「ヒバカリ」という蛇がいます。手の指くらいの太さで体長は四十センチ内外でしょうか。少しオレンジがかった褐色で、目立つ斑紋はなく、可愛いきれいな蛇です。子蛇はうなぎの背のような黒っぽい色をしています。これにかまれると「その日ばかり生きて、後死ぬ」というのが名前の由来だそうですが、実際は水辺に棲む、無毒でおとなしい蛇だということです。「ジモグリ」とか「ジムグリ」とか呼んでいる地方もあるようです。
我が家の玄関前に小さな小さな池があります。長さが一メートル二・三十センチのほぼひょうたん型で、ひょうたんの上に当たる部分が少し深くなっています。三十年も昔の話になりますが、小学生だった釣り好きの娘が捕ってくる、ハヤや、フナや、クチボソといった小魚を飼えるようにと、亡夫が作った池なのです。家の前を流れる多摩川から運んできた大きな石を周囲に配して、小さいながら見た目もいい池になりました。塩ビ管が地中に埋め込んであり、表の水道の蛇口をひねると池に水が入るような工夫もされています。
時がたち、川の汚染が問題にされる時代になりました。魚もあまり釣れなくなり、やがて、池も水漏れするようになってしまいました。水は漏れるのですが、干上がってしまうわけではないので、私はヒツジグサの鉢を深みに沈めて花を楽しんでいました。
この池に三・四年前からガマガエルが卵を産みに来るようになりました。去年も三月末に二つがいが来ました。こんな小さな池に集まるほど産卵場所がなくなっているのでしょう。時々水を足したりしているうちに、続々とオタマジャクシが生まれました。文字通り、池が真っ黒になるほどの数です。
早く足が生えてこないかなと毎日池をのぞいていましたが、五月に入ってなんだかオタマジャクシが減ったような気がしました。そしてある日、池の中に小さな蛇がいるのを見つけたのです。一見紐のような、褐色の蛇が二匹いました。オタマジャクシを食べに来たのに違いありません。百科事典やインターネットで調べた結果、「ヒバカリ」という日本固有種の蛇だと分かりました。
棒に引っ掛けて池の外へ出そうとするのですがうまく行きません。ヒツジグサの葉が水面を覆い始めていることも作業をしにくくしていました。棒ではとても無理なので、度胸を決めて「金バサミ」で捕まえることにしました。炭やゴミなどを挟むのに使うあれです。水の上に長く首を出しているところを思い切って挟みました。蛇が金バサミに尻尾を絡ませたときにはそれこそビビリましたが、頑張って河原の草むらへ投げました。少し時間をおいてもう一匹捕まえました。ところが二匹目は黒っぽいのです。子供です。私が見たのは親が二匹だったはずなのです。私と「ヒバカリ」とのかかわりはこれが皮切りでした。
朝と夕方現れる「ヒバカリ」ですが、捕まえても捕まえても出てくるのには閉口しました。石の隙間にでも卵を産んだのではないかと思います。半月の間に何と十八匹もの蛇を河原に放ちました。明らかに親と思えるものは三匹で、生まれたばかりらしい可愛い蛇もいました。百科事典には一度に四・五個の卵を産むとありましたが、池の「ヒバカリ」が全部でいくつ卵を産んだのか知りたいところでした。インターネットの検索では、マニアの間で結構人気のある蛇らしいことも分かりました。小さな蛙やオタマジャクシ、ミミズなどを餌にするとのことですから、オタマジャクシ食べ放題の池の蛇たちは元気なわけです。マニアには「のし」をつけて差し上げたい気持ちでした。かわいそうにオタマジャクシは激減して、数えるほどになってしまいました。食べるものがなくなったからでしょう、まだ二匹ほど残っていた子蛇は姿を消しました。
私は今まで、オタマジャクシはいつのまにか蛙になって出て行ってしまう、と思っていました。今年こそは蛙になるのをしっかり見届けよう、と思ったのです。多分毎年ほとんどが蛇の餌食になっていたのでしょう。あのおびただしいオタマジャクシの数の「持つ意味」が分かりました。「ヒバカリ」の子供もおそらく、天敵に狙われて、育つのは何匹でもないのでしょう。産卵のためにわずかな水溜りを探し出すガマガエルの能力にも驚きますが、そこに卵を産む「ヒバカリ」もたいしたものです。自然界の仕組みの妙と厳しさを目の当たりにしたのでした。
今年はさすがの私も池に水を入れるのはやめました。ガマガエルや蛇たちはどうしていることでしょう。