06’9’27今年の春ごろから左肩が痛くて腕が思うように動かせなくなっていた。 七十を過ぎて、五十肩と言うのも気がひけるが、ちょうどそんな感じだった。 なぜか周囲にも同じような人が多く、たまたま乗ったバスの中で耳にした、同年配と思われる人たちの会話もその話だったのはおかしかった。 年をとれば治りも遅いのではないかと思うと気が重い。背中のボタンのかけはずしも至難の業。 車のシートベルトにうっかり手を伸ばそうものなら、しばらくは痛さに息を止めて耐えなくてはならない。 ベッドの横においている目覚まし時計を止めようと左手を伸ばせばズキッとくる。 痛いのは分かっているのに、ついついやってしまう。 そう簡単には治らない事も経験上分かっている。 夜、横になっても、左を下にしては寝られない。
リュックを背負うときは左手をまず通してから、と工夫をして山にも行ってみるが、心から楽しめてはいない。
そのうちには治るだろうとは思うものの、柱時計も左腕が上がらないから右手で両方のねじを巻く。 勝手が違うし、三週間巻きの古時計は、かなりの回数を巻かなければならない。 別にこれがとまっていても困ることはないのだが、長年の習慣とは恐ろしいもので、「何時かな」と、つい目が行くので、できることなら動かしておきたい。
最近は出かけるのにカメラ持参のことが多い。 重いカメラを左手に抱えて歩く癖も付いている。 カメラを持って出かけた夜は一段と肩の調子が悪い。 重いものを持たないほうが良いらしい、とは思うが、一晩寝れば前の状態にはなるからと、あまり考えないことにした。
年とともに時間の流れが早くなって行くのは残念なことではあるが、あっという間に暑くなり、夏ごろにはあまり気にせずに物干し竿を移動できるようになっていた。 何とはなしに快方に向かっているようで、「治りそうだ」と一安心する。
雨の多かった今年の夏は、庭の草も良く伸びて、草むしりに追われた。 肩が痛いからなどと弱音を吐いてはいられない。 不思議に、働いているときは痛さも感じないから、それほどの負担ではなさそうに思えたが、翌朝はちょっと肩の調子がおかしくなるのも確かだった。現金なもので、「治りそう」と感じた頃から、あまり気にもならなくなっていた。 柱時計を巻くにも、それほど「気合」を必要としなくなってきた。
九月も末になり、、今日気がつけば、意識せずに両手で柱時計を巻き終わっていた。 「もう大丈夫」と言うところだ。
昨夜からの大雨も上がり、急速に秋空が広がってきた。 ちょっと多摩川を見てこようと、カメラを持ってサンダル履きのまま表に出た。 望遠レンズでのぞいてみると、対岸の堤防の外れには、今日も鳥観察の人たちが何人か望遠鏡をセットしているのが見える。 多摩川はその近くでカーブを描き、午後の日にきらめきながらゆったりと流れている。
全快するにはまだ時間がかかるのだろうが、何をしてもこれ以上痛くなることもなさそうに思える。 これでまた紅葉シーズンが楽しめるなと、川の流れを眺めながら、内心にんまりしたのだった。五十肩ならぬ「七十肩」は、意外に早い終末を迎えるかもしれない。 希望的観測である。