母のかい巻き

03’4’10
 元気なうちに家の中の整理をしておかなくてはと思いつつも、手をつかねていた。やっと思い立って、手始めに押入れをふさいでいる布団を処分することにした。
 私の世代では、布団を捨てるなどということは考えられない話だった。大きくなってくる孫達の布団にでもと思ったが、いらないと言うし、思い切って粗大ごみの収集に出した。ただ、母が作った掻い巻きだけは、どうしても捨てられなかった。
 私が物心ついた頃から病人だった母は、私が五年生のときに五十歳で亡くなった。この掻い巻きは十九才年上の姉の嫁入り道具の一つだった。私が結婚してから「あなたはお母さんが作ったものを何も持っていないから」と言って、私に譲ってくれたものだ。姉は来客用にしていたというだけに傷みはないが、何しろ昔のもので、絹の夜具地が弱って脆くなっているのは否めない。
 「この子が嫁に行くまで生きていてやりたい」というのが母の口癖だった。私自身が親になって、これは母の本当の気持ちだったとつくづく感じている。母との縁も薄かったが、父も私が高校生のときに六十台半ばでなくなった。私が結婚して生まれた娘には障害があり、頼りの夫は五十七才という若さで亡くなった。私の兄も、布団をくれた姉も、平均寿命のはるか手前で旅立っている。 
 「どうも家族運が良くないみたい」と私が言ったのに対して、小学校からの親しい友は「私もそう思うわ」と言ってくれた。私の母を知っている数少ない人の一人である。
 私は自分の中に潜んでいると感じる冷たさを、家族との縁が薄いという運命の中で、自分自身を守るためにおのずから身についた、感情を抑えてしまう癖、と分析している。
 母の掻い巻きは重いし、使うことはないと思うけれど、手縫いの一針一針が懐かしい。母が元気で長生きしていたら、私の人生も違ったものになっていたことだろう。

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