割れた表札

04’7’14
 子供たちの成長につれて手狭になった家の増築をした際、門を新しくして門扉をつけることになった。それまでは、丸太を二本立てただけの「門」だった。
 大谷石をかたどったブロックを積んだ門柱に黒い鉄の門扉を取り付けた。同じブロックで囲んだ中に玉伊吹を植えた垣もできた。
 石の門柱に白い焼き物の表札をかけるというのは、私の以前からの希望でもあった。注文した表札も出来上がり、門柱につける段になった。ところが、左官屋が不用意にブロック垣の上においた表札が落ちて真っ二つに割れてしまったのだ。
 「表札を割ったんじゃぁしょうがねぇよ」と職人仲間にも言われ、「作り直してくるまでこれを仮につけておきます」ということで、ひとまず割れた表札を貼り付けた。「くわえ煙草でやっているんだもの」と、私は内心穏やかではなかった。
 そして三十数年。我家の表札は、私が危惧したとおり、割れたものを仮付けしたまま今日に至っている。
 左官屋は兄の大工のおかげで仕事を回してもらっているけれど、いい加減な性格で、大工の足を引っ張ることが多いのだと、屋根屋から聞いていた。確かに仕事半ばでいなくなり、お茶の時間には帰ってきているということも再三だった。
 「棟梁は堅い人だけど、あいつは駄目よ」と、ブリキ屋も言った。「兄弟でも違うもんだよなぁ」と職人達は大工に同情的に話していた。
 その後、左官屋は、水の事故で子供を亡くし、それについても、親が手を下したのでは、という噂が流れたりした。離婚したとも聞いたが、いつのまにか全く見かけなくなった。
 大工は代替わりをして、息子が今は親譲りの良心的な仕事をしてくれている。ほかの職人達も、簡単な修理などには顔を見せてくれる。
 さびた門扉はかなり前に取り外したが、割れた表札に目をとめるとき、当時、人生の盛りだった職人達や私自身の「歳月」に思いを馳せる。
 表札の件も、もう時効になった。 

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