先だっての忘年会での話題の一つが「赤いパンツ」だった。
「赤いパンツ」を身につけていると「下の世話」を人にさせずに、人生の幕引きができるというのである。ひところ年寄りの間ではやった「ぽっくり寺詣で」と同じ意味合いを持つ話である。十人中二人が実行しているというので笑いもおきたけれど、年寄りの多い集まりならではの話題である。
そういえば、昔、近所の奥さんが、「嫁に来たときお姑さんに頼まれて”赤い腰巻”を縫った」と聞いたことがあった。今は洋服が主流の時代だから、”腰巻”が”パンツ”に変身したものと見える。
着用中の一人は娘さんからのプレゼントだと、確か言っていた。もう一人は、講師を務めるカルチャーセンターの生徒さんからのプレゼントで、「もらったときは、正直なところ、抵抗があったわよ」とのことだった。続いた言葉が「でも、温かいの」には笑った。
2〜3枚セットで売られているというから、うかつにも私は知らなかったけれど「静かなブーム」なのかも知れない、と思いながらネットで調べたら、なんと、かなり大々的な話になっているらしいのには驚いた。
さらに「申年に身につけると幸福がくる」というので、じゃぁ、今年買わなければ十二年先になるのかとか、今年もまだ幾日か残っているから、帰りに買えば間に合うとか、みんなで面白がっていた。若い娘さんの「パンツ」の話ではない。こちらは肌着の「パンツ」である。
そんなものをつけていたら「浮気はできない」という「女らしい」人もいたけれど、浮気とは無縁の私としては、「交通事故には遭えないな」というところである。使っている人も「洗濯して干すのに気をつかう」そうだから、人に世話をかけないためには、長い努力と気遣いがいりそうだ。
腰巻なら「縫ってほしい」と言えるけれど、パンツでは「買ってほしい」とはお嫁さんには言いにくいだろう。お嫁さんや娘が気を利かして買ってくれば、「世話をしたくないからだ」とひがまれかねないし、自分で買おうと思うほど楽しい買い物ではない。さりとて、やたらと人にプレゼントできるたちのものでもない。”腰巻”が”パンツ”に変わった時代は難しい。
とにかく、病人の世話は大変である。まして年をとって頭や体の自由も利かなくなった年寄りの世話など、したくもないし、させたくもない。「赤いパンツ」でそれが避けられるならば、こんな結構な話はないのだろうけれど、喜ぶのは「商品化を考えた人だけ」と言う結果になるのがおちである。
長生きをするようにと紫色の布団がはやったこともあった。そのめでたい効果か、長生きの人が多くなった。
介護保険見直しの年を迎えるが、どんな状況でも心配なく人生の幕を引けるような「介護」が約束されてこそ、制度としての「望ましい介護のあり方」と思っている。「赤いパンツ」が話題になる状況は喜ばしいことではないだろう。
近所の奥さんがお姑さんに縫ってあげた「赤い腰巻」が、目的を果たしたのかどうか、聞く機会はまだない。