左  手

   

11’10’24
 小人数ながら長く続いている古典の講読会で、お茶のペットボトルを開けようとしていたお仲間が、「最近、力がなくてこれが開けられないのよ」と言う。 節電対策で、施設の湯沸しが使えなくなって以来、お茶は各自で持参することになっていた。
 彼女は私よりも少し年上だ。 私はまだペットボトルのキャップをねじるのに苦労した経験はないので、「開けましょうか」と言って、開けてあげた。

 ペットボトルを受け取りながら彼女は言った。 「ありがとう。 あなた、今、左手で開けたわねぇ」と。 特に意識して開けたわけではなかったが、言われてみれば確かに左手でねじっていた。 このやり取りを聞いていた別のお仲間が、「左利きなの?」と聞く。 「右利きよ」と答えると、もともと左利きだったのを直したのかと重ねて聞く。 確かに、私が子供のころは、左利きを右手が使えるように直すことも結構あったと聞いていたが、私の場合はそんなことはなかった。

 「右利きなのに、力のいることを左手でする」のはおかしいと思われたのかもしれないが、若いKさんが、「私もそうよ」と言われたので、一件落着となった。
 Kさんも、左手で物を投げたりはできないのに、みかんは左手でむくのだそうだ。 私はみかんをどちらの手でむいているのか、とっさに思い出せなかったが、今朝食べたグレープフルーツは確かに左手でむいていたと思った。 右手で切り込みを入れ、左手でむく。 ピーマンを右手の包丁で半分に切り、左手で種を取っていた。  

 今まで意識したこともなかったが、これ以来、何かするのに、どちらの手を使うか、気をつけるようになったのがおかしい。
 そう言えば、以前、町内の会館掃除で雑巾を絞ったときと、市民体育祭のおにぎり作りの時に、「手が普通と違うね」と言われたことがあったなぁと思い出した。 それも関係があるのかもしれないと思った。 

 次の講読会のとき、Kさんに、雑巾の絞り方を尋ねてみたら、私と同じで、「右手が手前、左手が向こう」とのこと。 ほかの人の話から、これもどうやら「左利き風」ということらしい。 「おにぎり」も多分そういうことなのだろう。 おにぎりは、できてしまえば、味はもちろん、形もおなじであるが・・・。
 Kさんは「両手の組み合わせ方にも違いがあるらしい」と言う。 パッと両方の手を組み合わせたとき、一番手前に左の親指が来るが、右手の親指の人もあるそうだ。 ためしに、右手の親指を手前に組んでみたが「気持ちが悪い」。 大体「パッと」組めない。 面白いものである。

 右利きにしてはよく働くらしいわが左手をつくづくと眺めた。 へバーデン結節もあり、義理にもきれいな手とは言えないが、これからもよろしくね、と言うところである。

 ちなみに、みかんをむいたら、私もしっかり左手でむいていたのだった。  

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