「ピーン ポーン」、けだるそうに柱時計が鳴っている。「巻かなくちゃ」と思う。「三週間巻き」というのが災いして、止まりそうになったり、止まってしまってから慌てて巻くことが多い。
この柱時計は、私たち夫婦が、結婚祝いに貰った商品券で買ったものだ。日本橋のデパートだったと思うが、デパートはどこだったか。
二週間巻きが多かった時代に、「三週間巻きなら楽だろう」と思ったのだが、三週間は半端で、巻く時期を忘れてしまうのである。
当時、実家の柱時計よりは、はるかにモダンな感じで、普通一回鳴る音が、この時計は「ピンポン」と二回鳴るのも若かった私たちの気に入った。つまり、十二時には二十四回鳴ることになる。軽快な響きが心地よかった。
我家は義父の希望だったとかで、やたらと天井が高い。その天井の高い部屋に収まりよく掛けた時計の位置はかなり高く、私が椅子に乗って、思いっきり手を伸ばさないことには巻けない。 年をとって身長が縮んだ現在では、背伸びをして巻くありさまである。

(椅子に乗って写しました)
孫達が赤ん坊だった頃、この時計が鳴ると目を覚ますというので、息子はよく振り子を止めていた。息子は長身だから造作もなく止めるが、そのまま帰ってしまわれると、私は椅子を持ち出して時間を合わせ直さなくてはならなかった。
巻くのも大変になってきたし、この時計がなくても毎日の生活に支障をきたすわけでもないからと、いったんは止めておくことにしたのだが、やってきた息子が「気をきかして」巻いてくれてから、また動くことになった。
庭仕事をするようになり、「何時ころかな」と覗くには非常に便利な位置にあるので、今は結構重宝している。
最近の時計のように「狂わない」とはいかないので、巻いたときには五分進めておく。これは昔からの習慣である。
暑いとき、寒いとき、気温に合わせて振り子の長さを調節するのも、今時の人には考えられないことだろう。「金属が熱で延びる」のは、「昔の子供」には至極当然の知識だった。
購入以来四十五年。構造も簡単なのだろうけれど、丁寧にしっかり作られているのだろう、一度の故障もない。私の人生のほぼ三分の二を共にするこの時計は、この先、私よりも「長生き」するに違いない。
私も元気なうちは、せいぜい椅子の上で背伸びをしながら巻くことにしようと、今は思っている。