06’9’13今日もまた雨。 今日の雨はしとしと雨だ。 今週は雨の日が続いている。 昔もこんな「秋の長雨」があったのだろうか。 「秋は雨が降るもの」と、思った記憶が私にはないのだが。
秋と言えば、きれいに澄んだ真青な空を切り裂くような鋭いモズの声、青空をバックの紅葉、刷毛で掃いたような雲、運動会に遠足・・・、 いずれも真青な空がつきものだ。
近年の秋晴れはあまり長続きしないような気がしている。 世の中も変わり、気象状況も変わったということなのか。若い頃から、私の最も好きな季節は、秋から初冬にかけての頃である。
暑さが遠のき、空が高くなるとともに、紅葉の季節がやってくる。 朝晩の寒さが厳しさを増すと、落ち葉の季節。 やがて、落ち葉が、吹き出した北風にころころと転がっていくようになると、東京から富士山の見える日が多くなる。 思わず肩をすくめたくなるような寒さがやってくれば、裸木を見上げながらの雑木林の散策が楽しい季節の訪れである。
日差しが恋しい頃ともなれば、日向に背を向けて、新聞を広げて見たり、本を読んだり、日向のぬくもりを楽しむ。秋晴れが続くと、心身ともにすがすがしく、元気になれるのだが、幾日も雨が続いたりすると、気持ちも萎え、物寂しさを感じるのもまたこの季節だ。 元来が冬に向かって、何とはなしに心細さを感じさせる季節でもある。 私にとっても、大好きだけれど寂しくもある季節だった。 「巷に雨の降るごとく、我が心にも雨ぞ降る」になってしまうのである。
まして人生の秋を迎えている私である。 猶いっそう落ち込んでしまっても不思議ではないのだろうが、最近は少し様子が変わってきた。
最近の私は「写真を撮ること」にかなりはまり込んでいるので、「人生の秋」を感じている暇がなくなったらしいのである。
写真を撮ることで、雨の日の風景を見る目も変わったようだ。 真青な空にピンクの百日紅の咲く光景はもちろんのことだが、小ぬか雨に煙る山や川、雨上がりの風景、水玉をまとった草や梢。 いずれも、まことに美しい。 一方、雨の日は、落ち着いて、たまった写真の整理もできようと言うものだ。ストレスの多い現代だからか、「うつ病」が増えていると聞く。 よく言われることながら、「趣味を持つ」ことの効果を私はつくづくと感じている。
この長雨が終われば、いよいよ私の好きな季節になる。 近いところで、何とかきれいな紅葉を撮りたいが、どこに行こうか、などと考えたりしていると、雨もさほど苦にはならない。 とは言うものの、真青な空にこそ映える紅葉である。 澄み渡った秋空を待ち焦がれる気持ちに変わりはない。 長雨で気温も低い日々に、うっかり風邪をひいたりしないように、と思っているところである。