同 級 会

07’3’27
 人間も古稀を過ぎると、多少の個人差はあるにしても、「老い」は加速の度を高めるようである。 今年の同級会でつくづくと感じたことだった。
 お決まりの「一言」にしても、去年とまったく同じ話をする人がいる。 「自慢話」だ。 「過去の栄光」を現在の生きる支えにしているのだろうか。

 卒業以来五十年もたつのだから、その間のことはお互いに知らない部分もあるのは確かだ。 だからその輝かしい一時期を語るのを聞けば、「頑張っていたのだ」と納得できるし、すごいなぁと、何一つ人に誇れるものとてないわが身を振り返ったりもする。
 しかし、二度目ともなると、少し覚めた目で見ている自分に気づく。 私自身も、自分なりにできることはして頑張った、と思ったりもする。
会場は新宿駅南口近く

 まだ現役で仕事を続けている人もいる。 得々と語る人もいれば、周囲が若い人ばかりなので、もう終わりにしようと考えていると言う人もいる。 意地の悪い見方をすれば、自分ではバリバリ仕事をしていると自負していても、若い人から見れば「箸にも棒にもかからない年寄り」と思われていないとは言い切れないのである。 私自身が若かった頃、五十歳過ぎの人をどう見ていたかを思い出せば、およその見当がつくというものだ。 

 大して飲んだ様子もないのに酩酊する。 酒が入れば「問題発言」も多くなる。 それに歯止めのかからなくなるまでの時間も、かなり短縮されたようだ。
 飲み物でもと、それぞれコーヒーだ、アイスティーだと注文しても、品物が届く頃には自分の注文したものを忘れているなんぞは、アルコールのせいもあるには違いないのだろうが、「かなり来ている」と、感じてしまった。
 親しい者同士はかたまって盛り上がり、久しぶりの人はなんとなく居心地が悪そう。 人への気配りができなくなっているのだろう。 自説を曲げない頑固さも目立ってくる。 二十人足らずの集まりなのに、閉会の挨拶もないのに帰ってしまう人も出る。 幹事もやりにくそうだ。  
明治神宮の森も霞む21階
 

出席できない人には親の介護のためとする人が多かったのに、いつの間にか連れ合いの介護に変わっている。 本人が具合が悪い例もあるし、故人も増えてきた。 出席者の顔ぶれもほぼ決まってしまっている。

 今年はなんだか、いつものような楽しさを感じなかったのは、空模様のなせる業か、人身事故の影響で遅くなったためか、あるいは、私自身の「老齢化」のせいなのか。
 来年の幹事も決まった。 同じ話を聞けば、今度は「またか・・・」となるだろう。
 過去はどうでも良い。 「今をどう生きているか」が問題なのだと思う。 私自身も、胸を張って語れるような日々であれば良いのだが、それはかなり難しいことである。

 年を重ね、それなりに生じてくるもろもろは致し方ないが、お互いに元気で、また楽しく顔を合わせたいものである。 毎年同級会が開けるようになったのは、それぞれに時間の余裕ができたここ何年かのことだけれど、何しろ長い長いお付き合いなのだから。    

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