東京国際マラソン参戦記(レース当日編)

 

当日の朝は620分頃起床した。平日と大体同じだ。家の周りを散歩がてら軽くジョックした後、入浴。

朝食は、ご飯と豆腐の味噌汁と卵焼き、サブメニューとして、きな粉もち、チーズもち、どら焼き等をとって、8時過ぎに家を出発。駅まで知加子に送ってもらい、電車で国立競技場に向かう。

930分少し前に、スペシャルドリンクを預け、山形の佐藤勇さん、今井仁さんなどと控室で歓談しながら、どら焼き、クッキーなどを食べる。久しぶりに会うので、楽しい。

10時半過ぎに、スタンドに上がり、三鷹陸協の皆さんが応援に来てくれたのであいさつ。11時少し前に召集。ふと外を見ると雪が降っていて、かなりびっくりした。しかし、以前の別大マラソンのみぞれよりはまだましだ。

その後、1120分ごろから、競技場で軽くウォーミングアップ。アトミクラブの山口さんと歓談しながらトラックを逆周りに周回する。不思議なもので、皆逆周りをしていた。

緊張のためか、その後は慌ただしく着替え、あっと言う間に12時になってしまった。乳首にばんそうこうを張るのを忘れていたので、直前に慌てて張った。

10分を切ったので、いつものようにウイダーインゼリーを胃に流し込む。

5分前になりスタート地点に整列。3列目のインコースから4人目位の位置なので比較的スムーズに走れそうだと思った。スタンドからものすごい大声で「74番野口がんばれ〜!!」と聞こえる。周りから「誰だ?お前の応援だろ!」と言われる。(後日、会社の先輩の田中夫妻だと判明)

1分を切り、カウントダウンが始まる。さあ、いよいよスタートだ。

 

スタート後すぐにインコースをキープ。寒さのせいか先頭はスローペースで団子状態だ。1周400は78秒、800は2分32秒、74秒にペースアップ。思ったより楽に走れていることに気がつく。競技場内1kは3分09秒。結構速いが、2年前の福岡の時は3分05秒で行っているので、この位が丁度良いと自分に言い聞かせながら競技場を後にした。

ロードに出る所で先頭集団はペースアップしたようで、徐々に離れていく。2kは6分28秒でこの1kは3分19秒。少し登っているのでまずまずだ。

第三集団に捕りつくと周りには、小林修君(早稲田山登りのOB、昨年の富士登山の優勝者)、慶応志木の大滝さん(2時間21分台)、少し前には大阪陸協の吉村君(2時間17分台)、新潟の野崎君(2時間18分台)がいるのを確認する。

四谷3丁目の交差点を右折して新宿通りに出て、いよいよ最初の下りに入る。3kは9分42秒(3分14秒)、四谷駅前を左折して4kは12分53秒(3分11秒)で通過する。集団は縦長になっているので、かなりペースアップしているようだ。気がつくと横には大学の後輩の兜森君がいる。彼はトラックでは5000m14分20秒、今年の東北選手権10000mのチャンピオンだ。マラソンの実績はあまり無い(それでも2時間25分台)が、力はあるので要注意だ。

そしていよいよ最初の5kの関門を通過する。腕時計では16分01秒。この1kは何と3分08秒だ。

 

5kを過ぎても集団は縦長でペースは全く落ちない。6k手前で石丸夫妻が声をかけてくれる。石丸さんの前で無様な走りをするわけにはいかないので、気合が入る。東京ドームの前を通過し、水道橋で右折。5kから7kまでの2kは628秒で、順調だ。

集団の一般参加の外人さん2人が何か話している。その後申し合わせたように集団の前に出てペースアップ。集団から少しずつ後退する人がいるらしく、自分の後ろの人が居なくなっていく気配を感じながら走っていると、完全に外人さん2人が、集団から抜け出して、残りの人たちは少しペースダウン、自分としてはホッとした。

10kは32分08秒、この5kは16分07秒である。今までの10kの最高は、3年前の福岡の32分26秒なので、かなり速い。少々オーバーペースの不安が出てきたが、もう後戻りはできない。

