ひ ば り さ ん   

 

11’6’29
 歌手、美空ひばりが亡くなって、もう二十二年になるという。 確かに夫が亡くなって何年もしない頃だったと思い出す。 今でこそ昭和の歌謡界の女王などと言われているが、いろいろと苦労もしてきた人である。 

 彼女が「素人のど自慢大会」に初めて出場した時には、「うまいが子供らしくない」という理由で鐘はならなかったという。 当時九歳。 世の中も今とはだいぶ違っていた。 子供は子供らしく、男は男らしく、女は女らしく・・・である。 可愛い女の子かと思ったら「あれは男だよ」とびっくりさせられる現代とは大違いだ。 

 しかしながら、古賀政男氏のお墨付きも頂戴したとかで、その後は達者な歌唱力と演技力で、歌に映画に大活躍をしていた。 相変わらず、「こましゃくれている」とか、わが子の売り出しに熱心な母親も批判の対象にはされていた。 「横浜の魚屋の娘が・・・」といった、あまり関係のなさそうなことまで話題にされていたのは、世間の「やっかみ」もあったのだろうが、小さな女の子の大人顔負けの演技は、次第に受け入れられるようになり、映画の主題歌も大ヒットを収めていた。 

 若い頃の彼女には、確かに、世間の人が気に入るような「上品さ」はなかったかもしれないが、歌のうまさは抜群だった。 やがて、その実力は正当に評価されるようになり、二十歳のころには芸能界で、押しも押されもせぬ確固たる地位を築いていた。 演歌でも、テンポの速い曲でも、彼女が歌えば、「一級品」だった。

 華々しい活躍を続けていた彼女も、病魔には勝てず、五十二歳の若さで亡くなった。 平成元年のことである。 そして二十二年。 そんなにたってしまったようにも思えない。  

 六月二十四日が命日だそうで、関連番組がテレビにいくつか登場していた。 そんな中で、現在活躍中の歌手が、美空ひばりの持ち歌を歌う番組を見た。 後輩の面倒見も良かった人のようで、「思い出の品」を身につけている人もいた。 評判も良かった。 もちろん、こういう場で、悪く言う人はいないだろが。

 正直なところ、歌手の皆さんの歌を聞いて、私はがっかりした。 物まねではないのだから、それぞれの歌手が自身の解釈で歌うのは当然だが、美空ひばりが歌っていたときの情感といったようなものは、まったくと言っていいほど感じられなかったのだ。 確かにプロだから上手に歌ってはいた。 でも違うのだ。 やはり、彼女は並みの歌手ではなかったのだと思った。 

 改めて美空ひばりの「凄さ」を知る結果となった。 「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」と言う言葉がある。 内容はちょっと違うのだろうが、二十過ぎてもただの人ではなかった彼女は、やはり「天才」だったと言えるのかもしれない。 まだまだ全盛期と思える時期に亡くなったことは、ある意味では幸せだったのだろうが、私は、もう少し「本物の歌」を聞きたかったと思っている。  

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