檜枝岐村(ひのえまたむら)

03’4’29
 私の手元に、昭和三十一年版の登山地図帳「尾瀬と日光」がある。その口絵写真の一枚に「奥会津・檜枝岐村」がある。狭い道を隔て、屋根を石で抑えた粗末な小屋と、道端に小さな墓石の並ぶ写真だ。人影のない白黒写真で、なんとも寂しい雰囲気が漂う。
 この写真の印象と、「子供の間引きが行われていた貧しい山村」という話から、私の檜枝岐村に抱くイメージは、長い間暗いものだった。
 三年前の夏、町内会の尾瀬沼ハイキングに参加して、檜枝岐村に一泊する機会を得た。近年、広く知られるようになった桧枝岐歌舞伎の、重要有形文化財の舞台も見たいし、間引かれた子供の霊を慰めるために建てられたという六地蔵にもお参りしたいと思った。
 檜枝岐村では、早朝散歩に出た。道路沿いに立ち並ぶ民宿は、年二回の歌舞伎の上演日には超満員だそうだ。うっそうたる鎮守の森に囲まれた舞台は、小さいながら二百余年の伝統を誇る文化を支える場にふさわしい趣を備えていた。
 六地蔵は、揃いの着物と帽子に、猫の顔をかたどった可愛いよだれ掛けをして並んでいた。愛らしく、暗さはなかった。手向けられた造花の色あせているのが少しわびしかったけれど、大事にされている様子が偲ばれた。「道端に墓があるのは、土地が狭いため」という口絵写真の解説はその通りだった。
 朝の五時に、もう畑に出ている人が多いこと、そのほとんどが年配者だというのも印象的だった。こんなに働き者が多い土地なのに、子供を間引かなくてはならなかった時代を思った。
 四十二歳の宿の主が子供のころは、まさしく、私のイメージ通りの村だったという。今は温泉もわき、発電所からの税収もある。豊かさと引き換えに失われたものもあるのだろうが、私にはほっとする話だった。
 見事だと聞く紅葉の頃に、また訪れたいと思いながらまだ果たせずにいる。

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