11’1’10
八時、洗濯物を干す頃、まだ庭は大部分日陰である。 真っ白い霜で覆われた足元も、まだ溶け出さないから、かえって始末は良い。 手が冷たい。 とはいえ、近年は、洗濯物が干すそばから凍って板のようになることもないから楽になった。
赤ん坊を「亀の甲」で負ぶい、オムツを干していた時代も遠い日のことになった。 今とは比較にならない寒さの中、それでも母親の背中にいれば機嫌よくしている子供たちがいとしかった。
昔のことなど思い出しながら洗濯物を干していると、「ツッピン、ツッピン」と鳥の声がする。 四十雀がさえずっているのだ。 鳥の世界はもう春なのだなぁと思う。 ついこの間まで、「ジュク、ジュク」と鳴きながら、木の間を飛び回っていたが、もうお相手を求めるシーズン到来と言うことだ。
昨年は夏の猛暑の影響で、山では秋の実りに恵まれなかったようで、熊が人里に下りてくるニュースをしばしば耳にした。 やはりそういうことだったのか、我が家のささやかな庭のムラサキシキブの実も、色づききらないうちから小鳥たちの食糧になり、あっという間に姿を消した。 ウメモドキも正月にはなくなっていたし、最後に残った赤いピラカンサに、ヒヨドリ、ツグミ、ムクドリなどが集まりだしたと思ったら、今はもう残っていない。 あとは彼らには止まり難い南天が少し残っているだけだが、これがなくなるのも時間の問題だろう。 庭はすっかり「冬枯れの景」となってしまっている。
大寒は二十日。 やはりその頃が一番寒いと言うことである。 長男の生まれたのはちょうど寒中だったが、連日水道の凍りつく寒さだったことを思い出す。 今年は今のところ、浴室の窓が凍りついて開かない朝はあったが、水道の凍ることはない。
しかし、考えてみると、最も寒いとされる寒中は、「何となく日が伸びた」と感じられる頃でもある。 これはまさしく「天の配剤」だ。 厳しい寒さの中にありながら、ほのかな希望を感じさせるのだから。
葉の落ちたサンシュユにはすでにかなり膨らんだつぼみがついている。 暮れからふくらみを見せていた姫辛夷のつぼみも、淡い日差しに毛が光る。 楓にも小さな芽が見える。 確実に春は近づいている。
「冬来たりなば、春遠からじ」。 この言葉を頭の隅に置きながら、あと少し、寒さに負けず、頑張って行くことにしよう。