ベ  ッ  ド

07’11’10
 自分用に新しいベッドを買おうと思い立ったまま何年かが過ぎてしまった。 長い間、畳の上にマットレスと敷布団を敷いて寝る、日本古来の生活をしてきたのだが、歳を重ね、ゆっくり寝ると翌朝は腰が痛くなるようになった。 「早起きして働け」と言うことかなとも思ったが、腰が痛くて寝ていられないのもつらい話である。
 人の話から、マットレスをやめたところ、腰の痛さは緩和されたものの、せんべい布団のためか、畳の縁がなんとなく背中に当たる感触が気になり、少しずらして布団を敷くことにした。
 さらに、朝起きると肩から背中にかけてこったような感じが残るようになり、段々に枕の高さを低くし、最後には、折りたたんで枕にしていたバスタオルを広げて頭の下に敷くだけで寝るようになった。
 薄い布団にタオル1枚分の厚さの枕、その上に薄っぺらな人間が寝ている、と言うわけである。 初めは、頭の方から、地球に吸い込まれそうな気分だったが、慣れればなかなか快適で目覚めもすがすがしいものになった。
 しかし、もともと血圧は低めなのだが、夜中に目覚め、起き上がるときにちょっと危険を感じるようになってきた。 ふらつくのである。 古い家の障子は下半分がガラスである。 ガラスに頭を突っ込んで、大怪我をした人の話を思い出していた。

 息子、娘と使った古いベッドがあいているので、それを使うことにした。
 安物の古いベッドは、マットも擦り切れ、寝返りを打つと、きしむ。 「きしむベッド」も小説に登場すれば、それなりの雰囲気をかもし出すのだろうが、実生活ではいただけない。 ただ、布団の上げ下ろしの手間からは開放され、起き上がるときのふらつきもなくなった。 「あのボロを使ってるんだ」と息子は言った。

 一生懸命働いてきて、こんなボロに寝なくてもいいか、と思うようになり、ベッドを買う予定で、ボロのマットを処分した。 フレームはばらして、切って「燃えるごみ」にと思ったのだ。
 ここで、私の私たる所以の事態となった。 一応使えるものを燃してしまうこともないかな、と考えたのである。
 買いに行くおみこしもなかなか上がらず、とりあえず、と思った代用マットレスのまま日が過ぎてしまったのである。 幸か不幸か、ベッドの上では腰も前ほど痛くはならなかった。 残り少ない人生なのだから、買うなら早くとは思うものの、時間の過ぎるのは早い。   

 とにかく、お正月は新しいベッドで迎えようと、やっと出かけたのが11月に入ってからだった。 枕元にちょっとした小物の置ける台があって、下に引き出しがついているもの、と言う基準で選んだら、迷うこともなく決まった。 
マットはスプリングが連結している、硬めのものと、連結していない軟らかめのものとがあって、軟らかめのほうが体にフィットして寝心地が良いかもしれないと、女性店員の説明だった。
 私は布団が好きで、布団を敷くつもりなので、硬めの方にした。 もっと歳を重ねて、布団干しが大変になったらパッドにするつもりだが、今は日向の匂いのするほかほか布団の魅力を捨てられない。 配達は10日後になると言う。 設置までしてくれるというから助かる。  

  出たついでにと、いくつかの買い物を済ませた帰りの車の中で、なんだか頭が痛くなった。 締め切った部屋の中で、何かアレルギー物質を吸い込んだのかな、と思った。 「くも膜下出血」は頭が痛くなるというけれど、それほどではないかと思いながら帰ってきた。

 ここで死んでは、新しいベッドに寝られない。 「せっかく買ったのに」と言いながら、「死んだ私」を新しいベッドに寝かせる息子を想像したらおかしくなった。

 新しいベッドも同じ場所に、同じ向きで置くことにしよう。 後々のことを考えているわけではないのだが、私のベッドは、「北枕」である。 科学的にも立証されると聞いたこともあるのだが、南枕や、東枕で寝ていたときよりもはるかに安眠できるのである。 「真北」ではないから、と言うのを、「言い訳」にしている。 

  家に帰り、片付けをしていたら、頭痛も忘れてしまっていた。 新しいベッドを長く使えるように健康に気をつけて、と言うのもおかしいが、さりとて、「寝たきり」になる予定は今のところ無い。
 何はともあれ、10日後が楽しみである。  

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