありました。


市指定有形文化財 銅鐘

この銅鐘は、銘文にあるように寛永十八年(一六四一)三月、住職法印智賢(ほういんちけん)の本願により、杉本坊権大僧都良忍(すぎもとぼうごんだいそうずりょうにん)の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うため、市内南小會木の近藤惣太郎(こんどうそうたろう)が施主(せしゅ)となり大工(鋳物師(いもじ))・櫻澤市兵衛尉盛次(さくらざわいちべえいもりつぐ)が鋳(い)た鐘である。
この櫻澤市兵衛尉盛次は、現羽村市五ノ神に居住していた中世からの鋳工集団の一派の棟梁(とうりょう)であり、多摩周辺には彼等の鋳造になる銅鐘がいくつか現存している。
 今井の薬王寺に伝わる市内裏宿住の島村照恩製作の鐘とともに、製作者が明らかで、青梅近在にて鋳造されたことなど、その経緯が解る銅鐘としても貴重である。

 昭和四十三年十一月三日 指定
   青梅市教育委員会


この鐘楼には撞木(しゅもく 鐘をつく棒)が付いていません。今つかれている鐘は、ここより少し上がったところにある招福の鐘です。


昭和の鐘楼

案内板には次のように書いてありました。


除災開運 招福の鐘

此の大梵鐘、鐘楼は当山大壇越山際由三氏の発願で嗣子國允氏の奉献によるものです。この梵鐘はあなた方一人一人が幸福になるように祈りながら撞いていただくために建立いたしたものです。
天井の経文は光明真言といって諸々の災厄・病気等あなたのなやみを消滅してくださいます。南無観世音菩薩と念じながらゆっくりと撞いてください。あなたを必ずご守護してくださいますでしょう。

午前六時前と午後四時過ぎは鐘撞禁止
 鐘撞 奉納料 百円也


この鐘楼がつくられたのは、私の記憶ではたぶん30年くらい前だと思います。


本堂

本堂は室町時代末期の建立といわれています。

仏堂内が仏の占有空間である内陣と、礼拝空間である外陣とに仕切られ、その間を格子戸、蔀戸(しとみど)、欄間などで明確に区分する、いわゆる密教堂形式をとっています。

外観は簡素で、桁行7間、梁間6間の大きさ、屋根は茅葺、寄棟造です。以前の屋根はこけむしていましたが、今は葺き替えたばかりなのですっきりした感じです。

内部は内陣・外陣に分かれ、内陣に柱間3間幅の来迎壁を設け、本尊十一面千手千眼観自在菩薩を安置する一間厨子を置いています。

昭和28年(1953)に解体修理が行われています。

本堂 国指定重要文化財

厨子

内陣中央の本尊を安置する厨子は極めて精巧な作りで、内側右扉には普賢菩薩、左扉には文殊菩薩が描かれており、本堂と共に室町時代の建築です。

厨子 国指定重要文化財
 

本尊十一面千手千眼観自在菩薩

厨子に安置される本尊十一面千手千眼観自在菩薩は、木彫寄木造り立像。

慈悲あふれる温容なお姿は鎌倉時代、文永元年(1264)仏師法眼快勢・法橋快賢・覚位の作で、援助者たる大檀那は浄成と栄覚という記録があります。

宋朝様式の影響を受けた貴重な仏像です。

秘仏(御開扉年4回)となっています。

一度に千の願いを観て一度に千の手を以て願いを叶えることから千手千眼観自在菩薩と云われています。

木造十一面千手千眼観自在菩薩立像は像高140cm。完成から250年後の永正9年(1512)に大破したため、杣保の主勝沼城主の三田弾正忠氏宗が仏師下野弘円に修理を依頼したことが台座裏の銘文にあります。

東京都指定有形文化財


二十八部衆

本尊の眷属、すなわち侍者、従者、随伴者、取り巻きの神のことであります。

千手観音二十八部衆

密迹金剛(みっしゃこんごう)・那羅延堅固(ならえんけんご)・東方天(とうほうてん)・毘楼勒叉天(びるろくしゃてん)・毘楼博叉天(びるばくしゃてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)・毘婆迦羅王(ひばからおう)・五部浄居天(ごぶじょうごてん)・沙羯羅王(しゃがらおう)・阿修羅王(あしゅらおう)・乾闥婆王(けんだつばおう)・迦楼羅王(かるらおう)・緊那羅王(きんならおう)・摩侯羅王(まごらおう)・金大王(こんだいおう)・満仙王(まんせんおう)・金毘羅王(こんぴらおう)・満善車王(まんぜんしゃおう)・金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)・大弁功徳天(だいべんくどくてん)・神母天(じんもてん)・散脂大将(さんじたいしょう)・難陀龍王(なんだりゅうおう)・摩醯首羅王(まけいしゅらおう)・婆藪仙人(ばすせんにん)・摩和羅女(まわらにょ)

