10’12’23
みかんを、そろそろ箱で買おうかと考えていたら、ちょうど箱入りのみかんが出ていた。 何だか小さな箱だと思ったら、2.5キロ入りだ。 こんなに小さな箱を見たのは初めてだった。 袋入りはいくつも入っていないが、思ったほどおいしくないこともあるので、買うには袋入りの方が気楽である。 最近はみかん離れが進んで、昔ほど売れないと聞いてはいたが、コタツに入ってみかんを食べると言う生活自体がなくなっているのかもしれない。
「試食用」もなかったが、中身を見ることもせず、Mサイズのみかんであることだけを確認してその小さな箱を買ってきた。
家で開けてみたら、ワックスのかかっていないみかんで、何だか少ししなびているような感じだった。 特に安いとも思えなかったが、これは本当に今年のみかんかなと思いながら食べてみたら、味は甘くておいしかった。 保存法が進化しているから冷凍庫から出てきたものでも素人には分らないだろう。 小さな箱だったからよかったようなものの、やはりしっかり「中身」をチェックして買わなくてはいけない。
去年は5キロ入りのみかんを買った記憶がある。 今年も暮れにはまた正月用を買わなくてはならない。 今度はいつもの店で買うことにしようと思った。
大掃除と言えるほどではないが、いつもよりは少し丁寧な掃除をしていた。 息子の本を詰めてある箱や、台所で紙の手提げ袋や包装紙を入れるのに使っている箱を動かしながら見ると、いずれもダンボールのみかん箱である。 しっかりした箱で、15キロ入りとなっている。 こんな大箱が一箱では足りなくて、二つ三つと買っていた時代も我が家にはあったのだ。
当時、大箱のみかんは、底のほうが押されているので、箱の底側から開けた方が良い聞いていたが、たちまち食べてしまう我が家では上から開けてもなんら問題はなかった。 大きな箱を見ていると「そんな時もあった」と感慨深いものがある。
娘と二人では、みかんも一日に一つずつ食べる程度。 今日はりんごにしようかと言えば、みかんは減らない。 コタツの上にみかんの皮が山のようになることなどあり得ない。
大きな箱でみかんを買った時代ははるか昔である。 息子たちの家では今頃どうしているのだろう。 孫が親たちのようにみかんをむしゃむしゃ食べるとも思えない。 昔はほかに食べるものが少なかったからみかんを食べたのだろうか。
味も何だか昔の方がおいしかったように思うことがある。 「口が贅沢になっているから」とは、私に関しては思えないのだが。 気候も変わってきたし、「品種改良」の結果、味も変わってしまったのだろうか。
15キロ入りのみかんを幾箱も買った時代、それはやはり、我が家が「もっとも元気だったころ」であることは否めない。
人生も過ぎてしまえばあっけないものである。
たかがみかんの箱、されどみかんの箱だ。 それはつまり、私がみかん箱一つにも思い出の尽きない年齢になったと言うことに、ほかならないのである。