日比谷公園の手前で、共立の浅田勝美さんが前から落ちてきた。彼のベストは2時間18分台で、昨年の河口湖マラソンのチャンピオンだ。

寒さのための不調なのか、とりあえず勝つチャンスなので、平然を装い抜いていくことにした。その後、12k手前では、招待選手のカネボウの井幡選手が歩いていたと思ったら、早くも収容車に乗ろうとしていた。すぐ前に第2中継車が居て、カメラで写している。すぐ脇を通り抜けたので、直感的に「これはテレビに映った」と思った。

増上寺付近にさしかかると、沿道の応援が増えた。僕も沢山応援してもらう。少しペースが落ちたのか、調子が良いのか、ランナーズハイ状態でかなり気持ちが良い。

 

15k4828秒で通過。この5kは1620秒。ようやく少しペースが落ちたのがわかる。

「このまま、行ければ」と思っていると、給水ポイントで、吉村君がペースアップしてあっという間に10m前方、野崎君も慌ててついて行く。集団の最後方にいたので取り残されてしまった。ここまでかなりのペースで来ていて少し脚にも張りが出てきた。集団の中で2人は実力が抜きんでているので、先に行ってもらおうと思っているうちに、八ツ山橋が見えてきた。小林君以下皆前を追うのをあきらめたため、ペースダウンしたのがはっきりと判った。と同時に「ハッ」とした。

周りのメンバーの内2人はハーフのゼッケン、後半はアテにはならない。大滝君と小林君は自己記録は僕より上だが、最近の戦績では自分に分がある。今日僕は調子がいいので、後半向かい風を先頭で走るか、単独走になる可能性が高い。1人で走った場合、前半のハイペースがたたってペースダウンする可能性が非常に高い。

「だったら前について行った方が、いいのではないか?」

「そうだ! 弱気ではだめだ!20分を本気で狙うなら、いつかは、彼らに最後までついて行かなければならない。今日はその日かもしれない。」

もし今日失敗しても、次の福岡に向けてきっと良い経験になるはずだ。

腹は決まった。とにかく追いついて、つけるところまでついて行くことにしよう。

30m位は差がついてしまっていたが、八ツ山橋の登りで集団から抜け出し、下りで少しずつ差をつめる。下りきって10m差。中々差が詰まらないが、更に500m位行ったところで、2人についに追いついた。

さあ、後はとにかくついて行くだけだ。ペースも駆け引きも一切関係なし。単純明快だ!

そういえば、そろそろ青物横丁だ。知加と向うの両親とおばあさんが応援してくれる地点だ。とりあえず元気良く通過できそうなので、一安心だ。

 

青物横丁で無事に応援を受けて、次の目標はとりあえず20kポイント、そして中間点、折り返し、できれば帰りの青物横丁までは元気に走りたいものだと思う。

京急のガードの下を抜けて、すこし脚にきていると感じるようになる。しかし、ペース感覚としてはそれ程速いわけではなく、320秒/kmを少し切る程度の感覚だった。20kを1時間0433秒で通過、この5kは何と1605秒だった。これにはさすがにびっくりした。調子が良いのを実感するとともにオーバーペースの不安が頭をよぎる。ハーフは1時間803秒、もう少しで7分台だった。

このあたりで会社先輩の大倉さんがでかい声で応援してくれた。そして平和島の折り返しを回った。冷たい向かい風が吹いていた。これは1人だったら大変な事になるところだったと一安心。そして前半は追い風だったので、ちょうど良いペースだったと妙に納得してしまった。先ほどの大倉先輩、反対車線に間に合わなかったらしく、今度は歩道橋の上で大声で応援していたら、沿道の婦警さんに怒られていた。

前には、招待の協和発酵宇部の伊藤健太郎がいた。うわさには聞いていたが、妙な腕振りで頭を揺らしながら走っている。かなり変だ!というよりなんであれで2時間13分なのか不思議に思った。このまま行けば抜けるので、まず1人ご馳走様だ!

