去る2006年6月11日に横田基地で開催された駅伝に、佐々木走友会から2チーム参加し、佐々木走友会Sチームが総合で3位に入る大健闘。「2006横田駅伝大会報告」をご覧ください。


2006年も、洞爺湖マラソンが開催され、例年の様に佐々木走友会から遠征チームが編成され、池田初美選手が女子総合で4位、部門別でも2位に入る快挙を成し遂げました。それ以外のメンバーは、残念ながら昨年より悪い結果となってしまいました。


2004年12月19日に、佐々木走友会から、武田悦男・岩田道也・臼井義哉・石丸芳視の4名が参加しました。
詳細については、すこしずつですが、ただいま編集中の「2004防府読売マラソン参戦記」をご覧ください。
なお、2005年1月30日に開催された勝田全国マラソンについての記述も含まれています。


2004年5月23日、北海道の虻田町で開催された、第30回記念2004洞爺湖マラソンに、佐々木走友会で遠征チームを編成し参戦しました。佐野元明選手の2時間39分35秒(総合8位)を筆頭に4人のメンバーがサブスリーでゴールしましたが、残念ながら佐藤貴宏選手は35キロでリタイアしてしまいました。
しかしながら、今回マラソン9回目の挑戦となった岩田道也選手が、2時間59分20秒で、見事初サブスリーを達成! 昨年、そして一昨年の東京荒川市民マラソンで、連続3時間00分04秒という金字塔をうち立てた後、下り調子が続き、もうサブスリーは諦めたと漏らしていたのですが、本当によかったです。
そんな彼の走りも含め、参加者全員のコメントを元に、参戦記を綴ってみました。詳細は
「2004洞爺湖マラソン参戦記」をご覧ください!!


野口 理選手・石丸 芳視選手が、2003年2月9日に行われた2003東京国際マラソンに参加されました。
野口選手は「練習不足」ということでしたが、2時間23分50秒で21位と予想を以上の好結果でした。
一方石丸選手は、残念ながら35キロの関門でひっかかってしまいました。 来年の東京国際に乞う期待です!!

渡村 恵子さんが、2002年11月17日に行われた東京国際女子マラソンに参加され、2時間49分50秒の自己ベストタイムで26位でした。
昨年も、同じく東京国際女子マラソンに参加されましたが、その時のタイムを4分以上更新する活躍ぶりでした。
詳しくは、
「渡村 恵子の2002東京国際女子マラソン参戦記」をご覧ください!!


野口 理選手が、2002年2月に行われた、東京国際マラソンに参加され、2時間20分39秒の自己ベストタイムで、総合20位、日本人では9位という快挙を成し遂げられました。
このときの大会で優勝したのは、コニカのエリック・ワイナイナ。
しかし、ワイナイナは日本人登録だったため、野口選手が9位となってしまったのでした。 そんな野口 理選手が、参戦記を綴ってくれました。

詳しいことは、「野口 理の2002東京国際マラソン参戦記」をご覧ください。 かなり見応えがあります。


2002年11月3日に、岩手県の前沢でおこなわれた、スポニチ前沢マラソンの30キロの部とハーフの部に、それぞれ野口 理さんと石丸 芳視さんが参加され、なんと二人とも優勝してしまいました。


2002年12月15日に山口県で、防府読売マラソンが開催され、メンバーのうち何人かが参加してきました。
残念ながら臼井選手は、右足ふくらはぎの肉離れが完治しておらず、応援にまわりました。
しかしながら、コースレイアウトの関係で、スタート地点→8キロ地点→ハーフ関門→24キロ地点→35キロ関門という具合に、ある程度移動しながら応援してまわることが出来て、レースを楽しむことが出来ました。
詳しくは、
「2002防府読売マラソン大会観戦報告」をご覧ください。

2006年も、恒例の走り込みを12月29日に行いました。
今回は、総勢15名の方が参加されました。また、その後に青梅線小作駅前のやるき茶屋で行われた納会も、大盛況のうちに行われました。