私の裁縫箱の中に、やや小ぶりの古い裁ちばさみがある。握りには赤い色が残っており、支点の部分に「ぎん」と母の名が彫ってある。洋裁用にはちょっと刃渡りが短いのだが、どんな布を裁つにも、いわゆる「布が逃げる」ということがないので極めて使いやすい。研いだ記憶もないのによく切れ、生地に糸印をつけたりするにはなくてはならないはさみとなっている。
母は終戦の年の秋、私が五年生のときに亡くなった。私が物心ついたころには、脳出血の後遺症で左半身が少し不自由だった。仕立物は近所の「杉山のおばちゃん」に頼んでいたけれど、繕い物が当たり前の時代だったから、針箱はいつも母の脇にあった。
母の針箱は本当に「箱」だった。細かい凹凸のある茶色の地に黒い模様があり、光沢のあったことを考えると「塗り」のものででもあったのかもしれない。中は紺地に白い柄の布張りで、そこに大小のはさみや針刺しが整然と入れてあった。
裁ちばさみだけは私の裁縫箱の中で「現役」だが、あの針箱はどこへ行ったのか。母との縁が薄かった私は、針箱ごと手元に置くべきだったと悔やまれてならないのである。
(NHK学園・文章教室・短文コンクール45・課題「箱」・準特選)