2.東京国際までの練習

東京国際女子マラソンの目標

 今年の東京国際マラソンに向けての練習を開始したのは、8月4日に行われた富士登山駅伝に出場してしばらく休んだ後からでした。

 昨年、東京国際に向けてサブスリーを目標に(それまでのベストは3時間7分台)5月の下旬から5ヶ月計画を立てて取り組み、自分でも思いがけなく2時間54分4秒と自己ベストを13分更新でき、自分なりに手応えを感じたので、今年も同じように5ヵ月くらい前から準備をしていくつもりでした。

昨年はゴールデンウィークに、あっとランナー主催の車山合宿に参加し、そこでランナーズ等にも執筆などしている鈴木彰さんという方に、11月の東京国際マラソンで、ベスト、できればサブスリーを出すにはどのような練習をしたら良いか相談し、そこでいただいたアドバイスに従って、期を分けてトレーニング計画を立て、ほぼそれに従ってトレーニングしていきました。

今年は、昨年の東京で2時間54分を出したので、3月の名古屋ではそれを上回るタイムを狙いましたが、結果は2時間55分台と振るわなかったので、ぜひとも2時間50分を切りたいと思い、2時間40分台を目標にすることにしました。

目標はすぐ決まったのですが、名古屋が終わってから気持ち的にもだれてしまい、ゴールデンウィークを過ぎても計画を立てる気になれないまま、昨年何度もやった高尾山の練習も1回やっただけで、ロングの練習もすることなく6月を迎えてしまいました。

富士登山駅伝

6月9日に私の所属している青梅若草RRCチームで8月に行われる富士登山駅伝の選考会が行われることになり、私も駄目もとで参加することにしていたのですが、その一週間前に御岳・大岳でマラニックの練習会があり、その下りで思いっきり転んでしまい捻挫をし、一週間ほとんど走れないままに選考会は走ることにしてしまいました。

思いがけなく、選考会でぎりぎり富士登山駅伝のメンバーに選んでもらえて、喜んだのもつかの間、捻挫はやはり思い切り走ったことで悪化し、二週間は数度ジョグで走ることくらいしか出来ず、それでも何とか回復し、6月の最終土曜日から毎週末富士山に行き、五合目から自分の担当の4区・8区の区間を練習しました。

この練習は今まで自分のやってきた練習の中で一番辛いもので、まず富士山の五合目という高地で慣れない内は頭が重いほどの環境の中、きつい登り、しかも足元は全くキックの効かない砂地、そして7月は天候が不安定で山から吹き降ろす強風の中、一歩一歩脚を持ち上げるといった感じで歩を進め、男性との圧倒的な筋力の違いを感じ、落ち込むことばかりでした。

それでも、神様はいたのか、本番では何とか今までで最高のタイムが出せ、レベルの高い男性陣の中にいたので、足を引っ張ることにはなってはしまいましたが、この時にやれば出来るということが実感できたので、メンタル的にも良かったと思いますし、過酷な練習の中で確実に脚筋力のアップ(見た目にも明らかに脚が逞しくなりました)、又日本で考えうる最高の高地トレーニングが出来たのでは無いかと思っています。

富士登山駅伝は東京国際とは全く関係ないと言えば関係ないのですが、私にとっては実はこの駅伝の練習から、東京国際へ向けての練習が始まっていたのではないかと思い、ここに記しました。この富士登山駅伝の練習があり、東京国際へ向けての練習が又さらに遅れてはしまいましたが、これは実は回り道ではなく、近道だったのではないかと今は思えます。

この駅伝はレベルの高い男性陣に唯一の紅一点として混ぜてもらい、しかも捻挫もしてしまい、練習もなかなか成果が見られず、かなりのプレッシャーの中で走ったので、その後肉体的・精神的にもかなり疲れてしまい、終わった後は数日休みました。

別海合宿

8月のお盆休みに北海道の別海という所で仲間内の合宿に参加することになっていたので、そこからが東京に向けてのスタートだと思っていました。

8月の関東地方はかなりの暑さで、別海合宿の前にずっとやってなかったロングの練習をしようと合宿二日前に30キロ走を試みましたが、何と半分で挫折。これは合宿でちゃんと練習できるのかかなり不安になりました。

別海合宿はのべ10人参加の仲間内の合宿で最長で8泊9日でしたが、私は3泊4日の参加でした。

北海道は異常とも思えるほど低温で、別海は遊ぶところも無く、練習をするには絶好の環境でした。基本的に練習は1キロごとに道路にマークしてある5キロの何度かアップダウンのあるコースを往復するというものでした。

私のこなした練習は下記の通りです。

(14日)

午後練: 10Kmペース走 (4分/K) 39:29

ジョグ30分

(15日)

朝練習:ジョグ58分

午前練:(Bチームのサポート) ジョグ7キロ

午後練:A:30Kmペース走(4:15/K) 2:07:41(ラスト4キロで徐々にペースダウン)

(16日)

朝練習:ジョグ59分

午前練:ジョグ1時間14分

午後練:クロカンコース(2K)×5

(17日)

