08’7’11
いつの間にか大きな木になってしまったが、実はこの紫陽花、「鉢植え」なのである。 何年前のことになるのだろうか、「面白い紫陽花がありました」と、二男の嫁さんが持ってきてくれたものだ。
「面白い紫陽花」、それは、「石化紫陽花」だった。 茎が平たい帯状になっていた。
石化柳や石化エニシダは生け花の花材としておなじみのものだが、石化紫陽花は見るのも、聞くのも初めてだった。 家に来る人たちも「珍しいね」と言いながら眺めていた。
私は、何か薬を使って、一時的に石化してあるのだろうと思っていた。 思ったとおり、茎の石化は、年々なくなり、普通の紫陽花に変化していくように思えたけれど、ちょっと変わった花で、青い色が気に入っていたので、鉢を大きくしながら大事にしていた。
去年、今年と、一段と木が大きくなり、花つきも良くなったと思ったら、鉢はもうびくともしない。 鉢の下の穴からしっかりと根を大地に張ってしまったのである。 困った。 割ってしまうには惜しい鉢である。
花はごちゃごちゃとしているが、きれいだ。 あまり気をつけて見ることもせずに、切って仏様へもあげたりしていた。
私の頭の中には、「普通のあじさいを薬で石化させた」と言う意識があって、なんとなくかわいそうな紫陽花だと言う思いがあった。 段々に元の自然の姿に戻って行くのだろう、と考えて、ほかの紫陽花同様に剪定もしていた。
たくさん咲いた花の塊が、みんな三角なので、こういう種類なのかなと、初めて今年は考えた。 そして、ネットで調べて驚いた。
ちゃんと「石化紫陽花」は存在しているのである。 「黒軸石化紫陽花」別名「十二単」だと言う。 黒い軸が石化しているのだそうだ。 花の写真を見ると、我が家の花とまったく同じ。 ごちゃごちゃしていると思った花は、なんと「八重咲き」だとある。
折りしも雷鳴が近づき、雨がポツリポツリと落ち出した庭に急いで出た。 何はともあれ、花の分かれている軸の部分をのぞいて見た。 黒い。 確かに「黒軸」である。 触ってみると、平たい。 おう、石化しているではないか。
太い茎は青くて丸い。 最初はこれも石化していたのだが、あれはどういうことだったのだろう。
更に続けてネットで調べると、若いうちは石化しないのだそうだ。 もう何年かたつから石化しはじめたのだろうか。 そのうちに青い茎まで黒くなって石化するのだろうか。 「黒軸」と言うのだから、石化するのは「軸」だけかもしれない。 そのあたりの一番知りたいことが分からないのがいらだたしい。
今まで、切花にしたときに、「軸が黒い」と思ったことはなかったが、念のため、仏様に上げた花を見てみた。 小さい仏壇に合わせて、小ぶりの若い花を上げたからか、軸は普通に青いが、確かに平たい。 自分のうかつさを思い知らされた。
山紫陽花の園芸種らしいが、八重咲きなので、別名「十二単」なのだろう。 「何でお前の花は三角なの?」、と語りかけながら、「でも、きれいだね」と大事にしてきたことがおかしい。 知らないとはこういうことである。
しっかり茂って焼き物の鉢も見えなくなっているが、止むを得ない。 このままの状態でおくとしよう。 「黒軸石化紫陽花」と、素性も知れたことだ。
何しろ鉢を置いた場所のままだから、庭に面した戸を開ければ、どこからでも見える特等席に収まっている。
「ごちゃごちゃしているけれどきれい」と、見ていた花が、更に一段と美しく見えるようになったのだから、人間も勝手なものである。