05’9’12モズの鋭い声に「あぁ、やっと秋になった」と思う。 夏の猛暑が当たり前になり、例年秋の訪れを待ちわびている私である。
気がつけば、つくつく法師の声が油蝉の声に取って代わり、日が落ちれば虫のねすだく、紛れも無い秋の夕べである。 それなのに日中のこの暑さはなんだろう。
「暑さの峠は今日」と幾度聞いたことか。 今日もまた・・・。 今度こそ本当であってほしいものである。 科学の発達した現代にあっても、天気の予報はそれほど難しいものなのだろうか。地球温暖化のもたらす害が言われて久しいが、地球を取り巻く自然環境も大きく変わり始めている。
氷河の後退や、海水温の上昇が台風の発達を盛んにすることくらいは素人でも容易に想像できる。 このところ、次第にその心配が現実になってきた。
特に、気温の上昇していることを痛感するのは山の朝だ。 夏山で、ご来光を迎えるのに、かつては、セーターに、手袋、更に重ね着をしても寒く、足踏みをしながら、明け行く東の空を眺めていたものである。 最近は薄手のジャンパーでも羽織れば十分で、手袋の必要を感じる寒さではなくなっている。
高い山での積雪量の減少が、高山植物の生育を危うくし、生態系にも狂いを生じている。
この秋は、いつまでも残暑が続く一方で、木々の葉はもう色をかえはじめた。 暑い夏が一気に涼しくなる年は紅葉がきれいだと言われるが、暑さが続く中で色が変わり始めたのでは、美しい紅葉を期待できるとも思えない。 木々も、あまりの暑さに、体力を温存するため、早く葉を落としたくなったのかもしれない。
秋の一日を、尾瀬歩きに出かけようと計画していた。 今年の尾瀬はもう「草紅葉」が始まっていると聞く。 秋の至佛山に登って尾瀬の山は終わりにするつもりだった。
ところが、仲間から、ちょっとひざの調子も悪いし、自信がなくなって、との連絡が入った。 時間をかけてゆっくり登れば大丈夫でしょう、と以前なら言えた。 しかし、人生も秋を迎えている私たちだから、うっかりは言えない。
山ではどんな状態になっても、自分で解決しなくてはならないから、無理を承知で誘うわけには行かないのである。 しばらく様子を見て・・・と言うことになったが、「すっかり治った」と言うことはなさそうな気がしている。
できたことが、次第にできなくなる。 人生の秋は寂しいものである。 現実は現実として受け入れ、心静かに「秋の日々」を楽しみたいと思う。
日脚が伸びて、座敷の奥まで日が入るようになった。 夜明けは遅くなり日没は早まる。 なんとなくあわただしく日を送るのも秋である。
あまり寒くならないうちに、障子の張替えもしておきたい。 古い日本家屋は障子もふすまも多い。 少し古い映画を見ると、登場してくる家が「我が家」である。
庭の手入れもそろそろ始めるようだ。 庭仕事は、いよいよ大変になれば、人を頼むしかないとは思うけれど、できる間はできるだけ自分で、と考えている。 嫌いな仕事ではないが、年々疲れを感じるようになるのはいかんともしがたい。 とは言え、萩が咲き、彼岸花が咲き、コスモスが咲く。 空は青く、高く、私の好きな季節である。 元気に動けることをありがたいと思う。四時を回り、日が薄くなってきた。 さすがに暑さは遠のく。 蚊が家に入ってくる時間でもある。 そろそろ戸を閉めることにしよう。