二十八部衆は、京都妙法院三十三間堂のものが有名です。現存する最古のものといわれています。

塩船観音寺の二十八部衆は、これに次ぐ、全国二番目の歴史を持つ貴重な尊像となっています。

千手観音の両側に並んでいて、ほとんどのものが鎌倉時代の初頭の作と推定され、その後幾度かの修理をへて今日に伝えられているものと思われます。

このうち、大弁功徳天は建治2(1276)年仏師常陸房定快の作であることが体内銘から分かりました。

定快は30歳で、その後20年にわたり18体を作ったことが胎内銘や作風から分かっています。

南北朝時代に一部の像を補作。室町時代には三田氏の援助で、江戸時代にも3度補作をしたことが分かっています。

東京都指定有形文化財


板碑堂

本堂横の板碑堂には百基近い板碑が収蔵されているということです。正面にあるのが永仁4年(1296)の大板碑ではないかと思います。

上部に欠けている部分があり高2.03m、幅0.63mの大きさがあるそうです。

板碑とは、いわゆる供養塔で、死者の追善や後世の安楽を願って作られたものですが、この堂内正面に納められている板碑は、「大板碑」といわれ東京都下で最大級の板碑であります。

青梅の板碑は1500基近く見つかっています。古いものは建長年代(1249〜1256)、新しいものは永禄年代(1558〜1569)の300年間にわたっています。

この間の杣保の人々の暮らしぶりや、考え方などを知るための貴重な資料となっています。

青梅市の有形文化財。


護摩堂 弘誓閣

本堂左手から下を見下ろすと、塩船の船底部分にあたる位置にあるのが弘誓閣です。

正式名称を攝受院護摩堂弘誓閣といい、当寺に参詣にくる信徒の諸願成就の為の祈願の中心道場となっています。平成10年4月に完成しました。


花の寺

つつじ祭り


15種類、1万7千株のつつじが、4月の中旬から5月の中旬まで、弘誓閣を取り巻く斜面を中心にに咲き乱れます。

この間、10万人を越える参詣者が訪れるといわれています。以前のこの時期は車が渋滞するなど、近辺住民も大変だった時期もありましたが、最近は駐車場が増えたせいか落ち着いてきたようです。

斜面の上部、途中には散策路が設けられ、様々な角度からつつじを見ることができます。

半すり鉢状の底の部分、弘誓閣の裏になりますが、休憩所が設けられ100名程度が休憩できます。このベンチに座ると、どちらの方向を見上げても素晴らしいつつじの咲き誇る景色を見ることができます。

形よく剪定されたつつじが無限に広がり、どんなに上手く撮った写真より実際のつつじは迫力があり、夢の世界にいるようです。

早咲き、普通咲き、遅咲きと満開になる時期は種類によって微妙にずれています。ピークはやはり4月の末から5月の連休あたりではないでしょうか。

4月の中旬から5月の中旬までのつつじ祭り期間中は大人300円、子供100円の入山料が発生します。これは、園内にあるつつじの維持管理のための費用の一部として使われます。