 

青物横丁に戻って来た。知加にしては大きな声で応援してくれる。寒い中せっかく来てくれたのだから、がんばらないと・・と思う。何とか持ちこたえて競技場でもう一度見てもらいたいものだ。向かい風は気になるが、前の2人が大柄なので、風よけになっている。隊列は常に吉村、野崎、野口の順。実力どおりだ。

25kは1時間2103秒(1630秒)。寒さのせいで少し押すが遅れたので、実際はあと3秒位は速いはずだ。ラップは30秒位落ちたが、折り返した後の向い風を考えると仕方が無い。落ちたと言っても、今までのマラソンの20〜25kの最速ラップである。ここまで、来たら何とか30k過ぎまでは、2人に食らいつき、できれば32kの日比谷のお濠まで一緒に行ければ、後半落ちても自己ベスト位では走れそうな勢いだ。とにかく32kまで!

 

帰りの八ツ山を越えて、品川駅前を通過する。僕への応援が随分あるのだが、誰だかまでは良く判らない。たしか野村さんや清水さん、坂上さんはこの当りに来ているのだろう。この辺りでは、前は誰もいない。かなり前の方を走っている実感が沸く。今までだったらこの辺りからおかしくなって、苦しくなっている地点だ。

すこし行くと遠くに紫のパンツらしき選手が、ドタバタした様子で走っているのが見えて来た。居た、居た。やっぱりと言うか、早くもと言うか、駒大の神屋だ。1月末の秋留台のTT.の時、青木君に、神屋に勝つと宣言していたので、予定どおりだ。

しかし、中々差が詰まらない。それもそのはずで、25〜27kの2kは6分48秒かかっていた。次(30kまで)は17分台だな、と確信する。しかし、もう脚にも来ているし、今のペース以上だと苦しくなることは目に見えているので、とにかくついて行くことだけを考える。しかし、呼吸と背中はかなり楽な感覚があるので、何とか32kまで行けそうな気がして来た。

 

30kは1時間3810秒(17分07秒)で通過。時計のラップは何故か1604秒を表示しているが、そんなはずはない。おかしいなと思うが、疲れからか考えるのがいやになったので止めた。(どうも25kの給水の時にラップが作動したことが原因らしい。)

山田さんがパソコンを片手に応援してくれる。河口湖マラソンの時と同じだ。横にいる片倉さんにも声をかけていただく。いよいよここからがマラソン本番のスタートだ。

アトミクラブの山川さんが沿道で応援してくれる。彼は10年程前に福岡で2時間19分台で走っている選手なのだが今回は故障で欠場だった。最初に野崎ファイトの声が飛び、僕がついていることに気がついたらしく、「野口がんばれ!」、「野口ついていけ!」、「野口いいぞ!」と大声で3連発。「そうだ、今日の野口はいい走りなんだ。」

いよいよ、32k日比谷の交差点が見えてくる。この2kは658秒かかっている。このままでは、次(35kまで)は1730秒、そうすると35〜40kは18分かかってしまう。これではいけないと思い、前へ出ようか迷う。3年前の琵琶湖の時もペースこそ違うが32kから飛び出しているので、その時のイメージでスパート気味に2人の前に出た。32kまでつければと思っていたのが、まさか前に出ることになるとは思わなかったが、ここまで来たら持ちタイムも実力も関係ない。勝負だ!

前に出たところで、待ってました!神屋君をかわす。沿道からは「神屋がんばれ」の声が飛んでいる。注目選手もこうなると辛くて、かわいそうだと思った。そして、すぐ前にはいつの間にか、元SBの櫛部がフラフラになっている。まとめてご馳走様でした。あと、もう一人抜いたのだが、これが別大優勝の清水昭だったとは、ゴールした後に知ることになる。

野崎君らしき足音が、ぴったり後ろについてきたが、2人いる気配は無いので、どうやら吉村君が遅れた様子だ。(彼は結局2時間2530秒で36位。昨年1年間故障のため練習不足とのこと。結果的にはずっと引っ張らしてしまったので、さよならパーティの時にお礼を言っておいた。)

神田美土代町の交差点を左折しいよいよ35kポイントも間近だ。この辺りの沿道整理員はうちの会社の人らしく、知った顔もある。既に脚に来ているので、ストライドは伸びないが、ピッチだけは落とさないようしっかり腕を振って走る。

 

35k1時間5511秒で通過。この5kは1701秒と少し持ち直した。自分が前に出た3kは1004秒なので、良くがんばっている。35kの給水でリンゴジュースを軽く口に含む。寒さのせいで今日は給水をほとんど飲まない。スポンジ、ゼネラルは全く無視している状態だ。考え方によっては、ロスが少なく非常に良い。

