五 葉 つ つ じ

07’5’28
 金曜日のことだった。 「来週の月曜日か火曜日、空いていない?」と電話がかかってきた。 山仲間のYさんからだ。
 「川乗へ行かない?」と、奥多摩の山へのお誘いである。 川乗か・・・。 一瞬迷う。 「日は空いているけれど、川乗はちょっと無理だと思うから、Nさんと行ってきて」と言ってから、現状の説明をする。
 ハイキングクラブで四月初めに登った秩父の武甲山の下りが結構急で、下山したときには、ひざが曲げにくくなっていた。 いくらか水がたまったのか、痛みはないのだが、腫れて物理的に曲がらないのである。

 ひざの故障との付き合いは、かれこれ三十年にもなる。 水がたまって水を抜いたり、医者通いをして電気をかけたりと、それなりのことはしてきたが、最も効果のあるのが、私の場合は、ひざを支える腿の筋肉を鍛えることだった。 このところ忙しさにかまけて、少々サボリ気味だったことを後悔しても後の祭りだ。

 以来、朝昼晩と家にいる限りは、足首に錘をぶら下げての運動に励んだ。 することは簡単。 続けるには努力を要する体操である。

 四月は、ひざに力が入らず、階段の下りがちょっと大変だったが、五月になってからだいぶしっかりしてきた。
 おとなしくしていれば良いのだろうが、草ぼうぼうの庭を見れば草も取りたくなる。 ひざが曲がるようになってからは、草むしりにも精を出していたので、朝は良いが夕方は少し前に戻る、という状態が続いていた。
 それでも五月後半になると、ふだんの生活にはまったく支障はなくなった。 駅の階段の上り下りも無意識にできるようになった。 ただ、ひざには最も良くないという「登山」には不安があった。
 ウォーキングは大丈夫なので、そろそろ山道を歩き始めようかと考えていたところだったが、いきなり川乗山ではちょっと躊躇する。
 標高1364m、特に大変と感じたことはない山ではあるが、若いときとは違い、二ヶ月間、まったく山を歩いていない身には不安がある。 この上、肉離れでも起こしたら大変だ。   
川乗山の五葉つつじ(以前使った写真ですが)

 今の時期、川乗山の山頂近くには真っ白な「五葉つつじ」が咲いているはずである。 「シロヤシオ」とも呼ばれる「五葉つつじ」は、白い大き目の花で、まことに品の良い「つつじ」である。  名前の示すとおり、葉は五枚だ。
 東宮家の愛子さまのお印にもなっている。
 山以外では育たないと聞くが、確かに山でしか見たことがない。 前にも何度か一緒に見に行っているので、Yさんも誘ってくれたのだろう。

 ハイキングクラブの仲間が、川乗山で滑落して亡くなって以来、私たちは川乗山へは行っていない。 もう七年にもなる。 それまで、ほとんど毎年一度は登っていた山だったけれど、今回はどのコースで行こうとYさんは考えていたのか、それを聞かなかった。 できれば、仲間の遭難事故のあった道は避けたい気持ちが私にはある。

 今日は天気も良く、暑さも収まって、「山日和」だった。
 二人は行けたなと、考えながら家の用事を片付けていたら電話が鳴った。 「Nです」と言う。 「あれ、川乗じゃなかったの?」と私。
 Nさんは町内会のレクリエーションで高尾山に下見と本番と二回行った来たばかりなので、今回は行かないと断ったのだそうだ。
 「ひざが駄目なんだって?」と心配して電話をかけてきてくれたのだ。 友達とはありがたいものである。 「あの時のが長引いているのよ」と、話はすぐ通じる。

 仲間が二人とも断ったのでは申し訳なかったと思うが、仕方がない。 ハイキングクラブは、五月の山行は雨で中止だったが、六月も私は休むと話してある。 六月は一人でトレーニングするつもりなのだが、仲間に付き合ってもらう手もある。

 しばらく見ていない川乗山の「五葉つつじ」だが、ほかで見たのはどこだったか。 奥多摩だったか秩父だったか。 今年はもう諦めるしかないが、来年はどうだろう。
 「登山」と言う年齢ではなくなってきているのかも知れないが、奥多摩の山ぐらいはもう少し歩きたい、というのが仲間共通の願いである。
 私も、川乗山の「五葉つつじ」の、あの清楚な白い花をぜひもう一度見なくては、と思っている。  来年の今頃、今度こそ三人で見に行きたいものである。  

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