06’7’21七月十五日は土曜日で、「海の日」へかけての三連休の初日だった。 昼ごはんを済ませた、一時前、雨が降り始めた。 少し前から雷鳴も聞こえていた。
雨の音はたちまちものすごい音に変わった。 雹だ。 たちまち風も強まり、まるで嵐の中にいるようになった。 雨戸のない北側からたたきつける雹に、台所のガラスが割れるのではないかと、出窓に乗っているものをテーブルに移動した。
雷もすさまじく、耳を押さえながら玄関のガラス戸越しに外の様子を見る。 風雨で真っ白の世界を斜めに雹の横切るのだけが見える。 地面に落ちて跳ね返る。 かなりの大きさの雹だ。
強風のときには巻き上げる簾二枚も巻き上げていなかったが、いまさらどうしようもない。 ベランダの屋根の波板もだいぶ古くなったから心配だ。
雷のものすごさに、以前雷で壊れた事のある電話機をはじめ、テレビもパソコンも電源から抜いた。 バリバリとものすごい音をたてて、雹がたたきつける。
四十年ほど前、巨大な雹が降ったことがあった。 子供のこぶしくらいの大きさで、金平糖のように角のある氷塊だった。 三人の子供たちは怖がって私の行くところについて回る。 雨戸を閉めたり、まだサッシではなかったのでガラスが割れた場合を考えてカーテンを引いたりするのにも能率の悪いことだった。
当時の物置のプラスチックの屋根はすべて粉になって飛び散り、庭に置いたスタンド式の灯篭も割れてしまった。
庭一面にごろごろと敷き詰めた氷の塊を、「しっかり見ておきなさいよ」と、子供たちに言いながら見せたけれど、幼かった子供たちは覚えていないようだ。 カメラに収めておかなかったことが残念に思われる。
そのとき、羽村は災害救助法の適用を受け、後日被害調査に来たけれど、我が家程度の被害は被害の内には入らなかった。 畑のキャベツは芯がむき出しになり、農家の被害は大変なものだったと思う。
夕方帰宅した主人は、側溝に大きな氷がごろごろしているし、道路には鳥の死骸が転がっているし、びっくりしたという。
このときの記憶があって、私は雹が降り出すと今も緊張する。
![]()
羽村の大賀蓮の植栽地で、やっと花が咲き始めたというので、日曜日の朝早めに見に行く予定をしていた。 その前日の降雹である。
我が家の庭でさえもひどい有様だった。 シュウカイドウも桔梗もユリも折れた。 紫陽花の葉も花もぼろぼろ。 木の葉が叩き落されたので、翌朝の庭は明るくなった感じだった。 大賀蓮がどんなことになっているか気がかりだった。行って見ると、茎に葉のついているのは1本だけ。 その葉もぼろぼろ。 花はまだいくつでもなかったようだが、はなびらが水の中に落ちている。 そしてつぼみも・・・。 惨憺たる有様だった。 すべて茎だけになっており、その茎の先は千切れた跡が痛々しい。 全滅だった。
茎だけが林立している蓮田の風景は異様である。 こんなことも珍しいので、カメラに収めた。
ジョギング途中の男性が、自宅でかなり太い木が折れたことや、ひどい盛りの電車に乗る予定だったが、ホームに出られる状態ではなく、電車も止まっていたという話をしていた。毎年八月はじめに市の「観蓮会」が催され、蓮の茎でお酒やジュースを飲んだりする催しがあるのだけれど、今年はもう無理だろうと思った。 大賀蓮の花を今年はどう撮ろうかと私も楽しみにしていただけに、がっかりしてしまった。
蓮田近くに植えられているナスやトマトも、葉は落とされ、実は傷だらけの惨状だった。 秋の終わりに畑に残されたナスやトマトを見るような有様だった。
川を見ていた人は、「まるで竜巻だった」と言う。 保育園の屋根が飛んだとか、信号機が九十度、向きを変えたとか、風のすさまじさが伝わってくる。 桜の名所、「羽村の堰」の桜も一本根こそぎになっていた。
![]()
我が家の簾も1枚は穴だらけ、一枚は千切れて隣へ飛んでいた。 風呂場の網戸は縦糸だけを残し、横糸は粉のようになってガラスに張り付いていた。 自然の力は想像もできない強さだ。
お隣でも穴だらけになった波板の修理に大工さんが来ている。 簾を買いに行ったホームセンターでも、波板を持った人がレジに並び、新調したかった竹箒は売り切れだった。被害の出ることはなくても、最近はよく雹が降る。 これも異常気象なのだろうか。 地球温暖化の影響で、竜巻がおこることにもなるのだろうか。
これからの人がどういう対応をしていくのか、気になるところである。 人の英知に期待できると思いたいものである。