08’3’27
山仲間で、やはりこの写真展に応募するMさんとの話では、「必ずしも、自分の気に入った作品を取ってくれるとは限らない」と言う点で一致している。 Mさんいわく、「どうしても、これを出したい、と思うときは一枚だけ応募すればいいのだろう」と。 確かにそういうことになる。
二度目の昨年は、「下手でも取ってくれる」ことが分かって、なんとなく気が乗らなくなっていたところ、秋の締め切り間近に実行委員会から、「今年もよろしく」との電話があった。 Mさんは、奥多摩の山で撮った一枚だけを出すと言う。 私はあれこれと考えた末、「自分の好きな一枚」、「写真としては多分これがいいのだろうという一枚」、「西多摩にこだわればこれ」、と三枚を選んで出した。
結果は予想通り、「西多摩にこだわりの一枚・“鮎漁解禁”」を入選としてくれた。
年が明けて一月末の「入選作品展」も終わり、夏にもう一度作品展示の機会があるのだが、「喜べる入選」と言うわけではないので、今年はさしたる感動もなかった。 しかし、会場で眺める自分の写真は、家で見ているよりも、はるかに「見栄え」がするような気はしている。
二月に入り、実行委員長からの電話で、私の応募作品の一枚を市の商工会で使いたいと言ってきているが、如何なものかと尋ねてきた。 私が一番気に入っていた一枚を絵葉書にしたいと言うことだ。 「ボツ」になったものも、使い道があるのか、とびっくりしたが、使ってもらえるとはうれしい事で、異存は無いと答えておいた。 これには「謝礼」がつくと言うのには二度びっくりだったが・・・。
三月になって、『写真の使用許諾を前提とした基本登録に関する同意書』と言う小難しい?書類に署名捺印して『登録料』五千円也を頂戴した。 要するに「商工会で向こう三年間はご自由にお使いくださって結構です」と言うことである。 それにしても、自分の写真が「収入」につながろうとは予想だにしなかったことである。
写真を評するときの「絵葉書写真だ」と言う言葉は、ほめ言葉ではない。 「絵葉書写真で結構ではないか」と言う人もあるが、おおむね、ただきれいなだけで、写真として表現しているもの、訴えるものが無い、と言った意味合いで使われるのだろう。
私の一枚を絵葉書にしてくれると言うことだから、文字通りの「絵葉書写真」だったわけである。 どんなものになるか楽しみだけれど、その絵葉書がどこで手に入れられるものかはよく分からない。
さらに、もう一枚の応募写真も、「お散歩マップ」に使ってくれると言うことである。 こちらは「小さな写真になる」とのことで、よく見かける、地図にチョコット載っている、あの手のものなのだろう。 市の桜祭りや、チューリップ祭り向けのもので、駅などにおくという。
もうできているはずなのに、駅にも見当たらないし、果たして見る機会があるのかどうか心配になってきた。 ちなみに、こちらは『ご協力』と言うことである。
Mさんのように、私もこれからは「お気に入りの一枚」だけで応募しようかと考えていたのだけれど、今回の出来事が、私に多少のやる気を起こさせる結果となったのは事実だ。 なんとなく「今年の三枚」が、頭の中に浮かんでいる。
ただし、「五千円」が効いたわけではないことを明らかにしておかなくては、「女がすたる」というものである。
花見客でにぎわう土曜日の午後、羽村堰の桜を見に行った。 出店の中に観光協会の店もあった。 店先に張ってあったのが「お散歩MAP」。 小さな写真が並んでいる。 「これかな?」と眺めていたら、「イベント情報」のコーナーにかわいらしく載っているではないか。
モノクロ印刷の簡単な略図だと思い込んでいたのだから見つけられるわけが無かった。 確かに写真は小さくて目を留める人も無いだろうけれど、きれいなカラー印刷だったことがうれしかった。
店内をのぞいてみたら顔なじみの人がいたので、事情を話し「一部いただきたい」と言ったら、「お友達にでも」と、五部も出して下さった上、ポケットティッシュまで頂戴してきた。
少し立ち話をして帰ってきたが、混雑がいやで、めったに行かない休日のお花見に、珍しく行く気になったのも虫の知らせだったのだろう。
帰ってきてから、「絵葉書もあったのかもしれない」と思った。 感度の悪いことだ。
四日ほどして、雨上がりの桜を撮りに出たついでにもう一度寄ってみた。 あった。 五枚セットのシリーズがいくつかある中の、「玉川上水・多摩川」に入っていた。 記念に買ってきた。
ファイルにもなっている。 こういう使い方もできるのかと感心したが、なぜか、絵葉書もファイルも、自分とは関係のないものを見るような気分で眺めているのが不思議だった。