つつじの他にも

つつじが終わり6月になると、山門・阿弥陀堂辺りを中心にあじさいが咲き始めます。

手毬あじさい、カシワバあじさい、ブルースカイなどが植えられています。

梅雨の雨に濡れたあじさいも、なかなかのものです。

7月には大輪の山百合が、阿弥陀堂の東側の外の斜面などに美しさを競うように咲きます。

サルスベリが咲く夏が終わると、山門・阿弥陀堂・本堂付近を中心に白やピンクの萩が咲き始めます。

塩船観音寺の萩は、シラハギ、ミヤギノハギ、ヤマハギ、マバハギなどが300株ほどあります。

同じ9月には阿弥陀堂前の彼岸花・曼珠沙華が真っ赤に咲きます。

この他、秋の山茶花、ピンクの花をつけるベコニアの仲間のシュウカイドウなどが咲きます。


年中行事

塩船観音寺のホームページの年中行事は次のように記述してあります。

  • 一月元日〜三日 ・・・・・・ 元旦祭初護摩供(本尊開扉)
  • 一月十六日 ・・・・・・・・ 初観音縁日(本尊開扉)
  • 四月中旬〜五月上旬 ・・・・ つつじ祭り
  • 五月一日〜五月三日 ・・・・ 本尊千手観音開扉
  • 五月三日午前十一時〜 ・・・ 例大祭 柴燈護摩火生三昧火渡荒行厳修
  • 八月第二日曜日 ・・・・・・ 四萬六千日法要(青梅青少年剣道大会)(本尊開扉)
  • 九月第二日曜日 ・・・・・・ 薬師大祭(ぼけ封じ祈願)
  • 十月二十八日 ・・・・・・・ 不動尊宝前祭
  • 十一月中 ・・・・・・・・・ 七五三祈願(随時受付)
  • 毎月一日 ・・・・・・・・・ 早朝護摩祈願祭(午前六時より)
  • 毎月八日 ・・・・・・・・・ 薬師如来月例法要(午前九時より)
  • 毎月十六日 ・・・・・・・・ 本尊月例法要(午前九時より)
  • 毎月第四日曜日・・・・・・・ 月例写経会(午後一時半より)四月・八月十二月はお休み

特に注目すべき行事は、つつじ祭り期間中の5月3日に行われる例大祭 柴燈護摩火生三昧火渡荒行です。


交通案内

バスで行く

バスで行くなら、JR河辺駅から多摩バスか都バスで観音寺入り口まで10分程。

つつじ祭り期間中は臨時バスがかなりの本数でます。

さらにバス停から塩船観音寺の山門までは徒歩で7分かかります。

歩いても

河辺駅から歩いても2.4キロ、3〜40分です。方向は駅からほぼ真北。

駅前の道を挟んだ2つのビルの5階をつなぐ陸橋があります。その下を通ります。

400m進むと片道2車線の青梅街道に達します。これを横切りさらに歩いていくとスーパーの「いなげや」、オザムバリューがあります。

1キロ地点のオザム前の十字路は、右に曲がってすぐ左に曲がり、細い道を北上します。

ここは、多摩川水系と荒川水系の分水嶺になっています(?)。坂の上のオザムは多摩川水系ですが、その先の坂の下を流れる霞川は荒川水系です。

坂の上で、中間(1.4キロ)地点にある春日神社のひときわ高い杉林を目印に進みます。

そばまで来たら、その左側の切り通しを抜け吹上小学校東門に出ます。さらに直進すると吹上中学校に達します。

中学校の南東の角を左に曲がり、正門を過ぎ、突き当たりを左に曲がると塩船観音寺の山門が見えます。

道は曲がっていますが、とにかく北へ北へと進めば到達できます。要所には案内板・柱があります。

車なら

圏央道青梅インターから北西方向4キロです。

青梅インターを降りたら、圏央道沿いの道を西に進みます。圏央道が地下にもぐり見えなくなると、今寺東原交差点があります。そこから3つ目の信号、右側にファミリーマートのある交差点を右に曲がります。

塩船観音寺の昭和の鐘楼を寄進した和菓子の「つつじや」のある大門交差点を通り、慶友病院前の信号の次の信号を左折します。


一般道で行く場合は、青梅市内の青梅街道「野上交差点」を北に曲がります。

300m進むと、上記の右側にファミリーマートのある交差点に到達しますのでそのまま真っ直ぐに進んでください。。

塩船観音寺の駐車場は、つつじ祭り期間中は有料、普通乗用車700円となります。収容台数は200台ですが、付近に臨時の駐車場がいくつもできるようです。



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当山鎮守 山王七社権現
昭和の鐘楼の隣にあります












茅葺屋根をふき替えたばかりの
塩船観音寺の山門 寿永3(1187)年建立




山門の金剛力士像



1184年雲慶作



阿弥陀堂



阿弥陀堂 庇を下から見たところ
竹材が使われているのが分かる
























薬師堂






















370年前の銅鐘























昭和の鐘楼








本堂 室町末期の建立







































































板碑堂内部 正面が大板碑





正面は護摩堂弘誓閣
左は売店などに使われている普門閣



招福の鐘付近からの護摩堂弘誓閣
と冬のつつじ



春にはこんな感じになります
この写真は平成21年春




































































平成21年の
例大祭柴燈護摩火生三昧火渡荒行