10’2’20
「今夜は雪」と予報が出ると、時々外を覗くことになる。 台所の小窓を開けて雪の積もり具合を見る。 雨戸を閉めた後、外を見るには、はなはだ便利な小窓だが、大きな柘植の木が前にあるので、降り具合を見るには玄関の方が良い。 玄関の引き戸はすりガラスの上部がぼかしの素通しになっている。 玄関の上がりかまちからは外の街灯が見通せるので、街灯の光る部分を隣家の屋根端で隠すようにして眺めると、雪の降り具合が一目瞭然というわけだ。
床についてからも、目がさめるとちょっと覗きに行く。 寒いから玄関からだけだ。 寝る時に軒灯を消してあるので、積もり具合も分る。 うっかり人には言えない話だが、音もなく降る様を見ていると、ちょっと楽しい気分になってくる。
雪の翌朝はいつも目が覚めると、じっと外の音に耳を済ませる。 奥多摩街道を通る車の音にである。大雪になり、まだ降り続いている朝は、車の音もせず妙な静けさがある。 鳥の声もしない。 不思議な静けさが広がる中、廊下の天窓の明るさが積雪への期待感を膨らませる。 昔は、よくチェーンの音を響かせながら車が通ったものだったと、時の流れにも、思いをはせる。 しかし、今回はそれほどの雪ではなかった。
二月最初の雪は「未明にはやむ」との予報だった。 朝、奥多摩街道を走る車も、特にスピードを落としている様子ではない。
夜明けが早くなってきたとはいえ、まだ鳥の声が聞こえてくるほど明るくはないから、6時過ぎころだろうか。
多少は積もっているだろうと、急いで起きる。 めったに見られない雪景色を撮りに行かなければ、と思うからである。 「このとき」に備えて、前夜のうちに用意はできている。 幸か不幸か、今年は、仕事に行く時間を気にしなくてはならない家人も留守である。 朝ごはんは帰宅後にして、先ず写真を・・・と考えても誰に遠慮もいらない。 何しろ解けるのが早いのだから。
急いで家を出る。 まだ日の射さない多摩川は靄にかすんでいる。 かねての予定通り、羽村取水堰から下流に向かって歩きはじめた。 玉川上水の雪景色もよかろうと思っていた。 だが、行ってみるとあまり面白くない。 やはり、対岸の草花丘陵が目の前に迫る羽村堰上流の方が「絵になる」と、急遽戻る。 おなじみの道を通って川べりに出た。 僅かな時間の間に、草花丘陵の上の方には日が射し始めている。 木々の着雪がピンクに染まって美しい。 やがて、ピンクを帯びた靄が、次第に薄れていく。 うっすらと雪の積もった川原の石も朝日の中で白さが際立つ。 影絵のように水面に映っていた木々の姿が、鮮明になってくる。
あっという間に時間は過ぎる。 同じことを考える人がいたと見えて、少し離れた場所にカメラを構える人の姿があった。 藪椿の咲く公園まで足を伸ばそうと思っていたが、なんとなく「気が済んだ」ので家に戻った。
今年は度々雪が降ったので、雪をまとった藪椿も、その後、無事カメラに収められた。 もう少し「長持ちする雪」ならば、奥多摩方面に出かけたいと思うのだが、そのような時に、青梅線が果たして動くかどうかは、何とも心もとない話である。
近くに撮るものがないわけではなし、とも思う。 「動き回ること」よりも「腕を上げること」を先ず考えるべきだろうと、よく承知はしている。
間もなく弥生三月。 雪はもう降らないかもしれない。
お世辞にも、上手とは言えない写真ではあるが、「自分なりの雪景色を撮れた」と言うことで、一応の満足を得たのだった。 はかなくも美しいこの淡雪は、このところあまり良いことに恵まれない私に、天からの優しい贈り物だったのかもしれない。 (My Galleryへもどうぞ)