次の目標は水道橋の東京ドーム、その後は首都高速のガードをくぐって飯田橋、市ヶ谷、四谷の登りだ。かなり1kが長く感じるようになる。とにかく体が重い。

前の5kでかなり追い込んだ外人さんとの差が35kを境に30m差で急に詰まらなくなった。すごい人垣が出来ている東京ドーム前を通過し、飯田橋手前の37k地点を通過、この2kは6分57秒だ。ペースが落ちているのが、はっきりと判る。残り5k地点のタイムは良く覚えていないのだが、とにかく残り4分ペースでも自己新は出るのだけは判った。

市ヶ谷の手前で、それまでずっと後ろだった野崎君が前に出る。かなり苦しい。こうなると後ろにつくより何とか横に出て、前へ、前へ、行きたいところだが、半歩前に行けない。何とかついて行くのが精一杯だ。

気がつくと積水の砂田選手がすぐ前に居る。100kの世界記録保持者だ。ヨレヨレになりながらも砂田君をかわす。しかしそれから200m位で野崎君に離され始めた。彼は明らかに20分を意識して、腕を一生懸命振り、前の外人を捕らえ、力強く坂を登っていく。一方自分はピッチも落ち始めメロメロになってきている。やはり野崎君とは力の差なのか?それとも20分を突破した経験の差なのか?、本当の勝負所でどんどん前に行かれてしまった。しかし、ここで切れたら今までの走りが台無しになってしまうので、気持ちだけはしっかり持つ。「とにかく自己ベストだ!」

何とか坂の一番きついところで外人さんに追いついた。あと3kを通過した。時計は2時間10分何秒かを表示していた。20分は厳しいが、21分は何とか切れそうだ。39.5kの四谷駅の交差点を右折する時に、三鷹陸協の小角さんが大声で、「あと10分半がまん!」と叫んでいた。とにかくもう少しだ。

 

外人さんの前へ出て、いよいよ40kの関門を通過、2時間12分48秒(1737秒)。残りを711秒でいけば20分突破だが、全然動いていないので無理なのは分かる。最後の給水は無視して外人さんと競り合う。四谷3丁目の交差点を左折し、外苑がやっと見えて来た。

41kの標識が見えてきた辺りで、外人さんに離され始めた。残り1kを2時間16分59秒位で通過し国立競技場までの下り坂に入るが、脚がガクガクで全く進んでいかない。S字にくねっているので、とにかく最短コースを走ろうと心がける事しかできなかった。

競技場の入口の下りでもズッコケたが、何とかトラックに帰ることが出来た。スタンドには知加子がいるのが判ったので少し目線を送るが、走りはガタガタだ。残り1周で2時間19分を少し回ったところ、野崎君はもうトラックの反対側にいるので、彼は確実に20分を切れる。

山形の佐藤勇さんが3年前福岡で出した2035秒を切ることを最後の目標にして、とにかくピッチを上げようと脚を回す。

バックストレートで電光掲示版の時計が見える。残り200mのところで丁度2時間19分59秒から20分に表示がかわった。96年に初めて完走した時は、同じ場所で2時間30分になったのを思い出した。

そして、もがきながら、ゴール。手元の時計は2時間2040秒(7分52秒)だった。

 

ゴール後、日本選手権9位だと役員の方から聞かされる。先にゴールした野崎君と談笑しながら、少し体を休め、荷物室にもどる途中で小角さんが駆けつけてくれ、労をねぎらってくれた。

着替えながら、寒い中来てくれた知加に電話している途中で、瑞穂の村野さんが競技場に帰って来たのを確認する。三鷹陸協の宮原君は、残念ながら35kで収容されたことも聞いた。

続々と帰ってきた仲間と健闘をたたえあった後、応援してくれた皆さんが待つスタンドに顔を出し、お礼を言った後、三鷹陸協の人と千駄ヶ谷駅の先の蕎麦屋で軽く昼食をとった。

午後6時から、新橋の第一ホテルであったさよならパーティーに出席し、飲食、歓談。記録証、結果をもらってから帰宅した。帰りは村野夫妻の車で送ってもらった。感謝!!