第二の学生時代

05’12’25
 今年の春のことだ。 最近は、ほぼ毎年開かれているクラス会に、久しぶりに出席することした。 大体いつも新宿で開かれるのだけれど、夜の会は帰りを考えるとあまり気乗りがしないので欠席することが多かった。 ごく親しかった人たちとは、個人的に会う機会を作っていたことが、なお、無理に行かなくても、という気にさせていたのかもしれない。
 私の意向を反映してくれたのかどうかは定かではないが、今回は午後の早い時間に開かれることになっていた。 なんとなく、行かないのはまずいとの思いにとらわれた。 会場は京王プラザホテルの「モノリス」。 親しい人たちと会うにもよく利用する店である。

 新宿駅西口改札口に三人で待ち合わせて、会場へ行った。 卒業して五十年近く、所在のはっきりしている三十七名中十四名の出席だった。 昨年は二十名の出席だったという。 欠席者の中には本人の体の具合が悪い人のほかに、連れ合いの介護で出られない人が増えてきたのも、年を重ねた私たちならではのことだろう。

 卒業後初めて会う人もあり、「あの人は誰?」という人もいれば、ほとんど「変化なし」の人もいたが、久しぶりで会う人たちとも話し始めれば、たちまち学生時代に戻ったように話しができるのも不思議である。

 無事に会も終わり、時間に余裕のある人はコーヒーでも飲みに行こうということになって、駅近くの喫茶店に入りこんだ。 中に、『源氏物語』の講座をいくつか持っている人がいて、そのことに話が及んだとき、「彼を講師にして、我々もまた読もう」との話が持ち上がり、会場を提供できる人もいたことで、とんとん拍子に話は進み、全員に呼びかける手はずも整った。
 「少しばかりの御礼なんかいらないでしょ」とか、「宿題、予習は無しね」とか、勝手にことも決まり、ついた会の名前が「源氏蛍」。 「わずかな光ではあっても、みんなそれぞれに輝いているから」と。 「蛍の寿命は短いから、立ち消えになるわよ」と、私は言ったけれど、「大丈夫」とのことで決定した。
 「みんな同じ勉強をしてきたのに、何で私が講師なんだよ」と彼は言ったものの、アルコールの力もあって、押し切られた。

 そしてこの八ヶ月、男女それぞれ五名ずつの会は続いている。
 月に二回、「伝本がどうの」、「語法がどうの」という話は抜きにし、エピソード的な巻は後でまとめて読むことにしたので、話の筋立てがはっきり分かるし、非常に楽しい。 マンションの会議室を、住人は無料で借りられるのも幸いだった。 セキュリティーが厳重で、慣れるまで戸惑うこともあったが、最近は受付さんとも顔なじみになった。
 交通費とお茶代だけで努めてくれる講師のためにと、夏は「暑気払い」、暮れには「忘年会」を計画したけれど、自分たちのためでもあることは言うまでもない。

 忘年会の席で、みんなの思いが同じだったのは、「この年まで、こんなに元気でいられるとは思わなかった」ということ。 そして何よりも、「この年になってこんなお付き合いが再開できるとは夢にも考えなかった」ということだった。
 講師は相変わらず「いつでも交代するよ」と言うが、「勉強した人と、している人の違いよ」という理屈で、彼の好意に甘えている。
 四年間机を並べた級友ではあっても、特に男子とはそれほど親しい付き合いをしていたわけではなかったから、「今だから言える話」も出たり、みんなで話したり笑ったりして、「年をとるのも悪くないな」と感じたことだった。 久々のクラス会出席が、思いがけない楽しみにつながった。
 『源氏物語』も若い頃読んだのとはまた別の味わい方ができるし、「第二の学生時代」は、まことに楽しいものになっている。 長生きはするものである。


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