ホ ー ム ペ ー ジ の 1 0 年 

    

12’5’13
 「パソコンて、面白そうだよ」と長男が言っていたころは、さしたる関心もなかった。 しかし、それまで重宝していたワープロがパソコンに取って代わられ、インクリボンがなくなるという話になってきたので、やむを得ずパソコンに触れることになった。

 せっかくパソコンを入手したのだから、ワープロの代わりだけではつまらないと、インターネットを始めた。 これが「間違いの元」だったのかもしれない。 面白いのなんのって、すっかりのめりこんでしまった。
 最初は、いわゆる「ネットサーフィン」だった。 趣味の登山もそろそろタイムリミットを迎えようとしていた私は、「山岳写真」のサイトをあさっていた。 これが、際限なくあるのだから、いくら時間があっても足りない。

 二男が「これが分りやすい」と買ってきてくれた「アンチョコ」を見ながら、パソコンを弄り回していた。 ワープロでは、平仮名打ちにしていたが、パソコンに換えたのを機にローマ字打ちにした。 新聞の「天声人語」などを集中的に打ち込んで練習した甲斐あって、文章を入力することに、抵抗はなくなった。

 長男がホームページを開設し「情報を世界へ発信できると言うことです」とメールしてきたことも刺激になり、私もホームページを作ってみるかと思い始めた。
 ホームページを作ると言うことは、私にとっては「遊び」のようなものだから、あまり費用は掛けたくないし、とりあえず5年間だけやってみようと思った。

 忘れもしない。 「超初心者向きホームページの作り方」で検索したのが、最初の一歩だった。 多くは「制作ソフト」の宣伝みたいなものだったが、タグの手打ちで作る方法を紹介したサイトもあった。 いくつかを読み比べて、分りやすそうなサイトを選んだ。 順を追って分りやすく説明してあるものを、100円ショップで購入した用紙にプリントして、先ず、教科書を作った。 この教科書はその後も度々見直す機会があって、大いに役に立った。

 タグをある程度理解できるようになったところで、作り始めた。 内容は、「時季の花」と「作文」の2本立てで、更新は無理のない範囲で月に2回と決めた。 ある程度の頻度で更新しなくては、誰も見てくれないだろうが、あまり負担になっても続くまいと考えていた。 折から、地元のケーブルテレビ会社が、プロバイダーの業務を始めるという事だったので、そこが仕事を始めたら申し込もうと思っていた。 地元ならば何かと便利だろうし、大手よりもきめ細かいサービスが期待出来そうに思えた。 

 「登山に関するものは載せない」と思っていたのだが、「もう少しにぎやかな内容にしたい」と思うに至り、「山のアルバム」として古い写真も引っ張り出した。 だが、まさか、不特定多数の人に見せることになろうとは思いもしないで撮った写真だから、山仲間がしっかり写っている写真ばかりで、実際に使えたのは少なかった。

 なかなか見てくれる人が増えないので、二男はやきもきしているようだった。 そこで、シニアのメーリングリストに加入して、更新の案内を出したりしているうちに、アクセス数も増えてきた。 見てくれている人があると思うと張り合いも出て、結構力を入れてコンテンツを増やしていった。
 やがて毎日更新するものがあればきっと大勢の皆さんが見て下さるだろうと考えて、「ばぁばのたわごと」を始めたのだった。 これが思った以上にアクセス数を上げることにつながった。 「言いたいことを代弁してもらっている」とか「共感できる」とかのメールも頂戴するようになったが、何よりも私自身の「ストレス解消」に役立っていた。

あっという間に予定の5年が過ぎ、どうしようかと迷ったが、結構楽しかったし、「やめないで」の声に押される形でずるずると来てしまった。 そして今年は10周年。 その早さにはあきれるばかりである。

 この10年で世の中も変わり、私もだいぶおとなしくなった感がある。 感覚的に「とても付いていけない」と感じることも増え、「年をとると言うのは、同じ考えの人が減ること」と、かつて聞いた言葉を実感として受け止めるようになった。
 半年ほど前から、「10年で終りにしよう」との思いが強まった。 ネットを通して出来た友達とも、疎遠になってきた。 実際にお会いした方以外、この世界でのお付き合いとはそうしたものなのだろう。
 延べ20万人を越える方がアクセスしてくださったのも驚くべきことだった。 この方たちの応援があったればこそ、ここまでやってこられたのだ。

 「ホームページの閉鎖」をお知らせして以来、「やめないで」「残念だ」「お疲れ様」等々メールや書き込みをいただく。 本当にありがたいことである。
 多くの方がごらん下さった「羽村ばぁばの散歩道」ではあるが、一番見たのはおそらく私自身だろうと思うとおかしいが、10年間、私も楽しいときを過ごすことができた。
 人のすることに無駄はないというから、私のこの10年間の経験は、これからの人生にも、今まで以上に「意味」を持つものとなるに違いない。

 最後の定期更新のためのページを作り終えたが、意外なほど淡々とした気持ちである。 「十分やった」と言うことだろうか。 ここで幕を引くのは、やはり正しい選択だったような気が、今はしている。   

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