朝練習:ジョグ59分

午前練:20Kmペース走(4:30/K) 1時間28分45秒

午後帰宅

行く前に危惧してたより遥かに密度の濃い練習がこなせたことは収穫でした。

計画してくれた仲間、いっしょに走ってくれた仲間に感謝です。

夏バテ気味

 別海ではレベルの高い練習が出来たものの、昨年もそうだったように、夏バテと6月の終わりからの富士の練習の疲れが抜けないままの合宿の疲れもあり、8月の終わり頃は走りも最悪の状態になりました。

 8月最終土曜日にいつも参加している秋留台の競技場で行われる練習会で、12時間走があり、リレー形式で一人トラック4周を繋ぐというもので、私は計9回走りましたが、全く気持ちと脚が前に進まず、汚い話ですが、次の日ロングの練習中に入ったコンビニのトイレでは血便が出てしまいました。

 昨年も8月の終わりから9月の中ごろにかけては貧血にもなり、最悪だったので、又来たかという思いはありましたが、昨年もその後急激に調子が上がったので、あまり心配はしませんでした。

 8月の月間走行距離は400キロにいくかいかないか位でした。6月は捻挫したこともあり196キロ、7月は富士の練習の為距離が伸びず、277キロと8月に一気に走行距離を伸ばしたことも疲れの出た原因かもしれません。が、三ヵ月後にフルマラソンで2時間50分を切ろうと思ったらおそらくこれでも少ないくらいでしょう。仕方が無いと言えば仕方が無かったのです。

9月の練習

 別表の通り、9月の半ばからはスピードトレーニングに重きをおいた練習をするつもりで、目標としては9月の最終土曜日にある5000のタイムトライアルで17分台を出すつもりでした。

 9月14日に横浜市記録会があり、5000mで18:15を出し、調子が今ひとつの状態としてはまあまあの感じで走れ、9月末には17分は出せるだろうという感触を得ました。

 この後、徐々に調子が上がり、22日には友人の所属する走友会の合宿に一日参加させてもらい、30キロを4:20/Kくらいのペースを走ることも出来、月末のタイムトライアルでは目標通り5000を17:56のタイムで走ることが出来、何とか予定通りの感じでメニューをこなせていました。

10月の練習

 10月の初旬から一ヶ月は別表の通り、レースペースで走る練習を軸としてトレーニングしていくつもりでした。

 9月22日に予定よりも早い時期ではありましたが、30キロのペース走もまあまあの感じで一本こなし、その後30キロペース走を2本(6,27日)、20キロを1本(13日、本当は30キロの予定だったが、20キロ過ぎからペースダウンしたので、30キロは走ったが、20キロのペース走ということに)、10キロを4回こなし、また23日に40キロのLSDも試みた。

 この30キロと20キロのペース走はいずれもこの佐々木走友会のホームページの管理者の臼井さんと一緒にやってもらい(27日のペース走は他に3人いて、そのうちの一人にペースメーカーになってもらう)、一人では決して出来ないハイレベルな練習が出来たことにとても感謝しています。

 この高い密度の練習が効を結んだのか、10月に入ってから調子がすごく上がってきて、スピード練習などでも、今まで近寄ることさえ出来なかった人の背中を見て走ることが出来たりと気持ち的にも上を向いていました。

それには、9月20日に行われた友人の所属する不忍池ACという走友会の合宿で角田進さんに出会ったことも大きな要因でした。

角田さんは陸上の事には疎い私でも知っていた一般市民ランナーの神様と言われる、福岡国際マラソンに18回連続出場したというすごい方で、この合宿でお声を掛けていただき、何度もメール等でアドバイスいただきました。

 まず、基本的にもっと上を狙うなら走行距離を伸ばすこと、一日2回走る事、毎日走る事、又私の走りをご覧になり、もっとシャープな動きがあれば良いと思われたようで、例えば1000×10本というインターバルの練習があったら、私の場合、10本を半分の5本に減らしても良いから、最低でも3:20を切るペースで走ること、などのアドバイスをいただき、この1000×5本(3:20以内/1000)という練習を10月の初旬に2回やったところ(2回目は会社帰り、又混雑したトラックの為目標ペースでは走れなかったが)、その週末のトラックの練習会で5000×2というメニューがあり、一本目を19:10で抑え、2本目で17:31と一気にベストを大幅更新することが出来ました。又、10月の最終土曜日の5000のタイムトライアルでは17:04と自分でもびっくりするほどのタイムが出せました。

 又、10月20日に高島平ロードレースの20キロに参加し、昨年のタイムを約4分縮め、1時間14分54秒で走ることが出来たので、ある程度次月の東京の目標も射程距離に入ったという感じでした。

故障してしまったけれど・・・

 このように何人もの人の協力等により、かなりハイレベルな練習が出来、想像以上に調子が上がっていたので、体の疲れに気が付く事が出来なかったのか、10月30日、皇居を走っていて左ふくらはぎに痛みが出てしまい、ジョグさえも普通に走れなくなってしまいました。

