バ ス ツ ア ー (大内宿・塔のへつり)

 
06’8’30
  一度行きたいと思いながらなかなか実現できずにいた会津、大内宿へ行ってきた。
 今までの私は、いわゆるツアー旅行は時間に追われるので、できることなら、自分で計画を立てた旅行をしたいと思ってきた。 しかし、ツアー旅行全盛の時代で、ツアーは何しろ安く、面倒が一切ない。

 さし当たって、私が行ってみたい場所は、友達は大体すでに行っているから、「一人参加」である。 一人参加が意外と私には具合がよろしい。 一人で自由に行動できるので、時間に追われる感じがない。 出かける前にネットで情報を得て、限られた時間をどう使うかを自分で決めておける。 連れに気を使うことがないので、友達には悪いが、思った以上に楽しいし、満足感も得られる。
大内宿

 と言うわけで、今回も日帰りで大内宿と「塔のへつり」に行く、大手旅行会社のツアーに一人で参加した。 朝六時に家を出て、夜九時頃に帰宅の予定だった。
 予定通り七時に立川を出発して、東大和、東村山と寄って、所沢のインターチェンジから関越道に入る、と添乗員の説明があった。 きびきびとした身のこなしが感じの良い男性の添乗員だった。 ところが、そんなに遠いはずではないのになかなか高速道路に入らない。 最初の休憩を取る羽生のサービスエリアまで一時間ほどかかる・・・、と言う話だった。
 やがて渋滞の中にいる感じになり、朝が早かったので眠気を催していた私が気がつくと、高速道路上ではあったが、「鶴ヶ島ジャンクション」の表示が出ている。 関越道ではない、これは圏央道だ、と、道路に詳しくない私にも分かった。
 我が家から東北道に入るにはこのコースなのだけれど、東村山は最寄の所沢から直接関越道に入れるのにおかしい、と思った。 「少し手違いがありまして・・・」と添乗員が説明した。
 うつらうつらしていたら、小さなサービスエリアで休憩になった。 さっき和光を通っていたから、外環道らしい。 行く先は福島県なのに、まだ埼玉県である。 最後の乗車地から休憩予定の羽生サービスエリアまで約一時間ということだったが、羽生のサービスエリアを通過したときはすでに二時間遅れだった。 こんなこともあるのだ。 やはり一人参加のお隣さんが、このバスは山梨のだから、地理が分からないのかもしれないと言う。

 塩原で一般道に降り、そこから五分の場所で、休憩と買い物とのことだったのに、長い長い五分が経過してもどこにも着かない。 やがて反対車線沿いにあった空き地に、バスが入ったのである。 何台かの車をストップさせて方向転換。 今来た道を逆戻りだ。 本当にこれで良いのかなと不安になるほど走って予定の店に着いた。 右に行く道を左に行ったらしい。
高遠そば

 当初の予定でも、昼食場所の店の規模が小さいので、二班に分かれて少々遅めの昼食になるはずだったのが、これではいつになるか分からない。 「小腹の減った人は何か買って・・・」と添乗員。
 それからまた走って、やがて「下郷町」の表示が見えたときにはほっとした。 大内宿は下郷町にある。
 見落としようのない、大きな看板「大内宿入り口」を曲がり、大内宿の駐車場に着いたのは二時近くになっていた。

 「客が来てからゆでる」と聞いた割にはあまり待たずに、名物の「高遠そば」が運ばれてきた。 大きな囲炉裏の中央には形良く炭がおかれ、そのヘリが卓になっている。 早い番の食事になったので、表の街道筋が見通せる場所にさっさと席を取っていた。
 会津塗りの大きな椀で、そばの上に大根おろしと削り節の載ったかけそばである。 特徴はこれに長ネギが一本ついていることだ。 ねぎが薬味であるとともに、箸代わりになるのだそうだ。
 岩魚の塩焼きも運ばれ、箸も添えられてきたが、ねぎで食べることに挑戦した。 ねぎでそばをすくっても、口がお迎えに行かなくては食べられない。 途中で箸に代えた。 「昔なら一本箸で食べる、と叱られたよね」などという話も出た。 
 おなかもすいていたが、この高遠そばは評判どおりの美味しさだった。 食べ終わって、「お先に」と周囲に声をかけて私は外へ出た。 少しでも散策の時間を多く取りたかった。     


秋の気配・・・
 大内宿はそう広い範囲ではないので、ゆっくり町並みを見ながら歩いた。
 「突き当たりの神社の石段を登ると、宿場を一望できる」と調べておいたので、まず行って見る。 磨り減った長くて急な石段を登ると素晴らしい風景が眼下に広がった。
 山間のこの宿場は、街道沿いに寄棟造りの家が整然と並んでいることがよく分かる。 そもそもは中央にあったらしい水路が今は両側にあって、各家の前には洗い場が作られ、店の前では飲み物を冷やすのに使われていた。 宿場をめぐる野山はすっかり秋のたたずまいを見せている。
 街道は広いし、そうしっとりした味わいがあるという趣ではなかったけれど、山から見下ろした風景は、気に入った。

 時間いっぱい散策を楽しみ、その後「塔のへつり」に向かった。
 ここでもまた道を間違えたバスは、細い道をバックする羽目になった。 向こうから来た車は、バスのバックにあわせてのろのろ運転を余儀なくされている。 やがて、田んぼ脇の狭い空き地で切り返しながらの方向転換だ。
 添乗員が後ろで「オーライ、オーライ」と声をかけるが、後部座席の人から「ひゃー、怖い」と声があがる。 右に行くべきところを左に曲がったらしいが、今度はすぐに目的地に到着できた。

 
「塔のへつり」にて
 帰りは当然遅くなり、添乗員は「いろいろあったが無事に帰れてよかった」と挨拶し、運転手からは一言もなかった。 いつものような運転手へのねぎらいの言葉もなく、「お疲れ様」の拍手もなしだった。

 運転手が道を間違えることは以前にもあったが、今回はあまりにもひどすぎた。 事前に地図を良く見るとか、客が観光している間に、調べておくとかできそうなものだし、しておくべきだろう。 不勉強と言うか、無責任と言うか、世の中はだんだんこうなっていくのかなと不安にかられる。
 山岳ガイドがこうなった日には命に関わるが、バスツアーでは「今日はひどかったね」で終わるのだろう。

 初秋の一日、懐かしさを感じさせる風景を楽しみ、これからは、ツアーを大いに利用しようと思い始めたものの、いつか大きな事故につながらなければ良いが、とも思ったことだった。     (My Galleryも見てね)  

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