東京国際マラソン参戦記(総括編)

 

 

東京国際マラソンに出ようと思ったのは、昨年の9月中旬であった。ここ数年、12月の福岡国際マラソンを年間最大の目標にしてきたのだが、昨年前半は、故障、選挙(仕事)そして結婚準備とほとんど練習が出来ていなかったので、12月にはとても間に合わなかった。福岡は市民ランナーの最高峰の大会である。中途半端な状態で参加しても、満足できる結果を残せないばかりか、完走すらできないし、周りのライバルの走りと自分自身を比較して惨めになるだけだと思い、それだったら更に2ヵ月しっかり練習して、東京に望んだ方が良いと考えたことが、東京を選んだ理由だった。

東京に向けて本格的に練習を開始したのは、11月からだった。急に練習を始めたので、決して順調ではなかったが、それでも何とか1月までの3ヵ月間に1500kmを走破することができた。

最初の頃は故障寸前で、タイム的にも以前には遠く及ばなかったため、もう無理だと思う日々だったが、臼井さんに誘っていただいた河口湖マラソンに出場しなくてはいけなかったので、とりあえず2時間40分以内で走ることを目標にして日々練習した。

上昇のきっかけをつかめたのは、その河口湖マラソンだった。わずか4週間の練習で、前半ゆっくり入ったとは言え、後半アップしての2時間31分台で完走できたことには、大きな自信になった。その後12月に入ってからは、河口湖マラソンの疲れ等もあり、練習は消化不良気味ではあったが、今から思えばそれだけ身体を追い込むことができた事が、良い練習になったのだと思う。

体調不良もあって、40k走は12月に2回、いずれも4分ペースでやっとこなした感じで、決して満足できるものではなかった。(2〜3年前は、42kを2時間40分位でできていた。)

しかし、東大和から三鷹までの通勤ランでまとめて距離を踏むことができたのは、今までより良かったと思った。いままで平日は、朝8k、夜10kという具合に細切れの練習だったので、朝から16kと、確実に体に負荷をかけることができた。

1月に入り、体が疲れていたので、6日に予定していた42kを30kに切り替え、今までの40k走よりは少し速いペースで行なったところ、その後徐々に疲れが取れて、翌週の川崎の30kレースでは、1時間38分台と、距離不足とはいえ、予想以上の好タイムで走ることができ、この段階で、もしかしたら東京で自己ベストが出せるのでは…と考えるようになった。

しかし、その後は確実に体の切れが出てきて秋留台の練習でも良い走りができたのだが、急に大きな動きができるようになったため、体が悲鳴をあげてしまい筋肉痛、足底痛に悩まされるようになった。2週間前に新宿ハーフを走ったが、冷たい雨に見舞われ、寒さの為体が硬直してしまい、本番に向けて不安を残す結果となってしまった。

 

1週間前には三鷹市民駅伝の3.5kを走った。またしても冷たい雨に見舞われたのだが、この時はタイム的に満足行く結果を残せたので、少しは気分的にも楽になったのだが、寒さのためあいかわらず体が硬く、筋肉痛、足底痛も出て、不調を脱するには至らなかった。

あまりに体調が上がってこないので、水曜日に治療院に行って、その後の練習を極端に落としてレースに望むことにした。

幸い、針灸が効いたのか、木曜日から少しずつ良くなり始めたが、この段階ではあと3日あったらと思った。

前日になっても今一つといった感覚だったが、瑞穂の村野さんの車に乗せてもらい、国立競技場の前日受付にリラックスして行くことができたので、やる気だけは出てきた。前日のジョックも、とにかくゆっくり疲れを体から出すことだけを意識して行った。

夜ごはんは、魚のムニエルなどで味噌汁の代わりにかけうどんを作ってもらった。食後にケーキ、アミノバイタル等を食べた。スペシャルドリンクを専用のボトルに入れ翌日の準備をして、11時前に消灯した。

 

当日は、小雪が舞う厳しい気象状況であったが、北西の風は例年よりは弱く、自分の感覚としては、97年の別大や2週間前の新宿ハーフから比べると随分良く感じた。前半から積極的にハイペースで走り、後半も大幅な落ち込みを防げたため、寒さの影響は結果的にほとんど受けなかった。

逆に一流選手は、先頭集団のハイペースの影響で後半失速して、寒さの影響をもろに受けていたので、結果的に普段より落ち込みが大きくなって、相対的に自分の順位が上がったと思われる。

レース内容については、レース当日編のとおりだが、今回第20位、2時間2039秒で走れた要因は、レース中がんばったのはもちろんだが、95年に初めて東京国際マラソンに出場(40k関門)してから、ずっと継続してマラソンを念頭に置いた練習の積み重ねが、成果として現れたのだと思う。今回のマラソンに向けての練習は、他の選手に比べ質量とも決して充実しているわけではないが、大きな故障もなく継続して練習してコツコツ貯えた貯金があったと思っている。

以前ランナーズの取材の時にも話したことなのですが、足し算の発想で、練習量を300kから500k、600k、800k、1000kと延ばしていくなら、その練習を、余裕を持って消化できれば、結果を出せるとは思うが、人間の生身の体は、そう簡単には受付けてくれない。だったら少し遠回りをしても、時間をかけて、今回だめでも次回、次回がだめでもその次という具合に、自分に合った同じ流れの練習を無理なくこなすようにした方が、長持ちするし、最終的に良い結果が得られるのではないかと思う。

 

そうは言っても、今後自己ベストを更新して2時間19分、18分…と短縮していく時間は、残り少ないと思う。村野さんから、今回の東京マラソン出場者のうち40歳以上は14人位だと聞いた。その中で、完走して記録を残すことは大変な事だと思う。自分は体の造りがひ弱なので40歳になってからも村野さんや佐野さんの様に走れる自信は全くないので、自分に残された時間は、後数年だと思っている。(もちろんその後も走ることは続けているとは思うが…)

残された数年の中で、しっかり準備ができて、当日の条件に恵まれるレースは後1回あるのか、2回なのかは判らないが、常にこれが最後だと言う気持ちを持ってレースに望まなければならないと感じている。

今回の東京は、地元でサッカーで言えばホームゲームであった。数多くの皆さんから応援してもらい、その応援によって走ることができたと思う。次回、アウェイの福岡でしっかり走り、今回の記録がまぐれだと言われないように、がんばりたい。

まずは、皆さんと一緒に練習しなければ…