05’1’11韓国のドラマ「冬のソナタ」が日本で大きなブームを起こしていることを私はまったく知らずにいた。うかつな話である。 友人の九十歳の母上までを夢中にさせたという話もあり、それほど評判のドラマでは見ておかなくてはと思った。
遅まきながら、やっと見られたのは、NHKで三回目の放映のときだった。毎週土曜日の夜、一話ずつ、延々と続く二十話の大作である。残念ながら見られない回もあったが、話の筋と、人気の「ヨン様」の顔は分かった。しかし、吹き替えの日本の俳優さんの顔が重なり、何だか「なよっとした男女のお話」との印象だった。話の筋や、物語の背景にも、現実離れのした、ちょっと無理と思える点があったものの、映し出される風景の美しさは、感動的だった。例の、メタセコイヤの並木道や、真っ青な空をバックにした霧氷の世界は、特に心に残っている。
美しい風景の中に主役の二人を大きく写すのではなく、風景の中の点景のように人物を配置するなど、風景を主にしたと思われる場面でありながら、話の展開にはまったく「淀み」を感じさせないのは見事だと思った。カメラワークの優れている作品である。その後、ノーカット完全版を字幕で放映するというので、もう一度見ようという気になった。これは、暮れの20日から30日まで、連日の一挙放映だった。今度は私も「完全に」見ることができた。
その結果、かなり重要と思われる場面がカットされているらしいことを知った。すべての場面を覚えているわけではないけれど、この場面がなかったから話の続き具合がおかしかったのかもしれない、と思うところがいくつかあった。しっかりした作品ならば、当然「あってもなくてもいい場面」などあるわけがなく、全場面にそれぞれの意味があり、必要があって撮影されたのだろうから、時間の都合でカットするのは、製作者にとっては無念なことではないのかと思ったことだった。
そして字幕。一言で言えば、「吹き替えでは駄目」ということである。
顔と声とはこんなにも「合うもの」なのだと、改めて感じさせられた。この顔の人が、この声で言ってこそせりふが生きるのだというわけである。言葉が理解できればもっともっと良かったのだろうけれど・・・。
今回は筋立ての「苦しさ」もあまり感じなかった。「ヨン様」扮する「ひねた高校生」も結構可愛く見えた。
海外の作品は、言葉は諦めざるを得ないが、ノーカット、字幕つきで見るに限るとの結論を得た。「ヨン様」も、よく泣くチェ・ジウさんも演技力はあるし、目の演技もいいし、人気が出るのも当然の俳優さんたちだ。「ヨン様」は、NHKから「感謝状」を贈られたということだが、問題続きのNHKにとっては、まさに「救いの神」だったのかもしれない。
何度目の来日かは定かでないが、先日の来日では「追っかけ」といわれる人たちの騒ぎで、けが人まで出た。これは、いささかみっともない話である。私は「微笑みの貴公子、ヨン様」の「営業笑い」よりも「演技中の厳しい顔」のほうがよほど魅力的と思うのだが。誰しも若いころには恋の一つや二つは経験していることだろう。「冬のソナタ」はその「想い」を思い出させるお話である。普通の人の思い出は、おそらくドラマほど「スマート」ではなかっただろうから、「わが恋もかくあれば」との思いを抱かせる。それが人気の原因かなと分析してみた。
「現代版純愛物語」である。昔はわが国にもいくらでもいた清潔感のある若者が、懐かしいということもあるだろう。一方、かつての日本人が持っていた「慎み」はすっかり影を潜めた。大挙してドラマの舞台となった地をツアーを組んで回ったり、けが人の出るほどの騒ぎを起こすのには戸惑いを感じる。「ひいきの引き倒し」ということもある。あまり浅ましい姿を内外にさらすのには抵抗がある。このときとばかり金儲けにつなげる人たちの存在もまた、問題だ。
何はともあれ、「冬のソナタ」が、日韓の「文化、友好の架け橋」となったことは確かなようである。
吹き替えでなく、再度放映される機会があれば、私はまた見てもいいな、と思っている。そんな気にさせられる「懐かしくも、美しい」ドラマだった。