子猫 と 大工

05’5’10
 ゴールデンウイークに入る二日ほど前だったろうか、どこかで子猫の鳴く声がする。 声をたどるとどうも縁の下らしい。 縁の下の奥に入れるわけはないのだが、やはり縁の下だ。 
 縁の下にある通風孔が一箇所欠けている。 おそらく息子が小さかったころ「悪さ」をしたものだろうが、コンクリートの桟が二〜三本折れて穴があいている。 しかし、そこにはブロックをあてがって塞いであるから、猫の子が入るとは考えにくい。 どこから入ったか知らないけれど、入ったのだから、そのうち出て行くだろうと思った。 

 翌日になっても、まだ大きな声でミャーミャー鳴いているので、表を見たら、親猫らしいのが来ている。 隣に住み着いている猫が、去年産んだ猫と模様がそっくりの猫である。 もしそうだとすると、縁の下の猫は、隣のあの白黒猫の孫である。 しばらく姿を見なかったが、わが子を連れて里帰りをしたものか。 時はまさにゴールデンウイークである。 「オバーチャン猫」が、のうのうと隣家の石油タンクの上に寝そべっているのが見える。 良く子を産み、子育て上手な猫で、こちらは、そのために苦労させられたけれど、さすがに「お年」になったのか、今年は産まなかったらしいと思ったら、その娘?が、あとを継いでいるとは。

 親が来たから何とかするかと思ったのに、親もどうしていいかわからないようすで、廊下の下を出たり入ったりしている。 穴を塞いでいたブロックをどかして、縁の下に入れるようにしておいたが、相変わらず縁の下では子猫が鳴いている。 
 ゴールデンウイークに入っても相変わらず鳴いているので、だんだん心配になってきた。 もう三〜四日飲まず食わずである。 縁の下で死なれては大変だ。 猫は馬鹿な動物なのかなぁと考える。 当然ながら、声も少し弱ってきている。 

 五月一日は、ハイキングクラブの活動日で、早起きしなくてはならないのに、子猫のことを考えていたら、前の晩寝つけなくなり、睡眠不足のまま出かけることになってしまった。 夕方帰ってきて、耳を澄ますと、かすかに鳴き声がするような気がした。 親猫の姿は見えなかった。 娘も今日は見なかったと言う。 どうしたものかと考えてこの晩も寝不足になった。 

 翌二日は、普段の日だからと、市に電話をした。 道路にある猫の死体を片付けてくれるのだから、こういう場合にはどこかを紹介してくれるかと期待した。 しかし、予想通り、出した死体は引き取るけれど、出すことはできない、とのこと。 そうだろうなぁとは思うものの、「出す」のに困っているのだ。 息子も今日は休みではないし、第一、嫌がるのが目に見えている。 仕方がない、とついに「大工さん」に頼むことにした。

 電話をすると、「いいですよ」とあっさり来てくれた。 「あなたに頼むならミャーミャー鳴いている最中にすればよかった」と謝った。 もしかしたら「死んでいる」だろうから。 

 この大工さんは家も近いし、我が家の半分は彼の父親とおじいさんが建ててくれたもので、三代続いて世話をかけている。 何しろ親切で、良心的。 
 我が家は、水道の具合が悪くても、屋根がおかしくても彼に電話をする。 ちょっとの暇に来てくれて、「領域」の違う仕事のときには専門職をよこしてくれる。 だからと言って、縁の下の猫の始末まで頼むのは気がひけた。 

 住人よりも我が家の状態に詳しい彼は、畳を上げ、「またもぐることもあるかと思って、ここを釘じゃなくてビスにしておいてよかった」と言うのだから、恐れ入る。 
 板を簡単にはずすと「敷物」を伸ばしながらもぐってくれた。 「足跡はあるけれどいないよ」と言う。 「古い猫の糞がある」と言って、レジ袋を渡すとそれも片付けてくれた。 ついでだからと、縁の下中を見てくれて、「縁の下に入るにはこの穴しかないし、何かに追われたりすると信じられない狭いところも通るから、やっぱりここからでしょう」と言う。 
 ブロックをあてがっても少し隙間ができるから、後で余っている網を持ってくると言って帰った。 程なく来て、網を当てブロックを置きなおしてくれた。 

 私を悩ました問題は解決した。 「子猫が死んでも親は来るから、親が来なくなったのは連れて行けたのだろう」ということになった。 あの弱弱しい声は、気にする私の空耳だったのだろうか。 それともあの晩、親も決死の覚悟で入っていったものなのか。 

 この大工さん、「何でも言ってくれれば、できることはするから」と言ってくれる。 本当に助かる存在である。 「仕事じゃないから」と料金の請求はないし、気持ちばかりのお礼にも「多いよ」などと言う。
 おかげさまで、子猫から解放されて、三日ぶりにぐっすり眠れた夜だった。    


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