 次の日急遽いつもお世話になっているスポーツマッサージの先生に診てもらい、幸い骨やアキレス腱には異常は無く、おそらく腰の異常な張りから来るものでしょうと言われました。その後も患部にキネシオテープを張り、主に河川敷の草地の上をゆっくり20分から30分走るという練習を続け、9日の土曜日には何とかゆっくりストレッチしながら1:30のジョグで走るまでに回復したので、角田さんのアドバイスにより、10日の日曜日は多摩川沿いで16キロの4:30/Kペース走を試みる。(テーピングで固める)患部はやはりかなり硬いものの、ほとんど痛み無くこなすことが出来たので、何とか東京は走れるかもしれないと少し気持ち的に明るくなれました。

 そして、次の11日は会社の創立記念日で休みの為、2時間のLSDをやり、13日の夜は皇居で二周し、一周は20分を少し切るペースで走ってみて、脚もずっとスロージョグでバネを温存していたためか軽く、かなり回復してきた事を感じた。

 ただ、ここ何日かで無理をした為か、次の14日くらいから、又患部がすごく硬くなってきて、アキレス腱をストレッチしても左だけ伸びなくて痛みもあり、スポーツマッサージに行って診てもらっても、「この状態で後3日後にフルマラソンはどうかと思います。痛みはどこで出るかはわかりませんが、おそらく出るでしょう。」と言われてしまいました。マッサージと鍼を打ってもらうとかなり患部も柔らかくなり、この状態になったならば何とか最後まで行けたら大丈夫かもといった言い方に変わり、かなり状態は悪いことはわかったけど、先生には「それでもベストを狙ったペースで行こうと思います」と伝える。

又、11月4日に初めて行ったスポーツマッサージ治療院では、非常に激しいマッサージと鍼を受け、患部の左ふくらはぎは腫れ、揉み返しで数日痛み、数日後にはかなりひどい内出血を起こしてしまう。これも治療の一環らしく、ある程度筋繊維を壊すことを前提にしているらしいのだが、結局17日当日もまだ腫れと内出血は残っており、果たしてこの治療がプラスマイナスで有効だったのか今ひとつ疑問を抱いている。

 角田さんにも故障では的確なアドバイスを何度もいただいており、「走れても練習感覚で3時間を切って、次につなげようという気持で行くべきではないかと思います。とにかく実力は大幅アップしていますので、あせらないで下さい。この冬にもう一つ大きな大会に出られるようにすることを大切にしましょう。」とメールをいただくが、他の大会ならいざ知らず、東京国際はとても思い入れの大きい大会であり、スタートラインに付くからには流して走るような事は絶対に出来ないと思い、角田さんにも「今の現状でベストを尽くしたい。」と生意気にも返信してしまいました。

なんとか目標達成したけれど・・・

 この様に非常に浮き沈みの大きかった数ヶ月でしたが、当日は気持ち的にはベストを更新、又2時間50分を切るという目標を持ったままスタートラインに付き、ぎりぎりで目標達成することが出来、ゴールした時は真底ほっとしました。

 記録的には20キロのタイムや5000のタイムから見ると物足りないものだったかもしれませんが、自分としては現状でベストを尽くせたと思いますし、課題も見つかり、又もっと上を狙えるという感触も得、やり遂げたという思いはあります。

 ただ、自分はどうやらフルマラソンは苦手、又は走り方が判っていないという事が判ってきたので、タイプもあると思いますが、それが何故なのか解明していきたいと思っています。

 本当に今回の東京は沢山の方に応援していただき、沢山の方にバックアップしていただき、大変なこともあったけど、収穫が多かった大会でした。

 今、東京を走り終えて、四週間がたとうとしていますが、やっと普通に走れるようになりました。走り終えたあとのダメージは覚悟して臨んだのですが、やはりダメージはあり、参戦記にも記したとおり、故障した脚と反対の右脚を痛め、次の日から数日は歩くことも困難で、11日後にやっとスロージョグで走れるようになりましたが、どうやら坐骨神経痛気味らしく、今は腰がだるく、押すと痛みがあります。

 今回の東京への挑戦は故障というリスクも負ったけど、その事さえも一つ勉強出来たと思っています。

 目標が高くなると、練習もきつくなり、練習量もそれなりに必要で、プレッシャーも大きくなり、又故障と背中合わせというリスクも背負い、それでも懲りずに今度の大会では又さらに上を狙おうと思っています。

 リスクも大きいけれど、それを上回るかけがえの無いものを得られる。ある友人も言っていたのですが、これは麻薬のようなものですね。

今の気持ちとしては、自分の限界はどこなのかを知ってみたい。というもので、もしかしたら、先日の東京国際がその限界かもしれませんが、自分でよしと思えるまで追い求めたいと思っています。

 今年の東京国際は又色々なものを得た、思い出に残る大会となりました。

 来年の東京も自分のその時の限界までベストを尽くして走っていたいと思います。

 

 最後になりましたが、応援して下さった方々、練習に協力して下さった方々、色々とアドバイスいただいた方々、挫けそうになる自分を励ましてくれた方、本当にありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いします。