10’6’24
曲がりなりにも山歩きをしているのだから、元気ではあるはずだが、そのコースタイムが、登山地図に記された時間よりも三割から五割り増しに考えないと安心できなくなっているのだから、しっかり「衰えて」いるわけだ。 それでも、登山靴にリュック姿では、さすがに席を譲られる機会は少ないが、普通の格好をしているとやはり、年は争えないとみえる。
今日も新宿から中央特快高尾行きに乗った。 中央線の特別快速電車は、新宿から私の降りる立川まで、三駅に停まるだけで、四つ目の停車駅が立川である。 快速電車だと、新宿、中野間の二駅を通過するだけで、中野、立川間の十二駅に停車するので、所要時間にはかなりの差が生じる。
新宿で「青梅特快」と呼ばれる、立川から青梅線に入る「特別快速」に乗れれば、我が家のある羽村まで乗り換えなしで来られ、ラッキーなのだが、本数が少なく、新宿で約二十分も待つことになるので、前の電車に乗ってしまった。
電車ではドア近くに立つことが多いが、荷物を網棚に上げたいので少し中に入った。 本を読もうかどうしようかと考えながら荷物を網棚に上げたとたん、前にいた青年が「どうぞ」と席を譲ってくれた。 恰幅のいい青年だった。 お礼を言った後、「立川まで行くのですが・・・」と言ったら、「かまいません、どうぞ」と言ってくれたので、ありがたく座らせてもらった。
世間の人の多くは、年寄りが一人で長時間の外出はしないと思っているだろうと、私は考えている。 したがって、席を譲ってくれる人は、「すぐ降りるだろうから・・・」と思わないでもなかろうと思う。 ところが、このおばぁさんはかなり遠くまで乗るので、譲ってくれた人を長時間立たせることになるのを申し訳なく思うのである。 何しろ「特別快速」は停車駅が少ないのだから。
更に、座ったとたんに、本を出して読み始めるのにもいささかの抵抗がある。
心配した通り、この青年も私の下車駅の一つ手前まで行かれたのだった。 降りて行かれる時に改めてお礼を言ったら「ぺこっ」と頭を下げて行かれたが、せっかく座れたのに、私が前に立ったばかりにと、申し訳ない気分になる。 席を譲られる側も、それなりに気は使っているのである。
立川で乗り換えた青梅線は、それほど込んでいなかったのでドア近くに立っていた。 近くに男子高校生?の二人連れがいた。 一人は座り、一人は立っている二人の会話が耳に入る。 試験の点数が「赤点かも」とか、前回は30点台だったとか、心細い話をしていたが、思わず噴出しそうになったのは、「朝起きると、腰や背中や肩が痛くて・・・」と言う話。 男子高校生の話題とも思えない。 内心、「五十年早いよ!」と思ってしまった。
そういえば、高校生から席を譲られたことはなかったかも知れない。 確かに、これでは、年寄りが席を譲ってやりたいような話である。 日本の将来が心配になってきた。
この二人は、中央線で席を譲ってくれた青年とびっくりするほどの年の差とは思えなかったが、とかく男の子のひ弱さが目立つ昨今である。
いつだったか、山帰りに乗った電車で、若いお嬢さんに「おかけになりますか」と尋ねられ、「私たちは大丈夫ですから・・・」とお断りした時、連れの青年に「僕たちよりもずっとお元気そうですよね」と言われたことを思い出していた。
席を譲ってもらえる年寄りの、「最後の世代」が私たちかもしれないなと、ふと思ってしまったことだった。