07’10’26
しばらく続いた秋晴れもそろそろおしまいになるかと心配したが、当日は素晴らしい晴天だった。 文字通り、雲ひとつない快晴に恵まれた。
7時半に家を出て、谷川岳ロープウェイ駅前に着いたのが10時45分。 そこで、ロープウェイで天神平に行く人と、一の倉沢へ歩く人とに分かれ、それぞれ自由散策の後、再集合が3時間後と決まった。
紅葉が見ごろと聞く天神平にも魅力はあったが、以前、天神平から谷川岳に登ったときも、素晴らしい紅葉は見ていたから、今回は予定通り、一の倉沢に向かうことにした。
道中、細い道には車が溢れ、行き止まりの道ゆえに、大きくはないであろう奥の駐車場がいっぱいになれば、進むことも戻ることもできない状態になる。 その間をすり抜けて歩きながら写真も撮り、マチガ沢を仰ぎ、約1時間で一の倉沢に着いた。 これが、「かの有名な一の倉沢か」と、感慨深いものがあった。
1960年、あの宙吊りの遭難者の遺体を、ザイルの銃撃で収容したのはどのあたりだったのだろう。 衝撃的な出来事だっただけに、銃声が峰々にこだまする音がまだ耳奥に残っている。 家族には耐えられない音だったことだろう。
剣岳、穂高岳とともにその難しさで三大岩場とされているという。 剣岳は知らない。 穂高の岩場とは、北穂の滝谷だろうか。 北穂山頂からこわごわ覗いたあの絶壁だろうか。
2月にスノーシューツアーで訪れたときは、湯檜曽川沿いの地点から眺めたのだが、雪に覆われた姿とはまた違い、近くからは、細かく刻まれた岩ひだもはっきり見え、取り付くことの困難さを思わされるのだった。
谷川岳が手近に登れる山として脚光を浴びるようになったのは、上越線の土合駅ができたおかげだと言う。 魔の山と言われながらも、多くの登山者があった。 昔は、土合駅で列車を降り、土合口から入山したのだろう。 今はロープウェイができたので、水上駅からのバスとロープウェイを乗り継いで、天神平に登り、そこから山頂を目指す人が多いと思われる。 私も、チャーターしたマイクロバスで、ハイキングクラブの仲間と行ったのだった。 2月に行ったときは土合口から入り雪道を歩いた。
土合駅は地下にある駅で、地上に出るには長い階段を登らなくてはならないが、登山のためにはその階段上りが程よいウオーミングアップになると聞いたことがあった。 今回のツアーでは、その土合駅を見学するチャンスを得られるのも楽しみだった。
土合駅は面白い。 上りホームは地上にあり、下りホームは地下70メートルにある。 それでいて海抜は500メートル以上ある。 下りホームは新清水トンネルの中にあるのだ。 今は無人駅で、停車する列車もごく少ない本数である。
「下りただけ上らなくてはならない」と思いながら長い長い階段を下り、ホームに下りた。 わずかな明るさの中に細長いホームがあり、待合室がある。
ホームまでの階段は合計486段。 一気に下るわけではなく、5段ごとに踊り場がある。 途中に何箇所か休憩用のベンチのあるのが面白い。 「工事中」のようにも見えた横のスペースは、もともとはエスカレーター設置用に設けられたものらしいが、いまさら作られることもあるまい。 2000年の調査で、一日平均の利用者が17人。 今は更に少ないのではないのだろうか。
緩やかな傾斜なので、思ったほど疲れることもなく地上に戻った。 山をかたどったと言う駅舎の背後の山の紅葉が午後の日に美しかった。
あの階段を登って、土合口から谷川岳を目指してみたかったなぁと、ふと思った。 とは言え、年を重ねた今となっては、魔の山も観光コースに組み込まれる時代の変化を喜ぶべきなのかもしれない。 若い頃の想いが少し叶ったような満足感もあったバスツアーだった。 (Gallery「一の倉沢」にもどうぞ)