11’6’29
彼女が「素人のど自慢大会」に初めて出場した時には、「うまいが子供らしくない」という理由で鐘はならなかったという。 当時九歳。 世の中も今とはだいぶ違っていた。 子供は子供らしく、男は男らしく、女は女らしく・・・である。 可愛い女の子かと思ったら「あれは男だよ」とびっくりさせられる現代とは大違いだ。
しかしながら、古賀政男氏のお墨付きも頂戴したとかで、その後は達者な歌唱力と演技力で、歌に映画に大活躍をしていた。 相変わらず、「こましゃくれている」とか、わが子の売り出しに熱心な母親も批判の対象にはされていた。 「横浜の魚屋の娘が・・・」といった、あまり関係のなさそうなことまで話題にされていたのは、世間の「やっかみ」もあったのだろうが、小さな女の子の大人顔負けの演技は、次第に受け入れられるようになり、映画の主題歌も大ヒットを収めていた。
若い頃の彼女には、確かに、世間の人が気に入るような「上品さ」はなかったかもしれないが、歌のうまさは抜群だった。 やがて、その実力は正当に評価されるようになり、二十歳のころには芸能界で、押しも押されもせぬ確固たる地位を築いていた。 演歌でも、テンポの速い曲でも、彼女が歌えば、「一級品」だった。
華々しい活躍を続けていた彼女も、病魔には勝てず、五十二歳の若さで亡くなった。 平成元年のことである。 そして二十二年。 そんなにたってしまったようにも思えない。
正直なところ、歌手の皆さんの歌を聞いて、私はがっかりした。 物まねではないのだから、それぞれの歌手が自身の解釈で歌うのは当然だが、美空ひばりが歌っていたときの情感といったようなものは、まったくと言っていいほど感じられなかったのだ。 確かにプロだから上手に歌ってはいた。 でも違うのだ。 やはり、彼女は並みの歌手ではなかったのだと思った。
改めて美空ひばりの「凄さ」を知る結果となった。 「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」と言う言葉がある。 内容はちょっと違うのだろうが、二十過ぎてもただの人ではなかった彼女は、やはり「天才」だったと言えるのかもしれない。 まだまだ全盛期と思える時期に亡くなったことは、ある意味では幸せだったのだろうが、私は、もう少し「本物の歌」を聞きたかったと思っている。